八月のお盆明け、九月のお彼岸を中心に、「お施餓鬼」が行われます。
 餓鬼とは、三悪道の一つ餓鬼道に落ちて、いつも飢えと渇きに苦しんでいる亡者のことです。餓鬼が口にしようとするものは、焔(ほのお)となってしまうので、何一つ食することができず、飢えの苦しみは限りがありません。こうした餓鬼たちに飲み物や食べ物を与え、餓鬼たちの飢渇・熱悩を取り除いてやるのが「施餓鬼会」です。

 昔、お釈迦様の十大弟子の一人、阿難尊者が修行していると、からだは骨と皮ばかりにやせ、のどは針のように細く、髪はよもぎのように伸び乱れ、爪は長く、牙もとがり、口からは焔(ほのお)をはいている一匹の餓鬼が現れ「あなたの命は三日後に迫っている」と告げました。驚いた阿難がどうすれば救われるのかをたずねると、餓鬼は「食物を施して、餓鬼のために三寶を供養するように。」と求めました。阿難はお釈迦様の教えにより、多くの食物を餓鬼に供養し、天寿をまっとうしたと伝えられています。これが、施餓鬼のはじまりとされています。

 現状では、「付け施餓鬼供養」、「特別施餓鬼供養」と称し、施餓鬼に合わせて自分たちのご先祖さまの追善供養をすることが多く、その功徳はふだんの供養よりも数倍もすぐれているといわれますが、あくまでも餓鬼に施すのが一番(メイン)で、自分たちのご先祖さまは「二の次」という気持ちを忘れてはいけません。なんの関わりもない餓鬼たち(無縁仏)に対して供養することの功徳により、餓鬼たちが救われるのはもちろん、生きている私たち自身もこの世での餓鬼道をまぬがれることができるのです。またそれは、ご先祖さまにとってもこの上ない喜びであります。