木の中にも仏−−信じることから−−

正福寺 稲垣 宗孝

 お早うございます。岡山市上中野にあります正福寺住職稲垣宗孝でございます。
 今日は、日蓮宗きっての布教の大家であり、千葉小湊にあります大本山誕生寺の貫首である石川日命猊下のお話を紹介しながら感じるところを話させて頂きます。
 私は幾度か石川猊下のお話を拝聴し深い感銘を受けておりますが、最近お聞きしたお話の中で、石川猊下は京都の仏師(仏像彫刻者)との会話を紹介されました。
 仏師に石川猊下が『仏像を彫ると言うことは、大変な努力と能力がなければなりませんね』と申されますと、仏師は『私も以前はその様に思い修行してきましたが、この頃は変わりました。仏様や菩薩を彫るのではなく、木のいらないところをとれば自然に仏様や菩薩が出てこられると思うようになりました』と言われたそうです。
 木の中に仏が宿っているということは、『草や木も成仏する』という教えであり、当然私達にも仏が宿っているということであります。
 このことは、言葉としては知っていますし、それなりに理解していたつもりでしたが、石川猊下のお話を聞き、衝撃に近い感動を受けました。話される石川猊下に力があるからでしょう。私は話を聞いて改めて『そうだ木の中に仏がいるんだ。もちろん人間にも』と思いなおしました。
 仏師の話には、三つの要点があると思われます。
 一つは、木の中に仏が存在すること。
 二つは、木の素材のままでは見えない。不要な部分を削り取らなければならないということ。
 三つは、不要な部分を削れば仏は出てくるとはいえ、削る仏師の手は並の者の手ではないということです。
 私達は、ともすれば一番目より二番目、三番目を意識しがちです。全ての人に仏性・仏になる要素があると言いながら、なお仏道修行に厳しさが求められるのもこのためです。人間に積もり積もった我執、我欲、貪り、愚痴、怒り等は簡単に削れるものではありません。言葉では知り、理解したつもりでも、それでは人間等しく成仏できるとは思いにくいものです。
 私は、石川猊下のお話をお聞きし、仏師のお話を三つにわけましたが、さらに、最後に四番目として『それでも仏は存在すると念を押すべきである』と考えなければならないと思うようになりました。
 仏様から見れば未熟で不完全、手前勝手な人間の多い世の中でも、これが何とか秩序をたもち、私達が社会の中で共に生きていけるのは、全体として悪より善のエネルギーが大きいからでしょう。外見では解らぬ、煩悩に覆われたと思われる人々の奥にもやはり仏心が存在しているからであると思います。
 そして、その仏心と言いますか、仏の行いが、その人の考え、行動として私達の目に見える方々もおられます。
 すでに故人になられていますが、経営の神様と言われた松下幸之助さんの人となりを秘書の方が書籍にして出版されていました。中でも感動しましたのは、松下さんと秘書の方がある会社を訪問されたとき、そこの会社の社長が社員に訓辞をしていたそうです。会社の業績がふるわない時でしょうか、社長は社員に『知恵のある者は知恵をだせ、知恵のない者は汗をかけ』と言ったそうです。
 それを聞いていた松下さんは、『社長があのようなことを言っているようではこの会社は長くない』と言われたそうです。秘書の方がどうしてですかと尋ねますと、松下さんは、私なら『社員全員に汗をかいて働きなさい、その汗の中から知恵が出ると訓示する』と言われたそうです。
 『汗の中から知恵が出る』とは、社長が汗をかく社員の知恵を信じると言うことでしょう。言い換えれば、社員一人一人に仏が存在していると言うことではないでしょうか。そして、社員にそのことを自覚しなさいということでもありましょう。『自分自身の知恵を信じ努力せよ』・・・さすがだと思いました。
 今ひとつは、この書籍に紹介されていました京セラの名誉オーナーで現在僧籍にあります稲森和夫さんと幸之助さんの出会いのことです。
 稲森さんがまだ小規模な会社の経営者であった頃、松下幸之助さんが四百人の経営者の集まったところで講演をされました。集まった社長達を前にダム経営という話をされたそうです。松下さんは『ダムは水を貯めてから必要に応じて流す。事業もできるだけ資本を蓄積しておくことが安定した経営に繋がる』と言われました。
 出席していたのは中小企業の経営者であったようですが、一様に、『それは松下さんだから言えること、日々借金に追われている我々には不可能』とささやきあったそうです。
 それを聞いてか、その場の雰囲気を感じ取ってか、松下さんは、笑いながら『まずその様に思うか思わないかでしょうね。決心をしなければ何も始まらない』と言われて演題を降りられたそうです。
 この講演を聴いていたなかでたった一人やってみようと決心した人が稲森さんでした。その後の京セラの事業の拡大成功の秘訣はこの話を納得し、実行しょうとした稲森さんがあったからだと思います。
 自分を信じ努力すれば、汗をかけば、それにふさわしい成果を上げることができる。松下さんだからできるとも言えますが、松下さんも人間なら自分も人間、やってみようと考えることもできます。稲森さんがそうでしょう。
 肝心なことは、信じようとするか、しないかではないでしょうか。信じることができれば、努力しょうとする気持ちが旺盛になります。木の中に仏様がおられると信じることが仏師の精進を強固にし、技術を向上させます。
 日蓮聖人には『仏法の源は信』とも『以信代慧』信じることが知慧を得ることであると仰せになっています。自分自身の内なる仏を信じ精進することが、自分を成長させ、ひいては世の中を明るくすることになると思います。
 正福寺住職稲垣宗孝でした。ご静聴感謝いたします。