皆様おはようございます。本日は岡山市南区妹尾にあります一心寺修徒の安森泰馨がお話をさせて頂きます。
もうすぐお盆がやって参ります。この時期になりますとどこのお寺さんも忙しそうにされております。私も例外ではございませんでして、連日お盆のお経廻りをしておりますおかげで少々皆様にはお聞き苦しい声になっているのではないかとは思いますがそこは皆様の寛大なお心で聞いて頂ければ幸いでございます。そういう私ではございますが実は私、元々はお寺の生まれではございません。ですので、子供の頃のお盆の過ごし方といえば皆様と同じように家族で田舎に帰省し、祖母が用意してくれたあんこ餅をお腹いっぱい食べ、夕方になればみんなでお墓参りをするというのが毎年の慣習でした。遊ぶことに精一杯な子供のころでありますのでこれらの意味なんてことを考える事はありませんでしたが、今になって思えば田舎への帰省、あんこ餅、お墓参りとすべてご先祖様をお迎えするためのものだったのだなということがよく分かります。
近頃ではお盆=まとまった休みという風潮が強くなり、海外旅行や家族サービスといって遊びに出かける人が多くなったような気が致します。テレビなんか見ましてもおすすめの観光地などを紹介して、まるでお盆休みは遊びに行きましょうと言っているかのように思えます。逆にお盆なのでご先祖様をしっかりお迎えしましょうなんて事は仏具屋さんのCMくらいでしか目にしません。せっかくの休みに遊びに行く事が悪いことでは決してありませんが、お盆というのは1年に1度だけご先祖様が家に帰ってくることを許される時なのです。1年振りに帰って来られたのに誰も迎えてくれる人がいなければきっとご先祖様も寂しいのではないでしょうか。私たちだって「ただいま」と家に帰って「おかえり」と言ってくれる人がいるのといないのとでは全く違う気持ちになるはずです。
以前にこんな話を聞いたことがあります。我々人間と植物はよく似ているのだそうです。なぜかと言いますとどちらにも「め」があり「はな」があり「み」があるからです。一種の言葉遊びのようではありますが、では植物の根っこにあたる部分は人間でいえば何なのか。表面上は見えないが、そこから栄養をもらい今私達が生かされているもの…そうそれこそがご先祖様だというのです。ご先祖様を大事にするということは植物が根っこを伸ばしていく事と同じであり、地中深くまで根を張った植物というのはちょっと引っ張ったくらいでは簡単には抜けません。同じようにご先祖様を大事にしていると、私たちが何か困ったことに直面した時にでも、倒れてしまわないように目には見えないところでご先祖様が私たちを支えてくれているのです。
そんなことを思い出しながら境内の草取りをしていると面白いことに気が付きます。高く伸びて堂々としている草に限って意外と根っこは短く簡単に抜けてしまいます。逆に小さく地面を這うようにひっそりと生えている草ほど根が深くまで張っていてちょっと引っ張ったくらいではビクともしません。なるほどなと関心致します。たくさんにお金を持っていたとしてもそれを自分の生活を豊かにするためだけに使い、根っこの部分であるご先祖様をないがしろにしていればいくら立派であってもちょっとしたことですぐに倒れてしまいます。逆に質素な暮らしであってもご先祖様を大事にし、日々手を合わせていれば何かあった時には必ずご先祖様が助けてくれるのだということなのだなと気付かされます。
日蓮上人のお言葉に
「我が身は天よりも降らず、地よりも出でず父母の肉身を分けたる身なり。我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり。」
とあります。私のからだというのは空から降ってきたわけでもないですし、地面から湧いて出たわけでもありません。お父さん、お母さんのからだを分けて頂いて今の自分があるのです。それだけではありません。お父さん、お母さんもそれぞれのお父さん、お母さん、つまり今の自分から言えばおじいちゃん、おばあちゃんのからだを分けてもらっているのだから自分のからだにはおじいちゃん、おばあちゃんのからだも含まれているということになります。そうやって辿っていくと数えきれない程の人達のからだを分けてもらって今の自分のからだがあるのです。それらの人達が皆ご先祖さまであります。自分のからだを傷つけるということは数多くのご先祖様のからだを傷つけていることと同じことなのです。またその逆もいえまして、ご先祖様を大事にするというのは自分を大事にする事と同じことであると日蓮上人はおっしゃられたのであります。
話題は少し変わりまして皆様もテレビや新聞などで頻繁に目にすることも多いと思いますが今年は戦後70年という節目の年でございます。その節目の年に集団的自衛権の行使を容認した安保関連法案が衆議院で可決されるなど、また日本が少しずつ戦争への歩みを進めていっているような気が致してなりません。戦後70年ということは私も含めまして今日本にいる多くの人達は戦争の経験がないということになります。今まで戦争なんて起こらなかったから大丈夫だとかいう自分の経験則だけで悠長に考えていたら、気が付いたら戦争に巻き込まれていたということになりかねません。実際先の太平洋戦争体験者の方の話を聞いていますと、「皆初めは戦争なんかするとは思っていなかった。ちょっとずつ法律が変わっていき、気がついたときには戦争が始まって自分自身もその中に入れられていた。」と言われておりました。まさに今の状況そっくりではないでしょうか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
これはドイツ帝国の初代首相であるオットー・フォン・ビスマルクが残した名言ではありますが、戦後70年という節目の年を迎えた今こそもう一度ご先祖様が私たちに残してくれた歴史というものを振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。広島の平和記念公園の慰霊碑には「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この誓いをたった百年足らずで反故にしてしまわないよう私たちはここでの過ちとはいったい何だったのかをしっかりと学び、ご先祖様が安心して過ごせるように努めていかなければいけません。
冒頭でも申しました様にもうすぐお盆でございます。皆様ご先祖様をお迎えする準備はお済みでしょうか。ご先祖様は今を生きる私たちに必要なものを与えてくださっております。そのことに感謝をいたし、ご先祖様を供養して差し上げることが私たちの役目ではないでしょうか。
本日は岡山市南区妹尾にあります一心寺修徒安森泰馨がお話させていただきました。ありがとうございました。