皆様おはようございます。本日は岡山市北区、日蓮宗 日応寺院代 山本応也がお話いたします。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今年は少しだけ、秋の気配を早く感じられる毎日が、続いていますね。
この間、猛暑、炎天下の中「お盆」のお墓参りに行ったばかりのに、はや秋の「お彼岸」が近づいてきたな、と感じる方も多いのではないでしょうか。姿形の見えないご先祖さまに手を合わす姿、ありがとうの感謝の気持ちをお伝えする姿、は日本人の誇るべき伝統、信仰心の表れのひとつでもあります。「お盆」と「お彼岸」。「お盆」のもとになった「ウランバナ」という言葉は、お釈迦様の弟子「目連尊者」の、母親の死後の世界のありさまを述べた故事に由来し、「逆さに吊るされた苦しみから逃れる」という意味です。なんだか怖い感じがしますね。
それに比べると「彼岸」のもとになった「パーラミータ」は到彼岸と訳され、河の岸に立って向こう岸を眺めた時のような、あるいは、海の彼方に思いをはせるような、昨日を思い煩うよりも明日を夢見るといった、気分の躍動といったものが感じられてなりません。
日蓮聖人は「彼岸抄」という御遺文のなかで
「春秋の彼岸七日のうちに、一善小行わずかでも、この(六波羅密の)一つを行うことができれば、他の時節に大行を行うと同じくらいの大菩提に至る。それなのにどうして行わないでいられましょうか」
とお示しになられています。
煩悩から離れられず苦しむ迷いの世界がこの岸「此岸」だとすれば、煩悩から離れ、悟りの境地がかの岸「彼岸」であり、わたしたちは、その「彼岸」に到達するために、修行に励まなければなりません。此岸から彼岸に到るための修行の方法は、妙法蓮華経 妙荘厳王 本事品にでてくる「六波羅密」を実践する事です。
この「六波羅蜜」とは、
@「布施」
自分のものや心を、他のものに施すこと。けっして独り占めせず、他に与えて、他のものに喜んでもらう、「さしあげる」という
こころです。
A「持戒」
戒律を守り、保つこと。
人に迷惑をかけず、約束を守ることでもあります。この約束とは、仏さまとの約束であり、それは自分自身との約束とも言えます。
B「忍辱(にんにく)」
どんなに苦しいことでも、それをじっと耐えること。
身の回りを見回せば、耐えなければいけないことが山積みになっているかもしれません。そのような時にも、けっして怒りの心を起こさず、耐えることによって人の内面は磨かれていきます。
C「精進」
常に努力を惜しまず、全力をあげて取り組むこと。
「彼岸」という目標が定まっているわけですから、その目標に向っての精進です。
D「禅定(ぜんじょう)」
こころの統一。日常生活の中で、常に自分を見失わないこと。
世の中が激しく変動している中で、平常な精神状態でいることは大変です。そうした中で、こころ落ち着いた状態で保つ努力をすることです。
E「智慧(ちえ)」
今までの5つをふまえて、ものごとを正しく判断できる能力を養うこと。

以上の6つが「六波羅密」、彼岸に到達するための大切な修行です。
この全部を修行することが出来れば良いのですが、毎日の生活に一生懸命の私たち凡夫には、なかなかそれが実践できません。
でもご安心下さい。先ほどの「彼岸抄」の中で、
「一善小行わずかでも、この(六波羅密の)一つを行うことができれば、他の時節に大行を行うと同じくらいの大菩提に至る。」と日蓮聖人が申されております。
といっても、何をどうすれば良いかわからない、まだ安心出来ない方もいらっしゃると思います。そこで「六波羅密」の修行を普段の生活の中での、お仏壇祀り、お墓参りにたとえてみようと思います。
布施(浄水)お仏壇やお墓に、清らかな水をお供えする。そうすることで自分のこころも洗われる。
持戒(唱題)南無妙法蓮華経とお唱えする。戒を保つことで小行の一歩を踏み出す。
忍辱(仏花)花は寒い冬を耐え忍ぶことで春美しい花を咲かせる。その美しい花をお供えする事で私たちの心も癒される。
精進(お香)香りが立ち上り仏の慈悲を広く人々に行きわたらせる。香の煙、香りにのせて、私たちの誓い、思いを仏さまにお届けする。
禅定(お供物)炊きたてのご飯をお供えする。仏さまと自分が一つの命でつながっていることを知り、それが心の安定をもたらしてくれる。
智慧(燈燭)蝋燭に灯された温かい光は、仏さまの慈悲の光、智慧の光をたたえる智慧の行となります。
このうちの一つなら出来るかも、そう思われたかたも多いと思います。
今、世界各地、日本国内で様々な問題が起こり、それをテレビで見て、私たちは一喜一憂する毎日を過ごしています。自分が幸せであることに気付けないような世の中になりつつあります。
妙法蓮華経 如来寿量品の最後の二十文字は法華経の肝心と言われています。そこには、お経を読んだから、先祖を供養したから、頭が良くなる、病気が治る、お金持ちになれる、なんて事は書かれておりません。
お釈迦様はこの世に生きる私たちが、どうすればこの世で仏の心を持ち、どうすればこの世で仏になれるかをずっと考え続けている。これがお釈迦様の悲願であります。
皆さんの笑顔が、身の回りにいる人たちの笑顔に変わる。それに気付くだけで、この世はすこしずつ仏の世界に近づくのですが。。。
もうすぐお彼岸です。六波羅蜜の行いを通じて、ご先祖さまにちょっとした誓いの気持ちを伝えてみませんか?
本日は、岡山市北区、日応寺 院代 山本応也がお話し致しました。