RSKラジオ 仏教アワーをお聴きの皆様、おはようございます。
2015年7月11日土曜日の朝を迎えました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
本日は、岡山県和気町藤野にあります實成寺副住職、若佐臣がお伝えします。

冒頭にも申し上げましたが、本年は2015年。ちょうど戦後70周年の節目を迎える年です。
私は、先月の終わり、岡山県内の日蓮宗寺院有志と、そのお檀家の皆さん、併せて60名程で沖縄での慰霊法要団参を行ってまいりました。
梅雨の時期と重なることで天気を心配していましたが、今年の沖縄は、空梅雨だそうで、透き通るような青空と、強い太陽の日差しを浴びながら、エアコンの壊れたバスで移動いたしました。
2日間で、平和祈念堂、岡山出身者慰霊碑、ひめゆりの塔、沖縄県で唯一の日蓮宗寺院である法華経寺、波上宮、海軍戦没者慰霊之塔、などで、戦争でなくなった多くの方々への供養を行いました。
私が強く心打たれたのは、沖縄の芸術家、山田真山という方が製作された、平和祈念堂内にある平和祈念像です。
平和祈念像といえば、長崎にある洋風なたくましい男性のイメージがありますが、こちらは観音様のようなお姿をしています。素材はブロンズや石ではなく、漆が使われている、大変、珍しいものです。
沖縄戦で2人の息子さんを亡くされた山田さんが、平和への願いを込め、齢90歳を超えながらに執念を込めてつくられたこの像。前に立ち、見上げれば、今でもその思いの強さを肌で感じることが出来ました。
沖縄はレジャーやバカンスの地として有名ですが、もし行く機会があるのでしたら、こちらにも行かれることを強くお勧めいたします。

沖縄戦は、敵味方併せて20万人を超す人々が命を落とした戦いでした。
日本人は19万人ほど、アメリカ人は1万人ほどです。亡くなる本人もそうですが、家族を思えば、その4倍、5倍の方々を地獄の底に突き落とすような悲しみがあったと考えられます。
その悲しみを経験したご家族、ご遺族が、いつまでも、国際平和の名の下に、武器・弾薬に囲まれた暮らしを送らなければならない。
そのことを考えると『基地を無くせ!』と沖縄の方が訴えることは当然のことではないかな。と感じます。

亡くなった方々の慰霊には、お経やお題目が大切です。
また、我々が今ある平和を維持していくことも大切な慰霊ではないだろうか。と思います。

時をさかのぼること1951年。
日本が敗戦を迎えた後、サンフランシスコにおいて結ばれた平和条約がありました。
この席で、スリランカ政府の大統領、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナはお釈迦様の言葉を引用して、戦勝国に日本への賠償責任放棄を訴えました。

法句経の第五に書かれてある有名な言葉です。
「この世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」

この言葉が正しいのか、歴史を紐解いてみましょう。
第一次世界大戦によって、ドイツは敗戦し、各国への多額の賠償金の支払いから国内は混乱、右翼主義の台頭によりナチスが生まれ、第二次世界大戦へと突入。軍人が約2000万人、民間人は約5000万人亡くなりました。
近年では、ニューヨークの貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突っ込み、多くの犠牲者を生みました。それを契機にアメリカの中東介入が強まり、ありもしない大量破壊兵器をでっちあげ、イラク戦争へと突入しました。
そして現在の収集がつかない中東状況は誰もが知るところです。

やはり歴史から見ても、このお釈迦様の言葉に疑いはありません。
皆が持っている怨みを捨てていくことが、平和への道です。
しかし「怨みを捨てる」と言葉にするのは簡単ですが、実践するのは大変に難しいことです。

怨みは何年経っても人の心に住み着いています。
誰にでも、10年経っても、20年経っても「あの時、あの人がああ言った」「あの人に、あんなことをされた」と思い出しては、怒りを覚えることがあるでしょう。
そんなことを思い出しても何も生み出さないのに、と考えても、浮かんできてしまう。

どんなに頭で理解出来ても、実践できないことは、修行によって克服するしかありません。
その修行を実践するには、「怨みを捨てる」という言葉を「怨みを成仏させる」という言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれません。
お経やお題目を唱え、行動によって、ご先祖様だけでなく、自身のもっている怨みの感情も成仏させる。
このことによって、世界中の怨みは少しづつ減っていくのではないでしょうか。

話が戻りますが、平和祈念公園の中に、平和の礎(いしじ)といって、戦争で亡くなった方々のお名前が刻まれた墓碑が並んでいます。
その中には、日本人だけでなく、アメリカ兵の方々のお名前も刻まれています。
敵国の名前まで刻まれた慰霊碑というのは世界の中で、ここだけと言われています。
そのアイデアを出された方・賛成された方々は、おそらく怨みの感情を成仏させた方なのでしょう。
素晴らしいことだと、尊敬いたします。

平和は、大袈裟なところにはなく、私達の日々の積み重ねの上にあると思います。
今日も一日が始まりますが、何もない一日一日の積み重ねが平和ということです。

この何もない日々を大切にし、重たい心の怨みを捨て、素晴らしい人生を歩んでいきましょう。

本日の担当は、和気町藤野にあります實成寺副住職 若佐臣でした。
南無妙法蓮華経