本日は、備前市妙圀寺、平野泰真がお話させていただきます。
先月の11月14日に、私の寺で法燈継承式を行いました。法燈とは法の燈、法律の「法」という字に、火編に登るとかく、「燈」という字で「法燈」といいます。
法の燈、み教えの炎と申しましょうか、お釈迦様、日蓮上人の教えを炎にたとえ、その炎を消すことなく、次に次にと受け継いでいき、継承していくという式であります。
この度は、私の父より、私に、法燈が継承されました。
また、この式の中で「払子継承」という儀式があります。この「払子」とは、寺の住職であるという意義を示す仏具で、塵などを払うという「払」という字に子供の「子」と書きます。動物の毛でできた、筆のような箒のような仏具であります。もともとインドでは虫を殺さずに払いのけるための道具でしたが、変じて、不浄を払うというもので、住職の意義を正すために用いられます。お茶をされる方はみたことがあるかもしれません。
これを、父より手渡しで、私に継承します。
これを渡すことによって、住職としてのすべての権限、責任を渡すことになります。
普通であれば、無言で厳かに行われるのですが、父はそこで、次のようなお経文を唱えます。
「一心欲見仏、不自惜身命」「一心合掌、瞻仰尊顔」「南無妙法蓮華経」
これは一心に仏様を求め、命を惜しまず仏様にお使えしなさい。
一心に合掌して、仏様をお慕いしなさい。
というお経文の一節です。
しっかり、お経を読んで仏様の教えを求め、しっかりと住職としての責任を果たしなさいという、メッセージでした。
またこの式にあたり、連日の準備をお手伝いいただいたお檀家様、また皆様が本当に一生懸命に考えて準備して下さるそのお姿に感激いたしました。当日も多くの方にお参りいただき、本当にありがたく、この式を終え改めて、「がんばっていかねば」、と心した次第であります。
岡山県内、または全国に、何千何万というお寺がありますが、各々、栄枯盛衰、いいとき、悪い時、苦しい時といろんな時代があったと思いますが、時の住職、またお檀家様、ご信者の方が、必死にお守りされて、今も仏様の教えが守られている。また自分もその長い歴史の一部分になるということを感じた次第であります。

ときを同じくして、12月2日、東京にある大本山池上本門寺様でも法燈継承式がおこなわれ、住職の交代の式である晋山式が行われました。この池上本門寺は日蓮聖人が亡くなられた場所に建ったお寺で10月13日が日蓮聖人のご命日ですが、前日の10月12日の夜にはお会式万灯講といい、太鼓をたたき、明かりをともし、にぎやかにお参りいたします。毎年30万人ほどの人が集まり、地域のお祭りとして定着しております。この度住職になられる、菅野日彰上人という方は、今年で78歳になられますが、私の大学時代お世話になった学寮の寮監先生でもあり、その後、静岡にお住まいになられた時には、3年間、住み込みで修行させていただいたご縁のある方で、私の恩師であります。
この菅野上人に事前にお祝いのご挨拶に伺ったとき、つい路線をはずれ、私事を話してしまいました。
といいますのも、
私には、家内と3歳と1歳になる子供がおります。
中々と手のかかる年頃でありまして、朝昼晩と手をやいております。
家内は一般の家から嫁ぎ、右も左もわからないままお寺に入り、いろいろと慣れないことが多くあります。時にはイライラし、思い通りにならないことばかりで、その上での子育てですので、毎日と落ち着いてはいられません。
そんな中での私の法燈継承式が重なり、頭の中は、パニックでございます。ただでさえ、私以上に責任感の強い家内は、その日から住職夫人となります。今までと、なんら、やることは変わらないのですが、いちお、あらゆる責任が自分に任されると考えるだけで、押しつぶされそうになります。
私の「そんなに頑張らなくていいぞ」という、優しい心遣いも、「なんでそんな無責任なの?」と一喝です。まだ結婚して、四年ほどですが、中々仕事という仕事がどんなものなのかわからず、毎回のお寺の行事で、新たな発見をする毎日です。
そんな中での法燈継承式でしたので、家内が困るのも当然であります。
菅野上人にカクカクしかじか、中々大変であります。とその話をさせていただきました。
そうしますと、菅野上人はこうおっしゃられました。
「毎日本堂に行って、お題目を100回おとなえしなさい。朝でも夜でもいいから。
そうしているうちに、仏様をおしたいし、お守りしていく思いが生まれてくる。
人は苦労しないと、その有難さはわからないよ。だからがんばりなさい。
あとは、お前が味方になってあげること!」
と、話してくださいました。
ありがたいひと時でありました。家内とともに頑張っていこうと思った次第であります。
12月2日、菅野上人の晋山式は多くのお坊さんや、檀信徒の参列の中、盛大に行われました。
菅野上人は、「お坊さんはお経と布教と掃除」という話をされます。
常日ごろお坊さんが頑張らなければいけない三本柱としてお経と布教と掃除が大事だということです。私にとって、
お経は、読めないお経をしっかり練習して、読めるようにする。
布教は、多くの方に仏様の教えを説いてその素晴らしさを知ってもらう。
掃除は、境内やお堂を常に綺麗にしておく。
と、大変納得のいくお話でありました。
しかし、この度の晋山式で菅野上人は次のようにおっしゃられます。
「今までお経と布教と掃除の三本柱でやってきましたが、もう一つ。
お経は報恩の誠をささげる。
布教は自分の背中、自分の姿で物語る。
掃除は心の垢を取り除く、
そういう心持でやっていく」とのことでした。
私とは、まったく違う遥かな境地のお話で、ただただ自分の未熟さを感じました。
今後とも、少しづつでも精進していければと思います。
12月も半ばを迎えました。なにかと忙しく、すぐに時間が過ぎてしまします。
年末のお忙しい中、どうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。
本日は備前市妙圀寺、平野泰真がお話させていただきました。