RSKラジオをお聴きの皆様、おはようございます。今朝は東備北端に位置します赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職、堀江宏文がお話いたします。
先日、今年の寒修行が無事に終わりました。私のお寺では、一年で最も寒さの厳しい小寒の入り日の1月6日から大寒明けの2月3日まで、毎晩7時から行っておりました。団扇太鼓を手に、お経を読み、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて、家を一軒一軒拝みながら、町中を歩く寒修行。冷たい風が吹きつける日もあれば、雪が舞い散る中を歩くこともありました。出発前は、寒さで手がかじかみ、体が震えるなか、お寺をあとにしますが、約一時間、拝む地区によると一時間以上の寒修行を終えた頃には、体の芯まで温まっています。今年は29日間、延べ723名の方が熱心に参加され、一日も休むことなく皆勤された方が16名おられました。皆様方のご信仰に感謝しております。
寒修行に参加される方は、ご自身の信行の心を養うことはもとより、家族の所願成就や地域の安泰を願って参加されます。夜道ゆえ足元に不安を感じられる方は、家のご仏壇の前で唱題行を勤めておられます。また、お子さんやお孫さんと一緒に拝んで下さる方、家の前に出て私たちが通り過ぎるまで、合掌して一緒に拝んで下さる方もあります。まさにこの時節は、皆様が唱えるお題目の声と団扇太鼓の響きが地域全体を包み込んでいます。
ラジオをお聴きの皆様も今年の年頭には、神仏に色々な願いを祈られた事と思います。祈願の内容は人によって様々です。自分のことを願う人、家族のことを祈る人。たとえば、現在かかっている病気が治るようにと「当病平癒」。病気にかからないように、健康を維持できるように「身体健全」。健康だけではなく、交通事故にあわないように「交通安全」。商売や事業が順調であるように「商売繁盛」。子供や孫の行く末を考えて「受験合格・良縁成就」。さらには、家内安全等々、限りがありません。考えてみますと、神仏への願いというものは、人の欲望の数だけあるはずです。なかでも誰もが等しく願っていることは「幸せになりたい」「幸せであり続けたい」ということです。つまり、人生の幸福を願っているわけです。
以前、第一生命経済研究所による幸福感に関する意識調査がありました。「幸福度を判断する際に重要視するものは?」という問いに対して、最も多い答えは「健康」でした。続いて「経済的ゆとり」「家族関係」とありました。皆様は何を重要視されていますか?
そこで、多くの人が関心を持っている健康について考えてみたいと思います。誰でも「健康であり続けたい」と願っています。健康を害してしまうと何を食べても美味しくありません。自分の力を発揮してはたらくことも、遊びに行くことも出来なくなってしまいます。病魔に襲われず、肉体に苦痛がないようにしたい。ですから、人が等しく願ってやまないのは我が身の健康です。ジョギングが良いと聞けば早速走り、ウォーキングの方がより良いと聞けばその通りにする。新聞のチラシにはほぼ毎日、健康に類する食品やサプリメントが紹介され、テレビで放映されると一も二もなく信じ込むと言った具合で、まことに心もとないことこの上ありません。
そもそも健康の「健」とは「すこやか体」のことを言い、健康の「康」とは「安らかな心」を指します。つまり「健体康心」のこと。「すこやかな体と安らかな心」、この二つがそろってはじめて健康と言えるわけです。ところが私たちは「すこやかな体」の方には熱心ですが、「安らかな心」の方は忘れてしまってはいないでしょうか。もしくは、はじめから別のものと考えているかもしれません。
岡山県の出身で、実業家・財界人でありながら、つねに質素な生活を送り、贅沢を嫌ったことで知られる土光敏夫さんは、熱心な「法華経」の信者でした。その土光敏夫さんは、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という有名な格言について、
これだと、からだが丈夫なら、自らの精神も立派になる、と受けとれる。ところが、肉体的にすぐれた人間、必ずしも立派な人間とはかぎらない。からだが健全でも、精神の不健全な人はいくらでもいる。だから私はこの格言を逆にして「健全なる肉体は、健全なる精神に宿る」とするほうが正しいのではないかと思う。自分のかなり長い人生体験からして、どうしてもそう思える。
と語られています。人にとって心と体とは一体ですが、体よりも心の方が本です。植木に肥料をやる場合にも同じです。枝や葉にやったのでは何にもなりません。やはりこやしは根本に与えるべきものです。私たち人間もそうです。肉体という姿・形ばかりに執着して、育てるのではなく、心を培うことが何よりも先に行われるべきです。
日蓮聖人は、「蔵の宝より、身の宝、身の宝より、心の宝第一なり」とお教えです。私たちがおろそかにしている事を明確にご指摘されておられます。
生活にはとにかくお金がかかります。右を向いても左を向いてもお金なしに生きて行くことは出来ません。ですから「蔵の宝」は大切です。さらに「身の宝」に気づいて、散歩や健康食品に関心を寄せている私たちですが、肝心要の「心の宝」を忘れては、本当の健康を確保することにはならないのです。ではどうやって「心の宝」を養ったらよいのか。それはご家族全員での祈りの実践しかありません。人は感謝の心、お陰さまという謙虚な心を大切にする一方、他人への怒りや疑い、嫉妬の心を抱いてしまうことがあります。その独りよがりの思いが原因で、本来の心の輝きを失ってしまうのです。この心の闇を破るために信仰が必要なのです。
日蓮聖人は「ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、是をみがくとは云うなり」とお教えです。お題目をお唱えすると心が磨かれて闇が払われ、心が清浄になるのです。磨かれた心こそ、健康な安らかな心となるのです。お檀家の皆様と勤めた一か月間の寒修行は、すこやかな体づくりはもちろん、安らかで清浄な心づくりの両方を養うことが出来る有り難い修行なのです。
皆様も是非、心静かに合掌してお題目を唱え、いつも心が穢れないように、社会の悪縁に染まらないように、お題目の信仰生活をお過ごし下さい。お題目の祈りの実践が心と体の健康を得る唯一無二の道であるのです。
今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職、堀江宏文がお話いたしました。