皆さまおはようございます。今朝もお元気でお目覚めのことと存じます。今朝は岡山市北区建部町日蓮宗成就寺広本栄史が放送いたします。

今年は戦争が終わって70年になります。各地でいろいろな催しが行われています。
戦争は4年間でしたが、その傷跡は70年経過した今日もいろいろと残っております。特に広島、長崎の被爆者の方々の苦痛は大変な苦しみです。
私が小学校4年生の時終戦となりました。戦争中の授業は毎日のように竹槍を持って行き、麦わら人形で米国大統領ルーズベルトやチャーチルの姿を作り、それに向かって竹槍を突き刺す訓練でした。米国が来たら、竹槍で突き刺さないと殺されるぞ、と教育されたものです。食料は無く、お寺には田んぼも無く、米や麦が作れません。お寺の庭を耕して芋や、豆、かぼちゃなどを作り、代用食にしていました。学校のお弁当はサツマイモ1個だけが再々でした。友人が日の丸弁当を食べていたのが羨ましく、いまだに同窓会のときに話します。
戦争中、小学校の校舎の半分位兵倉代わりに使われていました。
昭和20年6月29日、岡山の街にB29により爆弾が投下され、一夜にして多くの家が焼かれ、多くの人が亡くなりました。そして20年8月15日、日本は戦争に負けました。同時に米軍が進駐して来ました。小学校にいた兵隊さんたちにピストルを突きつけ、銃を校庭に集めさせ、それに火をつけて焼いてしまいました。それを窓越しに見ていた私は、今でもその光景が忘れられません。敗北の哀れさをしみじみ感じました。戦争は絶対反対です。戦争の名の下に多くの人が殺し合い、食べ物も着る物も住むところも無くなり、苦しい悲しい毎日でした。子供ながらに戦争体験をしました。
今日友人殺し、隣人殺し、人間の心が殺伐となり、本当に悲しい現実です。まるで戦争中のような心の人々が増えているように思えます。
去る2月20日川崎市多摩川の河川敷で中学校1年の男子を友人3人が刃物を使って首などを突き刺すなどして殺害した。3人の遊び人グループから抜け出そうとしたが反発をかい、反対に暴行され殺害されたとのことです。早く助け出せなかったのが可哀相でした。
ロシアのプーチン大統領がウクライナのクリミア半島を併合する過程で、欧米からの妨害に対抗するため核兵器を使用できるような準備を検討していたと述べた。
広島県原爆被害者団体協議会副理事長箕牧智之さんは3月16日、プーチン大統領が核兵器使用に言及したことについて「身震いするほど怖い話だ」と、冷戦時代に戻ったかのようだと話していた。
又、長崎県原爆被爆者協議会の山田拓民事務局長は、「核兵器をなくすという運動が通じなかった。被爆70年の節目の年に、新しい課題が生まれた」と話していた。
昔から向こう三軒両隣といって仲良く助け合って生活していくのが人間社会の道とされていた。仏さまは「娑婆とは忍土なり」とおっしゃっています。お互いに自分の我を通したら争いは絶えません。我慢し合うところに人間の助け合いの心が生まれ、和やかな生活があると思います。
先般、韓国アメリカ大使 リッパーさんが韓国人の男に刃物で切りつけられ頬などに重症を負った。約11センチの傷で80針縫った。3月10日にソウル市内の病院を退院した。退院に先立って行われた記者会見では「ツイッターや手紙などで寄せられた韓国の人からのメッセージに感動した」と繰り返し、「今回の事件で韓国に対する愛情はさらに大きくなり、米国と韓国の信頼も強くなった」と述べていた。韓国語で「一緒に行きましょう」と呼びかけていた。事件直後の冷静な対応や「キムチを食べると力が出る」といった病院での発言などを通じて、リッパーさんへの好感度が上昇した。「雨降って地固まる」と米韓関係の発展にさらに努力する姿勢を強調した。とのニュースを見て「娑婆とは忍土なり」の言葉通り、冷静な対応に感動いたしました。
原始経典の「阿含経」に「七仏道戒偈」と称して、過去にこの世に出現された七仏が説かれた、人間の生きるべき規範が次のように記されています。「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其憲、是諸仏教」  
(もろもろの悪をなすことなかれ、多くの善行を行ぜよ。自らの心を浄らかにせよ、これが諸仏の教えである)つまりこの経文のように仏教倫理の根本は「悪をなさず、善を行う」ことにほかなりません。そしてそのように生きるには、自分の心を浄める修養が大切なのです。そのことによって人格が磨かれて、なすこと、口にすること、思うことの全てが真理にかなったものとなり、そこに何ものにも妨げられることのない絶対の安らぎの境地がひらかれる、それが煩悩を絶ち尽した悟りの境地なのです。
その仏教倫理を個人の内部にとどめおかず、個人から出発して家庭に、社会全体に、世界中の人々に積極的に説き広め、この世にすべての人々が睦み会う真の平和、真の幸福を実現しなければならないと思います。それがみ仏の本願であると思います。したがってそのみ仏の本願を成就するためには個人の平安に安住していては望むべくもありません。苦を抜いて楽を与える、すべての人に菩提心を発してもらわなければこの世に仏国土を打ちたてることは不可能です。
東日本大震災から4年目を迎えました。死者15,891人、行方不明者2,584人。その追悼式が3月11日東京国立劇場でありました。遺族代表宮城県の19歳の菅原彩加さんは「15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。」濁流にのまれ、気がつくと瓦礫の山の上だった。足元から低い声が聞こえた。「…さやか…」母の理子さんだった。「釘や木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。瓦礫を除けようと頑張りましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう。大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かした。彩加さんは声を震わせ「失ったものはもう戻ってくることはありません。悲しみが消えることもないと思います。しかし前向きに頑張って生きていくことが亡くなった家族への恩返しだと思い、生きていきたい。」と。4月から大学に進み、防災学を学ぶとのことです。正しい目的に向かって、現在を精一杯に生きる生き方、それが自分の命を全的に生かす生き方であり、永遠普遍の仏のいのちを生きる生き方にほかなりません。したがって毎日仏さまの前に座って、今日一日の自分の生き方を振り返ってみることをお勧めいたします。そしてその日の自分の生き方が満足できるものであったら、仏さまにお陰様で今日一日豊かに過ごさせていただき有難うございました、とお礼申し上げるのです。逆に自分自身の言動に思いやりを欠くところがあったら素直に反省し、どうぞ私にもっとお力をお貸し下さい、と念ずるのです。その感謝と反省が、自分の心をいつもみずみずしく浄らかなものに蘇らせてくれ、明日への意欲を沸き立たせてくれるでしょう。
今朝は建部町日蓮宗成就寺広本栄史でした。