皆様おはようございます。今朝は瀬戸内市長船町福岡にあります日蓮宗妙興寺の住職、岡田行弘(ぎょうこう)がお話いたします。
 このところ、わたくしが住職をしております長船町福岡の妙興寺は、観光や見学に来られる方が、たいへん増えております。数人のグループの方もあれば、観光バスで県外からはるばるお見えになる団体もあります。 
と申しますのも、別のテレビ局の番組の話題で恐縮なのですが、NHKで日曜日の夜に放送されております大河ドラマ、「軍師官兵衛」の影響だと思われます。ドラマの主人公である黒田官兵衛は、優秀な軍師であり、豊臣秀吉が天下を取るときに、その片腕として活躍した参謀です。息子の長政は、九州の福岡の大名となりました。
ご存知の方も多いと思いますが、備前福岡は、黒田家ゆかりの地であります。黒田官兵衛は1546年、播磨の国、姫路で生まれました。黒田家の記録によれば、官兵衛の曽祖父(ひいおじいさん)である黒田高政は、近江の国、今の滋賀県から備前の国にやってきて、この福岡に住んでおりました。
鎌倉時代から室町時代にかけて、一遍上人の絵伝に見られるように、福岡という所は、市場町として非常に繁栄しておりました。官兵衛の曽祖父、黒田高政は1523年ごろ亡くなり、そのお墓は、妙興寺の境内に残っております。高政の息子の重隆は、福岡で成長し、30歳のころ、息子の職隆(もとたか)を連れて姫路に移ったといわれております。ドラマでは柴田恭兵さんが、黒田官兵衛の父であるもとたかの役を熱演しておられます。

 九州の福岡はもともと博多という地名でした。江戸時代の初め、黒田家が大名となってかの地に城下町を作った時、先祖のゆかりの地、備前国の福岡にちなんで、武士の町のほうを「福岡」と命名したといわれております。
 このようなわけで、今、長船町福岡は時ならぬ観光ブームを迎えております。地元では十数人のボランティアガイドの組織を立ち上げて、観光客や見学の方々の案内や史跡の説明をしております。
また福岡地区におきましては、6年余り前から、毎月第四日曜日に、定期的に福岡の市を開催しております。特に4月と11月には、通常よりスケールアップした大市となります。さる4月27日の大市には、50件近くの食べ物や特産品を売るお店が並び、大変な賑わいでした。
 私は、福岡の市の日には、毎回辻説法をしております。午前9時から10分間ほどの短い時間ですが、仏教に関連することをお話しております。この4月で72回になりました。今朝は、そのとき、「平常心」というお題で行いました辻説法の一部をお話しすることといたします。
 
 よく平常心ということを耳にします。緊張したり、慌てたりしないで、落ち着いて物事に対処する、その気持ちを平常心といいます。誰かが大きな仕事や試験に臨む時、「平常心でやれば、きっとうまく行きますよ」などと言って、励ましたりします。
考えてみますと、心というものは、なんとも不思議な存在です。私たちの心は、常に変化し、移り変わっています。自分のこころは、自分の所有物のように考えがちですが、実際には自分の思うとおりにならないことが多いと思います。何かに集中しなければならない時に、注意力が散漫になったり、あるいは逆に、どちらでもいいようなことが、気になって仕方がない、ということは、しょっちゅう経験することです。
仏教においても、このような心というものについて、様々な教えが説かれています。『ウダーナ』という初期の経典には、次のようなブッダの言葉があります。

  「心は、とらえがたく、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば安楽をもたらす」

自分の心は、とらえがたく、ざわめき、あちこちにむかっていく、自分の思い通りにはならないものである。そのような勝手気まま心をおさめることは、善いことだ、とブッダは教えています。すなわち、ざわざわと動き回る心をおさめて、うまくいい方向にコントロールしなさい、そうすれば安らかになりますよ、という教えです。
また、梵語では、心をチッタといいますが、これは「積み重なった」という意味です。つまり、過去の経験が積み重なり、蓄えられているところが、私たちの心であるということです。人は生まれたとき、その心は白紙の状態といえますが、そこに様々な体験・経験が書き込まれて、次第に一人一人の心が形成されていきます。心の中には、様々な経験が積み重なっているわけですから、その中には善もあれば、悪もある、様々な要素が混じり合っています。完全な善人も、また完全な悪人というのはありません。いい人であっても時と場合によって、罪を犯すこともあります。

仏教的に申し上げれば、自分の心の中には、仏の世界から、地獄の世界まで、様々な段階が、存在しているのです。人の心は悪にも染まりますが、反対に優しく慈しみにあふれた気持ちなることも多いわけです。困っている人に対しては、自分の事は後回しにして、助けようとする、そのような善き心を持っている人も大勢いらっしゃいます。つまり、私たちは、自分の心の中に、必ず、わずかであっても仏の心、仏の世界を持っていると言えるでしょう。このように自分の心のありかたをよく見極めていき、仏の心を少しずつでも増やしていくことが、大切だと思います。
仏教の実践方法として、昔から、座禅や瞑想、また仏を念じるというような方法が行われてきました。これらに共通する基本的な考え方は、心を平静にして、物事を正しくありのままに見るということです。それを繰り返えして練習することによって、特定の対象に対する執着、こだわる気持ちから自由になることができるようになる、と教えられております。
 日蓮聖人は、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」という言葉を残しています。「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」、これは、自分の心の師=先生になりなさい、自分の心を師=先生にしてはいけません、という意味です。自分の心は、勝手気ままに動き、欲望や不満にさいなまれている、そのような心を先生にしてはいけません、そうではなく、自分の心をよく見極めて、心を正しい方向に導く先生になりなさい、と教えているのです。
 平常心というのは、急に身に付くものではありません。繰り返し練習することによって習得されると思います。自分の心に責任を持ち、心をより良い方向に導く先生になりたいものです。

 本日の担当は、瀬戸内市長船町福岡の日蓮宗妙興寺住職、岡田行弘でした。