RSKラジオ・仏教アワーをお聞きの皆様、おはようございます。
本日は、日蓮宗岡山市妙龍寺、松下祥真がお話させていただきます。

3月も中旬となり、学校では卒業シーズンですね。
多くの方は、卒業を迎えた、その次には新しい生活が待っているのではないでしょうか。
また、この春から就職でお勤めが始まる方も多いと思います。
これからがんばるぞ!と、やる気と希望に満ちて出勤される方が多いことでしょう。
それでも、中には、そんな決意の方々であっても、毎日をこなす中で、業務における組織の考えと、自らの考えとのギャップに戸惑ったり、上司同僚との人間関係に悩んだり、通勤渋滞、満員電車のストレスだったりと、思い通りにならない困難を抱えてしまうことも多いです。
一生懸命やっているのに、うまくいかない、結果が出ない、このままでいいのだろうかと思い悩んでしまう人も多いのではないでしょうか。
どのような方も自分の日常をよりよく生きたいと思うものですが、思い通りにならない現実があります。

私にも、毎日を一生懸命にやっても結果が見えず、それでも続けなければならない苦しさを実感したことがあります。
以前、私はピザのデリバリーのアルバイトをしていました。好きなバイクに乗れるからと選んだそのアルバイトは、お客様から受けたご注文のピザをバイクに乗って宅配する仕事です。バイクに乗るので、安全運転はもちろんなのですが、接客も大変重要な仕事でありました。人と話すことがとても苦手な私でしたので、接客の厳しさを痛感した仕事でもあります。
基本は30分以内お届けというお店でしたので、ご注文を受けてから、調理スタッフがピザを作り、焼きあがる間、配送スタッフは地図を見て、最短最適ルートを考えます。そして、安全運転第一でお客様のお宅にお届けにあがります。これが30分以内、というのが基本で理想です。
しかし、大半がこのような理想通りにはいかないのです。週末やイベント時期になるとご注文がとても混み合います。そんな時はあらかじめ、30分ではなく、60分や90分お届けとのご案内も行うのですが、やはりお客様にとっては早くアツアツのピザを届けて欲しいものです。そのように混みあったとき、配送スタッフは一度に複数のお客様を担当します。各住所を暗記し、一番効率のよい配送ルートを考え、たくさんのピザを持って出発します。時間との戦いですが、どんな時でも渋滞の車の横をすり抜け禁止、安全運転の徹底。さらには台風や大雪など悪天候での配送は素早さを減速させ、肉体的にも精神的にも追い詰められます。
やっとお客様のお宅にたどり着いたのも束の間、「どんだけ待たすんなら!」とのお叱りが飛んできます。ありったけの誠意を込めた言葉を自分の中から必死に搾り出し、お怒りのお客様に精一杯謝罪します。
謝罪も虚しく、「もうオメーらんとこには頼まん」とドアを締められることもあり、期待に応えられなかった悔しさは今でも覚えています。
そのように混み合うことが多いお店でしたので、毎日が必死でした。こんなにもキツイ仕事なのかと、デリバリーの仕事を甘くみていた自分を後悔し、どうにもならない悔しさと辛さでアルバイトに行く足が重い日々でした。
先の見えない毎日を、それでも迎えてお勤めしなければならない現実があります。

しかし、どんな毎日でも一生懸命過ごし、日々いろいろなことを感じて生きること自体が尊い姿であると仏教では説かれています。

仏教を象徴する花として、蓮の花、蓮華が用いられます。この蓮華は、花と実が同時につくという特徴があります。通常の花ですと、花が咲いたあとに実がなるものですが、この蓮華は花と実が同時につきます。このことがお釈迦様の教えと同じなのです。
なぜかといいますと、「花」はお釈迦様のご修行にたとえられ、「実」はお釈迦様のお悟りにたとえられます。私たちは「花」の後に「実」がなるのと同様、「ご修行」の後に「お悟り」があるものと考えがちですが、実はそうではないのです。「ご修行」と「お悟り」は別々ではなく、同時に存在するものであるというのがお釈迦様の教えなのです。ご修行を懸命に行う姿の中には、すでにお悟りの心が存在しているのです。
さらには、私たちの日常とお釈迦様のご修行は全くの別物と思ってしまいます。しかし、そうではなく、私たちの日常の姿、悩み苦しみの多い毎日を一生懸命おつとめする姿こそが、お釈迦様と同じ尊いご修行の姿であり、同時に、尊いお悟りの心が存在しているのです。決して限度を超えて自分を追い込むというわけではありません。心の豊かさを得るための仏教です。お釈迦様の目から見れば、私たちの姿こそがそのまま仏様の姿であり、私たちのいる世界こそが仏様の世界であるとおっしゃっておられます。

そうは言われても、とてもすぐには信じられないことです。今の私たちには、日常は苦しみ多い世界としか感じられませんし、こんな自分がそのまま仏様だなんて簡単に思えません。ところが、実はその通りでよいのです。なぜならこのお釈迦様の教えは理解することがとっても難しく、信じることもとっても難しいよ、とお釈迦様ご自身がそうおっしゃっておられるのです。私たちには、日常が仏様の世界とはとても思えない、自分に仏様の心が存在しているなんて思えない、そう思うことは当然なのです。

では、どうすればよいのでしょうか。それは、お釈迦様の本心の教え、妙法蓮華経を選び取られた日蓮聖人が教えてくださいます。私たちが、お釈迦様と同じ目で見ようとするには、「信じる」という行いで、私たちに足りない仏様の智慧に代えることが出来るのだとおっしゃっておられます。私たちの理解では到底及ばない、お釈迦様の見方を「信じる」という行いを以て代えることができるのです。
しかしながら、よく知らないもの、わからないものを素直に信じることができないのも私たちです。かつての私もそうでした。けれども、仏教のこと、お釈迦様や日蓮聖人のことを知れば知るほど、教えの素晴らしさを感じることができました。と同時に、知れば知るほど教えの難しさ、信仰の重要さも感じました。日蓮聖人は、教えの内容が十分に分からずとも、お釈迦様を信じて、法華経という教えを信じて、お経やお題目の南無妙法蓮華経をお唱えすることにより、お釈迦様と同じ徳、同じ心をいただけるのだとご教示下さっています。
「本当かなぁ〜」と思ってしまうところですが、まずはお釈迦様の本心の教え妙法蓮華経に触れてみてください、それが真実の道への第一歩です。

最後に、がむしゃらに仕事をこなしても空振りばかりと感じる私の経験でしたが、それでも、喜びを得ることもできました。
ピザを受け取ってくださるお客様から、笑顔と感謝の言葉をいただくと、また頑張ろうという気持ちで出発できました。そして、お客様の笑顔のためにただひたすらピザを届けていました。いつしか、お客様と話すことが楽しみとなり、人と話すことがとても苦手な私でしたが、気づけば、人と話すこと自体が楽しみとなっていた自分がいました。

苦しさ、悔しさの中でもがき、悲しさに心打ちひしがれてこそ、魂を磨くことができ、成長できます。一生懸命にこなすことで見えてくるものがあります。
日常を懸命に生きる中にこそ真実があるということを、現実で実感できるよう、共に精進して参りましょう。

本日は日蓮宗岡山市妙龍寺、松下祥真が担当させていただきました。
ご聴聞誠にありがとうございました。