おはようございます。本日は、岡山市北区船頭町 日蓮宗妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げます。
 朝晩めっきりと冷え込み、紅葉の便りが聞かれるようになってきました。秋色一段と深まってまいりますと、私ども日蓮宗寺院では、「お会式」の季節を迎えます。「お会式」は「お講」とも申しますが、日蓮聖人のご命日を偲ぶ報恩法要です。
 岡山市内中心部の日蓮宗寺院では、毎年11月13日は、「お講めぐり」と称して、午前9時から午後3時まで本堂を開放し、どなたでもお参りいただけるようにしています。各寺院ごとに簡単なお接待もありますし、寺院巡り専用の御朱印帳も用意しています。晩秋の一日をのんびりとお寺巡りで過ごすのもいかがでしょう。詳しくはホームページをご覧ください。
 さて、新聞・テレビ・ラジオといったマスメディア以外に、最近ではインターネットでさまざまな情報を得ることができます。私のお寺でもホームページを設けて、このたびの「お会式」をはじめ年中行事などの情報をお知らせすることがあります。個人で情報発信のできる便利な世の中になりました。またインターネットのホームページや掲示板を見ていると、いろいろな面白い情報に出会うことができます。
 先日もちょっと目を引く見出しの記事を見かけました。「こどものころの躾が、将来の年収に影響する」という記事です。面白そうだなと思い読んでみたところ、なかなか興味深いお話でしたのでご紹介いたします。
 このお話は京都大学の西村和雄教授のグループが経済産業研究所から出した「基本的モラルと社会的成功」というレポートが中心となっています。
 経済学者である西村先生は、これまで長期にわたって、数学や理科の勉強と所得・収入の関係を調査してきました。その結果、小さいときの勉強で特に大切なのは国語・算数・英語であるとの実感を得られましたが、それらの勉強に加えてもう一つ大切なのは、道徳や規範であると考えました。
 西村先生は語ります。「道徳や規範は小さいときに身につけないと本当の意味で身につけることができません。大学生や高校生に教えてもあまり効果はないでしょう。最低でも小学校低学年までには教えるべきなのです。道徳というのは、考え抜いて出てくるものではありません。記憶の中に入っているものが、意識となり、物事を決めるときに道徳的に判断できるのです。だからこそ、まず知っていることが大切です。例えば『嘘をついてはいけない』のように知っておかなければならないことがあるのです。」
 つまり、道徳は潜在意識の中に記憶されていなければならないもので、小さいときに何度も言われたこと、いわゆる躾が道徳の基礎となっているとのことです。
 そこで、子どもの頃になされた躾が、その人の成人後の労働所得・年収に与える影響を調べたものが今回のレポートです。インターネットでアンケート調査を行い、約1万6千件の有効回答を得て、それを統計的に分析したものです。
 アンケートの質問は次のようなものです。「子どもの頃に周りの大人からよく言われたことで、今でも覚えていることをお答えください。」この問いに対し、8つの選択肢が用意されています。「@ルールを守る」・「Aあいさつをする」・「B他人に親切にする」・「C勉強をする」・「D親のいうことを聞く」・「Eうそをついてはいけない」・「Fありがとうと言う」・「G大きな声を出す」この中から回答者は、当てはまるものをいくつでも選ぶことができます。
 さてこの8つの躾の中で、特に成人後の年収に差が出たものが4つありました。どれだと思いますか。それは「うそをついてはいけない」・「他人に親切にする」・「ルールを守る」・「勉強をする」の4つでした。
 西村先生はこれらを「4つの基本的なモラル」と名付けました。その躾と年収の関係を見ると、4つの基本的なモラルの躾をすべて受けた者の年収は、どれか一つでも欠けた者の年収より約64万円多くなっていました。更に4つの基本的なモラルの躾をすべて受けた者と全く受けていない者とを比較すると年収の差は約86万円と広がりました。
 また西村先生は、躾が倫理的な判断にどのような影響を与えるかについても調べました。例えば、「他人に親切にしなさい」だけ言っていると、「急いでいる場合は、行列の途中に割り込んでもよい」との問いに対して、急いでいるのだからしかたがないと行列の割り込みを認める傾向が強くなったり、飲酒運転についても寛容になる傾向がでました。また、小さいときに「勉強しなさい」とだけ言われた人は、合理的になり、年老いた親の面倒を見なくてもよいと考える傾向が強くなります。
 つまり、4つの基本的なモラルは、どれか一つが欠けただけで倫理的でなくなってしまう可能性があります。ですから、子どものうちに4つの基本的なモラルをバランスよく、しっかりと覚えさせることが重要なのです。
 西村先生によると、「4つの基本的なモラルの解釈や意味を一緒に教える必要はありません。それらはあとから考えるものです。基本的なモラルは『種』です。その『種』がないとあとから考えることができなくなります。だから幼児期にしっかりと『種』を蒔く必要があるのです。大切なことは他にもたくさんありますが、基本がないといけません。『あいさつをする』という躾は「基本的モラルと年収」の分析では、年収に大きく差が出ないという結果が出ましたが、これはなにもあいさつが重要ではないと言うことではありません。あいさつは4つの基本的モラルを身につけてから教えるべきものだということです。大切なのは本質的なことです。」と示されています。
 なるほどと納得すると同時に、これは仏教で言う「六波羅蜜」の修行に通じるものだと思いました。六波羅蜜とは、「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の6つの徳目の修行のことです。
 「布施」とは金品をお寺に納める「財施」ばかりではありません。「無財の七施」とよばれる奉仕の実践なども布施の一つですから、4つの基本的モラルの「他人に親切にする」につながります。「持戒」とは戒律をたもつこと、当に「ルールを守る」です。そして、その持つべき戒律の中には「不妄語戒」すなわち「うそをついてはいけない」が含まれています。「忍辱」は耐え忍ぶことであり、「精進」は努力すること、「禅定」は集中することですから、「勉強をする」にすべてつながっています。そして、仏教ではこれらの実践によって本質的な「智慧」に至ると説きます。
 私たちが小さいときに身につけるべき4つの基本的モラルは実はすべて六波羅蜜の修行の中に含まれているのです。つまり仏教の中に人間の基本となる「種」があり、上手に育てることにより、見事な花を咲かせることができることでしょう。小さなお子さんの教育のためのみならず、私たちも日々の暮らしの中で、この六波羅蜜を心にとどめおき、生活できますよう努めたいものです。
 本日は、岡山市北区船頭町 妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げました。