RSKラジオをお聴きの皆様、おはようございます。今朝は東備北端に位置します赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職、堀江宏文がお話いたします。
私たちの人生は、人と物との出会いの連なりです。仏教ではこの出会いを「縁」と呼びます。縁なくしてこの世を生きている人は誰もいません。すべてのものは自分だけで存在するものではないからです。仏教ではこの道理を、すべてのものは縁って起こっていること、すなわち「縁起の法」と教えます。自分の命も生活も数限りない物や人のお陰によって成り立っているのですから、他者との関わりを避けては生きていけません。
私という存在を直接的に支えてくれている有縁の人や物、また間接的に支えてくれている無縁の人や物に対する感謝の心を忘れてはなりません。感謝の心は幸福の源です。仏教ではこれを報恩と教えます。恩という文字は、原因の因と心で出来ています。「原因を心にとどめる」「原因を知る心」ということを表しています。原因とは結果をもたらせる"もと(因)"でありますから、その原因が何であるかを心にとどめることが大事であります。
日蓮聖人は、「我が身は天よりもふらず、地よりもわかず、全体父母の肉身を分けたる身なり」とお教えです。私たちひとり、一人は両親の命を相続して生きています。自分が生まれる為に、どれだけの命の積み重ねがあったと思われますか?
先ず親が2人、祖父母は4人います。ここまでは誰でも意識できますが、曽祖父母は8人。曽祖父4人と曾祖母4人の名前はご存知ですか?さらに高祖父母は16人。このように二乗していきますと、十代前の先祖は1,024人いることになります。命はさらに遡ることが出来ます。皆様お気付きですか?そのうち一人でも欠けていれば、命のつながりは止まってしまいます。私がこの世に存在することは出来ないのです。
信仰生活の基本は、自分が受けたご恩に報いるところにあります。自分の命の因、生活の因に感謝することこそ、人としての真の振る舞いです。その身近なつとめが仏事法要であり、祈りであり、先祖供養です。したがって、毎日がご先祖様や有縁無縁に対する知恩報恩でなければなりませんし、またそれを怠ってはなりません。先祖への供養は子孫としての義務的行事ではなく、生きていることの喜び、生かされていることへの感謝から発する知恩報恩の営みであるからこそ尊いのです。
暑い夏、来る八月はお盆の月です。命の絆を確かめるお盆はご先祖様の月であり、私たちの月でもあります。普段、遠く故郷を離れて暮らしている兄弟姉妹や縁者たちが、お盆に向けて帰郷いたします。久しぶりになつかしい顔がそろうお盆。連れだって拝む先祖のお墓。掃除をし、お花・お供物を捧げ、お香を薫じて合わせる掌。さらにはお盆供養のお塔婆をお供えされる方もあることでしょう。
皆様も年回忌法要の際には、ご先祖様や有縁の諸精霊にお塔婆をお供えされると思いますが、そもそも何故お塔婆をお供えするのでしょうか。宗派によっては塔婆供養を行わないところもありますが、日蓮宗では、日蓮聖人が塔婆による供養を重んじられていたため、大切な供養とされております。
塔婆とは、古代インド語のストゥーパを漢字に書き表したいわゆる音写語で「卒塔婆」を略した言葉です。二千五百年の昔、お釈迦さまがご入滅されたとき、ご遺体は火葬にされ、八つの王国に分けられました。それぞれの王は自分の国に塔を建てて、お釈迦さまのご遺骨=舎利を安置して供養しました。
 鉢をふせたような型に土を高く盛り上げ、その上に傘蓋をかたどったものを建てました。これがストゥーパ(塔)と呼ばれるものです。
 当初、ただ土を積み重ねただけの塔に、お釈迦様を敬い慕う気持ちから直接地面に建てるのではなく、基壇を築きその上に建立していきました。またインドの気候は猛暑ですから、王や高貴な人には常に日除けの傘をさしかけます。その傘は、権威を象徴するものであり、塔の上に立てられている傘蓋も、これに由来しています。
 時代が経つにつれて、土を積み上げた塔は、徐々に高くなっていき基壇も二段、三段と次第に高さを増し、傘蓋の数も多くなっていきました。
 塔の型は、インドから中国へと伝わるにつれて、材質や様式も変化していき煉瓦や石、さらに中国では木造の塔も発達して、基壇も一重から十三重のものまで造られるようになりました。
仏教では、この宇宙の万物は、かたい性質(地)、湿の性質(水)、熱の性質(火)、動の性質(風)、そしてそれらを互いに存在させているもの(空)の五つの構成要素、「地・水・火・風・空」からなっていると説いており、これを五大、あるいは五輪といっています。
 この「地・水・火・風・空」の五つを「方形・円形・三角形・半円形・宝珠形」のかたちで象徴させて、塔の型の下から積み上げていったものが五輪塔です。皆様が年回忌法要やお盆・彼岸のときにお供えする板塔婆は、この五輪塔の型をうつしたものです。
特に日蓮宗では板塔婆の表にお題目を書き顕わし、その下に「二佛並座」と書くことがよくあります。これは法華経の教えに「法華経が説かれるところには、常にその教えが真実であることを証明するために、多宝如来が宝塔とともにあらわれて、釈迦如来をその中に招かれた」とあることにもとづいています。よって、お題目の書いてある板塔婆は多宝塔をあらわしているのです。
また、塔婆の裏にはお経文の一句を書き、写経供養の功徳を手向けます。法華経には「童子がたわむれにでも砂で塔をつくればそれでも仏道を行じたことになる」、「法華経の経文が説かれている場所は、そこがどこであれ仏の道場であるから、塔を建てて供養せよ」等と説かれています。
すなわち塔婆供養は、塔を建てる功徳と、写経供養の功徳との二つを、亡き人の追善供養のためにお供えすることになるのです。
日蓮聖人はお塔婆の功徳について「故精霊の功徳は無量であり、建てた人も現世安穏、後生善処(現世では安穏な生活をなし、後世では善い世界に生まれるという三世にわたる福徳)は疑いなく、またこの塔婆にふれ、合掌礼拝した人も功徳をうることができる」とお教えです。法要の時に建てるお塔婆は、亡き人に供養するためだけでなく、自らの仏道増進に資するためでもあり、その功徳は遠く本仏釈尊にまで連なっているのです。
現在の自分は先祖あっての自分であり、先祖の生きた姿であることを忘れてはなりません。私どもは、過去遠近からの様々な願いや思いを受け継いでいます。様々な恩を受けている身だからこそ、人の為にこの身を活かす生き方が大切なのです。
お塔婆は亡くなられた方への一通のお手紙です。今年のお盆にはどうぞご先祖様へ、有縁の仏さまにお塔婆をお供えし、皆様からのお便りをお届け下さい。
今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職、堀江宏文がお話いたしました。