おはようございます。
早朝より“仏教アワー”をお聞き下さいまして、ありがとうございます。
 私は、岡山県は北東部に位置します和気町から参りました、若佐英扇と申します。10分少々、宜しくお付き合い下さい。
 お盆まであと3日ですね。私たち僧侶は、この暑さの中、檀家さんのお宅を訪問し、お経を上げさせて頂いていますが、何でこの様な風習ができたか、少しお話させて頂きます。
 昔々、インドでのお話です。目連というお釈迦様のお弟子さんが、亡くなったお母様のお姿を一目見たいとお釈迦様にお願いし、お母様の死後の世界を見せて頂きました。するととんでもないことに、お母様は逆さ吊りの刑に遭っていたのです。目連はお釈迦様に「苦労しながら私を一生懸命育ててくれた母が何で逆さ吊りにされているのですか?どうやったら母を救えますか?」と尋ねました。お釈迦様は「お前のお母さんはお前を盲目的に愛したが為に、いくら困っている子供がいても、よその子供を助けることがなかった。自分の子供さえ幸せになればいいと我利我利亡者になっていた。だから逆さ吊りになっているのだ。助けたかったら、7月15日に夏安居があける僧侶達をもてなして、お母さんの供養をして貰いなさい。」と言われ、目連はお釈迦様の指示に従ってお母さんを助けました。
 これがお盆の始まりと言われています。ちなみに、逆さ吊りはサンスクリット語でウランバ−ナといい、ウランバーナが日本語的になまって盂蘭盆・お盆と言うようになり、旧暦7月13日から15日までが盂蘭盆・お盆の期間となりました。
 我が子のためにと身を粉にして育てた母親が、逆さ吊りとは!?朝ドラの“あまちゃん”ではないですが、「じぇ」がいくつあってもたりない感じがします。私も3人の子供の母親ですので「じぇじぇじぇ」の3乗は要りますね。
 この話を聞いた私達のご先祖様が「自分たちを育てるのにご先祖はきっと仏様の気に触ることをしたに違いない。逆さ吊りに遭わされていては大変申し訳ないことだ。自分たちがあるのはご先祖様のおかげだから。」と目連さんと同じように僧侶を家に迎え、ご先祖供養をして頂きだされたようです。それで先にお話致しましたように、我々僧侶はお盆までにご先祖にご供養をと走り回っている訳です。
 余談ですが、多くの檀家さんをお持ちのご住職は、8月1日〜12日までに檀家さんを回りきらないと気持ちが修まらないそうで、一日に60〜70戸を回るそうです。このお盆回りの為に、一年間足腰を鍛え、もちろん声もですが、体重も増やさないよう自己管理されているとか。
 我々は盆行・盆行と言いますが、修行以外の何物でもない過酷な日々を終え、盂蘭盆会・施餓鬼法要を迎えます。施餓鬼法要はお祀り手のいない御霊をみんなでご供養することです。我が家の仏様だけご供養するのでは目連のお母さんと同じ我利我利亡者になってしまいますから、お気の毒な御霊も一緒に供養させて頂こうと。これもご先祖様の考えられたしきたりでしょうね。
 さて、お祀り手のない御霊が、東日本大震災によって沢山できてしまいました。家族全員が海に呑込まれた家、幼い子供だけになってしまった家、福島のようにご遺体があっても立ち入り禁止でなんの手も打てない御霊。私は日蓮宗女性教師の会に属しています。去年から岩手・釜石市の仮設住宅を訪問させて頂いています。去年は集会所にカラオケを寄付し、少しでも元気を取り戻して頂こうと、皆で全国から送られてきたお菓子に舌鼓をうちながら、カラオケで楽しい一時を過ごして頂きました。この7月には4回目の訪問ということもあって、我々僧侶が本当にしたい・しなくてはいけない、亡くなられた方達の供養をさせて頂こうと、希望される方々に故人のお名前を書いて頂き全員でご供養させて頂きました。「家族は無事だったけど、友達の名前を書いても良いですか?」「直接の身内ではないが、義理の姉の家族の名前でも良いか?」など被災者の皆さまが大変喜んで下さり、『ああ、皆さんやはり故人を偲ぶ場所が欲しかったのだなあ』と実感しました。
 釜石市の根浜海岸にある宝来館という宿をいつも使わせて頂いています。ここの女将さんは震災直後から被災者を受け入れ、ニュース等にも時々その時の映像が流れていましたから「ああ、あそこ」と思い出して頂けるかもしれませんね。その宝来館の前に松林があり、この松林のおかげで津波は宝来館を直撃することはなく4階5階は無事に残ったそうです。その松林の前が根浜海岸。津波が来る前は海水浴場として有名なところで、宝来館の周りにはペンション・海の家・ボート小屋とたくさんの建物があったそうですが、使える建物は宝来館一棟だけとい現状です。
 私達は毎回、早朝から海岸へ出て海岸法要を行います。目の前の海に引き込まれた尊い人達のたましいに向かって一心に祈らせて頂くのですが、この穏やかな海が真っ黒い塊となって人々に襲いかかり、夢も希望も未来も消されてしまったのだと思うとボロボロと涙が出てきます。
 釜石の奇跡といわれた、小中学生達の津波から逃れた記録が絵本となりました。“つなみでんでこ 上へ上へ”という本です。そのお話の最後におじいちゃんが語ります。「人間は海から恵みを貰うばかりで、付き合い方を忘れていたのかもしんねぇ。」「命さえあれば、これから何だってできるものな。」と・・・。私には「人間は地球から恵みを貰うばっかりで、付き合い方を忘れていたのかもしんねぇ。」「いくら命があっても、地球が壊れたら何にもできねえ。」と読めました。経済発展一辺倒の人類に自然の力のすごさを思い知る被災地です。我が我がと人の心を忘れ、暴利をむさぼる人間にいつ何時、何が起こるか判りません。
 ご先祖様をお祀りするお盆が目前です。私達はひとりで生きているように思っていますが、何億というご先祖が一人欠けていても私という人間は存在しません。自分の身体すべてがご先祖様からの頂き物。お釈迦様は、「仏はみんな自分の中に持っているのだよ。その仏の存在に気付くかどうかなのだ。」とおっしゃっています。我利我利亡者では仏様の存在に気付くことはないでしょう。自利他利と言って自分も他人も一緒に幸せになる、そんなお気持ちで盂蘭盆会・施餓鬼法要をお迎えください。きっとご先祖様達が本当に幸せな生き方を示して下さる事でしょう。
 今朝は、和気町日笠の長泉寺より参りました若佐英扇がお届けしました。
 
※盂蘭盆会:ウランバナ(逆さ吊り)に由来し、転じて「逆さまに吊り下げられたような苦しみに遭っている精霊を救済する」という意味