RSKラジオをお聞きの皆様、おはようございます。 本日は岡山市北区西辛川の日蓮宗大覚寺住職、大野貴正がお話をさせて頂きます。
 さて、いよいよ始まりました、4年に1度のスポーツの祭典「オリンピック」。 今年は冬季オリンピックがご周知の通り「ロシアのソチ」で行われます。 私はこの原稿を書くにあたって初めて「オリンピック憲章」なるものを検索してみました。もちろん目的はオリンピックの理念や歴史を調べる為ですが、その「オリンピック憲章」は、全部で5章、61条に分かれていて、要約したものはページにすると2ページほどでしたので、ここで全てを紹介すれば今日の話がほぼ終わってしまうので楽かな?とも思いましたが、さすがにやめておきます。 興味を持たれた方は是非検索してみてください。
 その中に度々出てくる「オリンピズム」という聞きなれない単語。この単語をさらに検索すると、 『近代オリンピックの父であるピエール・ド・クーベルタンによって提唱された、普遍的な社会哲学である。広義に世界の発展、国際理解、平和に共存することであり、社会や倫理教育の場でスポーツの役割を強調するものである。彼自身がオリンピズムを普遍的な哲学と表すように、対象は優秀な選手のみならず、誰にでも当てはまる』 とありました。
 この辺りで、宗教者でありながら私には何となくしか理解が出来ませんでしたので、その何となく理解したことを、過去に聞いた話を交えて紹介したいと思います。
 オリンピックの歴史から話をすると現在の夏季大会が1896年、ギリシャのアテネ開催から始まり、今回のような冬季大会は1924年、フランスのシャモニーから始まっていました。1992年までは冬季と夏季の大会を開催地は違いますが、同じ年に行っていて、2年後の1994年から冬季大会だけが行われ、現在の4年に1度、冬季・夏季の大会が2年ごと交互に開催される方法になっていました。
 またおなじみの五輪のマークは、オリンピックシンボルと呼ばれ、左から青・黄色・黒・緑・赤と順番に重なり合うようデザインされ、オセアニア・アジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカの五大陸を意味していて、世界中から民族・宗教・政治等の隔てなく参加を促し、重なり連なることで平和への発展を願ったものだそうです。
私が学生時代にも当然オリンピックが開催されていたのですが、私は高校・大学と日蓮宗の学校に通わせて頂いておりましたので、日蓮宗の僧侶が先生として授業を受ける事は普通にありました。そのある授業の中で、日蓮宗の正行として「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えしますが、もし、オリンピック競技の中にそのお題目を唱える競技があるならば?という話がありました。
 もちろんお題目を唱える事に優劣や勝ち負けといったルールやジャッジはないのですが、あくまでも仮定としてオリンピックを当てはめるという授業でした。実際のオリンピックでは競技によって国内や地域で予選があり、本戦に出られるのは極わずかの選手やチームに限られます。その本戦でも予選があり、決勝にコマが進められるのは更に限られます。ましてやメダルを獲得できるのは上位3人、もしくは3チームとなるわけで、4年に1度という制約もありますからメダリストになる、ということが大変なことは皆様ご存知の通りです。そんな中、お題目を唱えるというオリンピックでは、誰もがその競技のメダリストになれるのだ、と話は続きます。
 では、どんな状況・気持ちでお題目を唱えると金メダルなのか?ここで聴衆が目の前にいらっしゃればお聞きしたいのですが、今回はラジオなので銅メダルから発表したいと思います。お題目の銅メダル、それは自分や家族などのお願いをするお題目、家内安全や身体健全、商売繁盛や良縁成就などの「祈願」にあたるお題目が銅メダルになるそうです。
 続いて銀メダルですが、葬儀や法事、お墓参りなど、亡くなった方、ご先祖様に唱えるお題目が、銀メダルにあたるそうです。
 最後に金メダルですが、銅メダルは自分や家族などのお願い、銀メダルは親戚や知り合い、ご先祖様への「ご回向」にあたるお題目、そしていよいよ金メダルは、自分に関係のない人の幸せを願うお題目、延いては世界平和に繋がるお題目こそが金メダルだそうです。
 ここでもう一度申し上げておきますが、お題目を唱えることに優劣等はございません、仮定した場合の話だということも、その先生は念を押しておられたのを記憶しております。お釈迦様や日蓮聖人の願いである世界平和。朝のお勤めのご回向にも1番に「一天四海・皆帰妙法・末法万年・広宣流布・世界平和・国土安穏」とお願いしておりますが、その後にお寺の繁栄や檀信徒の安穏、お寺の歴代のお上人や、亡くなられた檀信徒のご回向など、たくさんお願い事をしていて、私自身も世界平和のみを願ってお題目をお唱えしたことは、過去に1〜2度ぐらいしかなかったと思います。ただ漠然と世界平和と言っても、まず家族や地域の平和なくして世界が平和になるとも考えられません。ですから先程の喩えの、金銀銅メダルのお題目に優劣はないものと考えます。
 ここでオリンピックの話に戻りますが、オリンピズムの根本原則の中に、『オリンピズムの目標はスポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある』とあります。
 よってスポーツの祭典でもあり、平和の祭典でもあるのだと思います。勝負の世界ですから勝ち負けは当然、ルールのもとジャッジされます。そして私も日本人ですから日本の選手、チームを応援するでしょう。ただそんな中、すこしでも公平に選手達の今日までの努力を賛辞し、敗者にも拍手できるよう、努めて今回のオリンピックを観るように心がけたいと思います。
 そして世界中の子供たちが、今回や2016年のブラジル大会を観戦し、感動を覚え、来る2020年、夏季大会にはなりますが、東京オリンピックを目指す選手や、関係者になってもらえれば、とも願っております。
 最後に、本日ご清聴くださいました皆様が、2020年をお元気に迎えられる事と、いまを生きられる命を繋げてくださったご先祖様に感謝をしつつ、世界平和を祈念してお題目を唱え、今回の話を終わらせて頂きます。「南無妙法蓮華経」
ありがとうございました。
今回はご縁を得て、岡山市北区西辛川の、日蓮宗大覚寺住職、大野貴正がお話させて頂きました。ご清聴、誠にありがとうございました。