RSKラジオをお聴きの皆様、おはようございます。今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職 堀江宏文が放送いたします。
皆様は今年のゴールデンウイークをどのように過ごされましたか。連休だからこそ遠出をされた方。気軽に近場へ外出された方。自宅でのんびりと過ごされた方など、皆様それぞれ計画を立てられ楽しく過ごされた事と思います。最大で9連休という方もあったそうですが、連休もあっという間。楽しい時間が過ぎるのはとても速く感じるものですね。
ところで、連休に限らず旅行や行楽地に出かけられたとき、行きと帰りでは同じ道を通っているのに、行きのほうが長く感じられたという体験をされたことはありませんか?これは、同じ道を通っていても、新しい道には新しい刺激が満ちていて、脳がそのひとつひとつを吸収し解析して一所懸命に働き情報を刻み込んでいるために、行きの道は長く感じられるそうです。一方、帰り道は、二度目ですからあらかたの情報はすでにわかっており、印象に残ることも少なく、脳はあまり働かなくてもよくなり、道は短く時間も速くすぎたと感じるそうです。これはヒトの脳活動の仕組みの解明で実績を挙げ続けておられる東北大学教授の川島隆太先生の研究成果です。
時間の経過速度について言えば、子供のときも大人になってからも、一日は24時間ですが、大人になるにつれて、年々時間の過ぎていくのが速く感じられたことはありませんか?あっという間に一日が過ぎ、一週間が過ぎ、もう月がかわり、季節の移り変わりが年々速く感じてしまう。まるで時間に魔法がかけられたように速く過ぎるのは、大人たちが毎日、忙しく暮らしているからだと考えていませんか?毎日大量の仕事に追われ、おまけにプライベートの時間も作り、時間が足りずに、一日が短く感じられるのだと考えてはいませんか?私もそのように考えていた一人です。ところが事実は全く異なるらしいのです。川島先生は「それは脳が退屈をしているからです」と語られました。「まさか!忙しく働く大人の日常で、脳が退屈する暇など無いはず」と、疑いたくなります。ところが脳科学の研究成果では、ヒトの脳は、新しい未知なるものを解析することを非常に喜び、一所懸命に働くそうです。日常生活のなかでは、幾ら忙しく過ごしたとしても、基本的に毎日同じことを繰り返しています。立場によって時期によって多少の仕事の変化はあったとしても、新しい刺激をいつも感じることは難しいものです。刺激が少なくなると脳は退屈してしまい、脳が老化していくのだそうです。
私たちは平穏で無事な生活を願っていますが、脳にとっては、平穏で楽なときよりもむしろ、適度の緊張や刺激のあるときの方が活発に働き、脳細胞にたくさんの血液が流れるのだそうです。血液は細胞が必要とする酸素や栄養を運んでくれ、働く力を補給してくれます。したがって、脳を元気に保ち続けていれば、認知症も含め様々な病気を回避することが可能である、というのが脳科学者としての分析なのです。
そこで川島先生は、高齢者の脳を一番効率的にピカピカに磨き活性化させる行動は、「音読と計算」だと言われます。本を声に出して読むこと、簡単な暗算を繰り返して行うことで、大脳のなかで運動、言語、人間らしさをつかさどる前頭葉の一番前にある前頭前野が刺激されます。この前頭前野とは、考えたり、行動したり、人に話かけたり、自分の行動を決断したり、感情に流されそうになる自分を抑えたり、物事や情報を記憶するなど、大切な働きをつかさどる部分です。ここに脳が喜ぶ刺激を与え、脳の若返りを計り、元気な脳にしていく方法が音読と計算ということです。
その他、食生活など日常生活の取り組み方を改善する方法も色々あるとのことですが、ここからは信仰生活による実践法をお伝えいたします。先ず見知らぬ土地に出かけ新しい情報や発見によって脳を活性化させるという方法は、皆様の菩提寺や御縁のあるお寺が企画される団体参拝と結びつきます。脳を活性化させるだけではなく、参拝した寺院の縁起や歴史に触れながら、ご一緒された方々と信仰を語り合うことで信心を深めることが出来ます。何より実際に寺院の境内に一歩踏み入れたその瞬間に、言葉では表せない荘厳な雰囲気に、敬虔な気持ちが沸きあがってきます。その信仰体験がとても大切だと信じます。
さらに音読については最善の実践法があります。それはお経を読むということです。仏陀釈尊の教えを文字にうつしたものがお経です。それが中国に伝えられて、漢文に翻訳されました。釈尊が一代にわたって説かれた数多くの経典の中で、釈尊が世の中に出られた本懐であり、真意を明らかにされたのが法華経ですから、一々文々これ真仏であるといわれます。また真仏の説教はすべての生きとし生けるものを利益するともいわれます。
そもそも仏教は久遠の本仏釈尊の教えであることは誰もがご存知であります。従って、釈尊を離れて仏法のあるべきはずはありません。真実の仏、久遠本仏の釈尊は、法華経をもって私たちに真の救いと安らぎを与えて下さいます。なぜなら本仏釈尊は三つの徳をもっておられるからです。法華経の譬喩品には、「本仏釈尊とは、不安や迷いの多いこの世界を悟りの世界にしなければならない責任を担う“主”であり、迷いの苦より人々を救う“師”であり、人々を吾が子であるという慈しみをいだかれて護って下さる“親”である」と説かれています。
本仏釈尊は、すべての生きとし生けるものをして、自分と等しく苦しみから離れしめ智慧を得せしめる本当の仏であるということです。
日蓮聖人は、「法華経と申すは随自意と申して、仏の御心を説かせ給う。仏の御心は善き心なる故に、たとい知らざる人も此の経を読みたてまつれば、利益はかりなし」と、お教えです。法華経の文字は単なる文字ではありません。本仏釈尊の姿と法華経の文字とは肉眼では異なっているように見えますが、本仏の姿であり、本仏のみ心(魂)をそのまま説かれたものですから、一文字一文字が仏さまなのです。たとえ教えを知らない人でも法華経の経文をお読みになれば、その功徳ははかりきれないほどなのです。
脳科学の分析では、音読は脳の若返りに必要な刺激を与えることが解明されているのですから、お経典、ことに法華経を読誦するということは、体と心に絶大の功徳を及ぼすのです。しかも自分が受ける功徳に留まらず、親やご先祖の仏前において、読経、唱題の修行をなし、その功徳を先祖の方々に回向することが大切であります。回向とは他にまわしふりむけることです。自分のことのみ念ずるのではなく、自分の存在の源に思いをはせて、他のために功徳を回向することが、仏道修行の根本であり、法華経信仰の基本であり、そしてまた本当の人の道でもあります。真の信仰生活こそ本当の幸せをもたらすことを忘れてなりません。
今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職 堀江宏文がお話いたしました。