皆様おはようございます。今朝は瀬戸内市長船町福岡にあります日蓮宗妙興寺の住職、岡田行弘(ぎょうこう)がお話いたします。
 最近、「仏像ブーム」ということをよく耳にします。皆様は「仏像」と言いますと、何を思い浮かべられるでしょうか。修学旅行で奈良に行った時に見た東大寺の大仏、あるいは京都の広隆寺にある弥勒菩薩像、すなわち右手の指を頬のあたりに当てて考えごとをしているような半跏像などはとくに有名です。また平成21年に東京で奈良興福寺の国宝、阿修羅像の展覧会が開催された時には、3ヶ月で94万人の入場者がありました。不思議な表情をたたえた美少年のような高さ153pの阿修羅像が非常な人気を集め、仏像ファンの増加に一役買ったというわけです。
 ところで一口に仏像といっても全てが仏、すなわち悟りを開いた者である仏・如来だけではありません。仏に次ぐ地位にあり、衆生を救済する力を具えた菩薩、また強力な悪を退治する愛染・不動などの明王のグループ、そして仏や菩薩を護衛し、仏教の信者を災いから守護する天というグループがあります。これらの像は、一般的にすべて仏像と呼ばれています。
 このうち天というグループは、古代インドの神々が仏教に取り入れられたものです。代表的な天は、東西南北の四方に配置されて仏教世界を護る四天王や弁天、帝釈天などです。
 今日お話しようとする仁王も仏像としてはこの天のグループに含まれます。仁王は、もとは釈尊の身近にいて護衛・護身の役をになう単独の尊像で、金剛力士と尊称されていました。仏教が中国、そして日本に伝来してからは、お寺の門の左右に安置され、二体一組の阿吽の像となったのです。通常むかって右側が口を開いた阿像、左側が口を閉じた吽像です。一対の像となっているのは、単独ではなく、様々な姿であらゆる悪にたいして護衛・守護の役目を果たすということを象徴的に示しているからです。なお、仁王像の前に草鞋(わらじ)をお供えしているのは、仁王様のように力強い足になりますように、あるいは足の痛みが治りますようにという願いが込めてのことです。
 ほとんどの仏像は通常寺院の内部に安置されているので、お堂に入らないと簡単に見ることはできません。しかし、仁王像は違います。お寺の三門や仁王門の中に立っていて、悪者がお寺に入って来ないように恐ろしい形相をして監視しているわけですから、お寺を訪れる人は誰でも見ることができるようになっています。
 仁王像は一応門の中にあるとはいえ、前は開いていますから、屋外にあるものと同じように常に外気にさらされているのです。すなわち温度の変化や風や埃を直接受けることになり、また激しい雨のときには水に濡れる場合もあります。そういうわけで、仁王像は一番傷みやすい仏像といえるでしょう。
 私が住職しております妙興寺の仁王像も例外ではありません。長年の時間の経過によって、台座や像の痛みか激しく、ひび割れや欠けた部分も目につくようになりました。そこで昨年7月、臨時の総代会を開き修復することを決定しました。平成23年8月23日、工事安全を祈願する供養を行ってから、関係者が協力して、境内に設置したプレハブの建屋に身長約2.3メートルの仁王様を運び入れました。その日から、京都修復美術の久安勝士さんによる修復作業が始まりました。それから数日後、久安さんから「住職、ちょっと来て下さい」と明るい声がかかりました。左側の吽像の頭部を二つに解体したところ、そこに墨で
「南都ノ流 七条仏師 清水源兵衛入道名宗立」
と作者の名が記されており、さらに「寛永三年七月吉日」と完成の日時も書かれていたのです。ちなみにこの年は、西暦では1626年で、昨年のNHK大河ドラマのヒロインであった徳川秀忠の正室「お江の方」が亡くなった年でもあります。また「南都ノ流」というのは有名な運慶・快慶に始まる慶派のことです。そして岡山県の文化財を広く調査されている根木修さんにより、「妙興寺の仁王像を制作した清水源兵衛という人は、前年の寛永二年、瀬戸内市邑久町北島にある天台宗餘慶寺の千手観音像を修理した仏師である」ということが確認されました。
 妙興寺の仁王門は江戸時代の中期、寛保元年(1741年)に再建されたものなので、仁王像も修復に取りかかる前は、そのころの作ではないかと推測されていました。しかし、今回の解体修理によって、それより100年以上前の寛永3年(1626年)に、慶派の仏師によって制作されたことが証明されたわけです。こうして、仁王像は妙興寺の当時の風格を伝えるだけでなく、江戸初期における備前の国の歴史を物語る貴重な文化財であることが明らかになりました。
 仏師の久安さんも「非常にやりがいのある仕事です」と言われ、意欲的に修復を進めて下さいました。まず漆層を描き落とし、ひび割れ・欠損部分を成形し、漆金箔押しを施し、伝統的な手法で彩色を復元しました。手作業で非常に根気のいる仕事です。境内での作業でしたので、多くの方々がその模様を見学できました。仏師の方にも説明をしていただいたので、仁王様が身近に感じられ、大変有難かったと思っています。昨年末には、建屋での作業は終了し、その後、背中の部分に天の衣を取り付けるなどの仕上げをして修復工事は無事完了しました。
 先日の4月17日には、檀家や地元の方々にお集まりいただき、落慶法要を行いました。仁王様は恐ろしい形相をしていますので、それを見て「怖い、怖い」といって母親にしがみついて泣いている幼い子もいました。
ともあれ、あらたに魂が入れられた仁王像を見ていると、筋骨隆々として、本当に生きているようです。
 仁王様の厳しさ・恐ろしい姿は、悪者や災いをもたらすものに向けられています。この放送をお聞きの皆様はよい方ばかりだと思いますので、仁王様は怖くないとお考えでしょう。しかしながら、自分自身は何も悪い事、やましい事はしていなくても、もしあなたが悪い事や良くないことから目をそらし、正しいことを行おうとしないなら、本当に仁王様はそれを見逃してくれるでしょうか。
日蓮聖人は『立正安国論』の最後をこう結んでおられます。
「ただわれ信ずるのにみにあらず、また他の誤りを誡(いさ)めん」
すなわち、
「ただ自分だけが正しい教えを信じるだけでは十分ではありません、他の人が間違っていたら、それを諫め、正していきましょう」
と述べておられます。これは容易なことではありません。しかし、悪い事・間違っていることに対しては、勇気を出して正しい方向に持っていかなければなりません。見て見ぬふりをするというのは、本当の仏教からはずれた態度なのです。
 仁王像の厳しい姿は、ともすれば事なかれ主義に陥りがちな私たちに勇気とエネルギーを与えてくれているような思いがいたします。
 本日は、瀬戸内市長船町福岡の日蓮宗妙興寺住職、岡田行弘がお話いたしました。