おはようございます。今日は岡山市平井、妙楽寺住職・北山孝治がお話させていただきます。
 もう二か月ほど前になりますが、喫茶店でたまたま手にしたスポーツ新聞に、サッカーの日本代表・本田圭佑選手のインタビュー記事が載っていました。第一面に大きく掲載されていましたので思わず読んでみますと、なんともすばらしい内容です。その一部をご紹介いたします。
「海外に出たら、日本は本当にいい国だとあらためて思う。モノのクオリティー、サービス業、すべてにおいてディテールにこだわっている。ここが、何につけてもアバウトな外国とは違う。これはオレの価値観が日本人寄りだから、という理由ではないと思う。外国人だって日本のサービスを受けたら絶対にいい思いをするはず。その点で、日本は世界トップだと認識している。海外に出てから、感じるようになった。
 それと同時に思うのは、「これを築いたのは誰なんだ?」ということ。オレたちではない。こんな裕福な今日(こんにち)の日本があるのは、先代の人たちの頑張りのおかげだと思っている。オレたちは、彼らが頑張って汗水たらして残していってくれたもののおかげで生活できていると思う。それが今、いろんな面でまさしく危機を迎えている。オレが言うまでもなく、いろんな人が「日本はそのうち破綻する」と言うのが聞こえてくる。「なんでそうなったのか?」ということを考えないと。今のオレたちは何も築いていない。先人の財産を使ってきただけ。感謝して、今からもう1度、頑張らないといけないんじゃないか。
 それなのに浪費した揚げ句、責任のなすり合いが、どの場面、どの分野でも繰り広げられているように見える。海外から見ると、より一層、強くそう感じる。なんでここまで言うのか? オレは愛国心というのか、そういう気持ちが強い」
 どうですか? とても考えさせられる話だと思いませんか。本田選手は26歳の若者、サッカーの日本代表の中心選手です。金髪の髪形や、両腕に時計をするという独特なファッション感覚で話題になる人です。彼独特のぶっきらぼうな言い回しですが、その考え方は一本筋が通っています。気骨があります。
 私は今年60歳になります。今のこの日本を築いてきたのは残念ながら私たちの世代ではありません。もう一つ上の世代、私たちの親世代です。この放送をお聞きのかたは年配の方が多いと思いますので多分、皆様がたの世代のはずです。
 第二次世界大戦が終わった昭和20年、あの焼け跡から日本の復興は始まりました。着るものも、食べ物も、住む家も、いわゆる衣食住、なにもないゼロの状態から必死に、まさに死にもの狂いで、私たちの先輩たちはこの国の再建を目指したのです。その結果、昭和50年代には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出版され、大変な話題になるほどに、この日本は見事に復興し、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国にまで成長しました。この本によりますと、この当時の日本人の数学力や科学分野の学力は世界で2位から3位だったそうです。1日の読書時間の合計がアメリカ人の2倍に当たることや、新聞の発行部数の多さなどを例に挙げ、日本人の学習への意欲と読書習慣がこの国力を作ったと書かれています。
「こんな裕福な今日(こんにち)の日本があるのは、先代の人たちの頑張りのおかげだと思っている。オレたちは、彼らが頑張って汗水たらして残していってくれたもののおかげで生活できていると思う」。 本田選手の言葉は本当にその通りなのです。
 しかし、大半の私たち日本人は、すっかり先人たちの勤勉さや努力、苦労を忘れてしまっています。そして、なんの努力も苦労もなしにこの豊かさがもたらされ、これからももっと続くと勝手に思い込んでしまいました。その結果、その貯金はすっかり使い果たして、今や1千兆円もの借金まで作ってしまっているのです。それでもまだ私たちは、先輩たちが築き上げてくれた土台の上に、ただどっかりと胡坐をかいて座っている状態続けています。
 彼の言葉をもう一度読んでみます。
「それが今、いろんな面でまさしく危機を迎えている。オレが言うまでもなく、いろんな人が「日本はそのうち破綻する」と言うのが聞こえてくる。「なんでそうなったのか?」ということを考えないと。今のオレたちは何も築いていない。先人の財産を使ってきただけ。感謝して、今からもう1度、頑張らないといけないんじゃないか。それなのに浪費した揚げ句、責任のなすり合いが、どの場面、どの分野でも繰り広げられているように見える。」。
 新聞に載る大企業の赤字は、年間数千億円規模というとてつもない数字です。「日本はそのうち破綻する」どころか、既に破綻している、といっていいのかもしれません。
 だからこそ私たちは、本田選手が言うように、先人の努力に今一度心から感謝して、今度は自分たちが、次の世代の人たちのために頑張らないといけないのに、全く情けないことに、足の引っ張り合い、責任のなすり合いばかりしている有様です。ことに政治の世界はひど過ぎます。政治家こそがこの国の命運を握っているのです。国の盛衰を左右する権力をもっているのです。しかし、政治関係のニュースは解散の話ばかり。どの政党が政権を取るのかだけが関心毎になってしまっています。政権をとって何をするのか、日本をどのように導くのか、誰も示してくれません。私利私欲で離合集散をくりかえしている政治家ばかりが目につきます。
 もちろん、そういう私たちだって同じことです。こうなってしまったのは学校のせい、社会のせい、政治のせいで、自分自身に責任があるとはなかなか考えられません。全てが他人のせい、まさに「責任のなすり合い」が蔓延してしまっています。この日本を築きあげてくれた先輩たちから言わせれば、この憂うべき日本の現状、その責任は私たち今の日本人全員にあると思っておられるに違いありません。
 お釈迦さまは「当に知るべし。この諸人等は、すでに昔、十万億の仏を供養し、諸の佛の所において大願を成就せるも、衆生を愍れむが故に、この人間に生まれたり」という言葉を遺されています。私たちは、一度は仏になった身ではあるけれども、世の人々を助けるため、わざわざ人間としてこの世の中に生まれてきたのだ、という意味です。私たちが生まれてきた理由は、人々を助けるためだ、と仏教経典には書かれているのです。
 なのに、今の私たち日本人の心は、放逸、無責任、自己中心、私利私欲で満たされてしまっているかのようです。その結果が、人を助けるどころか、責任のなすり合い、足の引っ張りあいで、気がつけば、精神的にも経済的にも荒廃の一途をたどろうとしてしまっているのです。
 お釈迦さまの言葉を、こういう時代だからこそ、もう一度かみしめなければならない時が、今、当に、やってきているのです。経済的に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に返り咲くことはともかく、精神性として、私たちは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の地位を取り戻さなくてはなりません。こういう日本を、この状態のまま、未来を担う子供たちに引き継がせるわけにはいかないのです。人のために何かをする姿、努力する姿、がんばる姿を、私たちはもっともっと子どもたちに見せようではありませんか。
「(先輩たちに)感謝して、今からもう1度、頑張らないといけないんじゃないか」。
 26歳の若者が、正面をキッと見据えて、正々堂々と、主張しています。
 本日は妙楽寺住職・北山孝治がお話させていただきました。