RSKラジオをお聞きの皆さま、おはようございます。
八月十一日土曜日 岡山仏教アワーのお時間です。本日は、倉敷市藤戸町にございます正福寺修徒 菊岡妙光がお話しさせていただきます。
妙「パチン、パチン、ゴシゴシ。パチン、パチン。いたっ!」
母「足の爪切ってるの?深爪気をつけなさいよ。後でお母さんも爪切るから、爪切り、貸してね。」
妙「うん。わかった。」
母「しかし、いつ見ても、妙光の足の指は私と全く同じ形してるね〜」
妙「どこが?」
母「ほら。親指が上にそり返ってるでしょう。」
妙「ほんとやね。親指が上に反り返っているから、靴下の親指の所がすぐに穴、開いてしまうねん。」
母「おばあちゃんも同じ形しているからね。」
妙「そうなんや。」
母「妙光の性格はお父さん側を受け継いでいるけどね。あんたの性格はお母さんとこの血筋ではないわ。」
妙「それって、いいってこと?それとも、良くないってこと?」
母「それは・・・・・・。お母さんの口からは何と言えないわ。」
ある日の、母と私の日常の会話です。
私という人間は、父と母がいて私がこの世に誕生しました。父と母にもそれぞれ父と母が
います。十九代さかのぼると、私のご先祖様が104万8574人、二十六代さかのぼる
と、一兆を超え、私の計算機は動かなくなってしまいました。
私一人の体には、気が遠くなるほどのご先祖様の命が息づいているのです。
釈迦牟尼仏様は、法華経の中で、私たちの生きているこの世界の命あるものはすべてご自
分の子供であるとおっしゃられています。
私たちのご先祖は、釈迦牟尼仏様、つまり仏様であるとおっしゃられています。では
私たちのどこに仏様の命を受け継いでいるのでしょうか?
ある新聞の朝のうたという欄に、盛岡市の吉田まりこさんの仏の心と書いて「仏心」とい
う詩が掲載されていました。ご紹介いたしましょう。

『仏心』    盛岡市  吉田 茉莉子
私の家は
岩手県にあるお寺です
毎日全国から
支援物資が届きます
盛岡を拠点にして
被災地に心を運びます
全国から届く
あたたかな志は
支援物資ではなく
支援仏志だと思います
それは誰しもが
仏様の生まれ変わりで
仏の資質があるという
支援仏資です

この吉田さんの詩は平成二十四年二月十六日に掲載されたものです。
平成二十三年三月十一日、東日本大震災が起こり、私たちはかけがえのない命や大切なものを一瞬にして失ってしまいました。
心臓が止まりそうなテレビからの被災の映像を見て、心が痛み、苦しみ、悲しみました。そして、日本中の人々だけでなく、世界中の人々が、今、自分には何が出来るだろうかと真剣に考えました。現地に向かいボランティアをされる方、炊き出しをして被災者の方々にお配りされる方、水や食料、毛布など生活に必要な物を送られる方、街頭募金をされる方、様々な方法で少しでも被災者の方のお役に立ちたい気持ちでいっぱいでした。
今も、その気持ちは変わりません。
この詩の中で、吉田さんは支援物資の「物資」は「ほとけのこころざし」と書いて、「仏志」であると書かれています。そして、「ほとけのこころざし」の「こころざし」を資源の資に変え、仏の資質と書いて「仏資」と書かれています。
吉田さんは、全国から届く支援物資から人々のあたたかい志、つまり、人々の親切な心や深い思いやりの心を感じ取られたのです。
そして、誰しもが仏様の生まれ変わりである、すなわち、誰しもが仏様に感じられたのでしょう。
全国から送られてくる支援物資を通して私たちの心には、生まれつき仏様の心の性質を備えていることを吉田さんは実感されこの詩が生まれたのだと思います。
私たちは仏様の命である仏の心を自分自身の心、魂に受け継いでいるのです。命あるものを慈しみ、悲しみを分かちあい、共に喜び、見返りを求めない心。これが仏の心、仏心なのです。
日蓮大聖人様は「忘持経事」というお手紙の中に
「我が頭は父母の頭、わが足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。たとえば、種子(たね)と菓子(このみ)と身と影のとのごとし。(乃至)無始の業障(ごうしょう)たちまちに消え、心性の妙蓮はたちまちに開きたもうか」。
と、おっしゃられています。
影は、自分の姿そのものを映します。植物の果実がそのまま種であるように、自分自身の身体はそのまま自分の父母の身体そのものであるということです。
そして、法華経を信じることによって、自分が今までに行ってしまった悪い行いによって汚れた心の汚れや、悲しみ、苦しみ、悩みが消え、心が安らかになり、自分の心、魂に受け継いでいる仏の心がぱっと開くとおっしゃられています。これが、仏になる、言いかえると成仏ということなのです。
自分が成仏するということは、自分だけでなく、自分の父母、そして自分の中に息づいている気が遠くなるほどのご先祖様も成仏するということになります。
八月十三日からお盆に入ります。
仏様の子供である私たち。仏様の命を心、魂に受け継いでいる私たち。私たちは法華経を信じ、自分自身が成仏することで、自分のご先祖様のご供養となります。
法華経を信じること、形をかえれば、「南無妙法蓮華経」とお唱えすることになります。
どうか、ご先祖さまの成仏、ご供養の為に、ご自身が「南無妙法蓮華経」とお唱えしていただくことをお勧めし、仏教アワーのお時間を終わらせていただきたいと思います。         合掌