おはようございます。本日は、岡山市北区船頭町 日蓮宗妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げます。
 毎朝、お寺の門前の掃除をしていると、「おはようございます」と声を掛けてくださる方があります。もちろんご近所の方や顔なじみの方が多いのですが、時折全く面識のない方が自転車をこぎながら、声を掛けてくださることがあります。そんな時はこちらも「おはようございます」と挨拶を返しながら、ちょっと嬉しい気持ちになります。
 ところで、この朝の挨拶「おはようございます」は、昼の挨拶「こんにちは」や夜の挨拶「こんばんは」と決定的に違うところがあるのですが、さておわかりでしょうか。
 朝、家族がそれぞれ目を覚まして、朝食に集まってきます。お互いに「おはようございます」と挨拶を交わすのは、よくある普通の光景でしょう。でも、たまたまお昼頃、その日初めて家族が顔を合わせた時、お互いに「こんにちは」と言うでしょうか。普通は言いませんね。「こんにちは」は「おはようございます」と違って、家族の間では通常使わない挨拶だからです。たとえば、お父さんが自分の子どもに「こんにちは」と挨拶していたら、すこぶる他人行儀な感じがします。普段意識しませんが、「おはようございます」は、より親近感の高い挨拶なのだと思います。
 でも今の時代、家族の間で「おはようございます」の挨拶すらきちんとできていない家庭も増えているようです。それどころか、家族の結びつきは、以前にも増して希薄になっている様子です。
 先日、『日蓮宗新聞』という日蓮宗で発行している新聞にこんなコラムが載っていました。タイトルは「『おままごと』は時代の象徴」。筆者は幼稚園を経営している日蓮宗のお坊さんです。少し文章を引用してみます。
 私の幼稚園では、今日も子どもたちがちゃぶ台を出して「おままごと」を楽しんでいる。自分たちで間取りを考え、住みやすい家を作る。保育者としては登場人物のやりとりがとても興味深い。子どもたちは家庭の様子を再現してくれるのだ。
 「パパそこで寝ちゃダメでしょう。ベッドで寝なさい。まったく」「お菓子ばっかり食べると、虫歯になっちゃうわよ」「お勉強してからテレビって、何回言わせるの」と小言を言うお母さん役の子。叱られたり命令されるお父さんと子ども役の子は「はい、はい」と気のない返事で退散。それを横目に「ニャーニャー」「ワンワン」とすり寄るのは猫や子犬などペット役の子どもたち。お母さん役はペットたちにはすこぶる優しく「はいはい。ご飯ですよ」「いい子ね。よしよし」と最優先で食事が与えられ、食後には膝枕をしながら頭をなでてもらうことができる。なんと皮肉なことか、ペットは大人気の役である。
 そんな「おままごと」の様子を他の幼稚園の園長に話したところ、「そのような風景はうちの幼稚園に比べたら、まだ安心できます」と嘆いていらした。その幼稚園では「おままごと」にお母さん役もお父さん役も登場しない。お姉さん役の子どもだけがみんなで暮らしているそうだ。共働きのお母さん・お父さんは「いってらっしゃい」と送り出したら、夜まで帰ってこない存在だから、「おままごと」の中に登場しないらしい。だから「おままごと」では、好きな友だちと好きなことをして暮らしているのだそうだ。
 いかかでしょうか。今や子育て世代では共働きが標準世帯なのかも知れませんが、お父さん役もお母さん役も登場しない「おままごと」とは、空恐ろしい気がします。このような家庭が増えることは、日本の社会にとっても決して好ましいことではないでしょう。人格形成につながる大切な時期の家庭教育の重要性は皆さんよく分かっていることだと思いますが、なかなか思うにまかせません。こうした家族の結びつきの薄さは、社会の中で人間同士の結びつきの希薄さや無関心さへとつながっていくことでしょうし、事実、結婚しない若者の増加などという目に見える形で既に現れているようにも思われます。
 生きている人間同士の結びつきがこのように薄くなれば、いきおい現在の私たちと過去のご先祖様とのつながりもより一層薄くなってしまいます。綿々とつながる過去からの命のリレーを受けて、今私たちが生きているということに思いを馳せることなく、より自己中心的な、刹那的な価値観に傾いていけば、自分だけ良ければいい、今だけ楽しければよいという方向へますます進んでいくことでしょう。命のバトンをより良い形で未来へと手渡していくことが私たちの務めのはずですが、これでは不安です。どうしたらよいのでしょうか。
 簡単に回答できる問題ではありませんが、一つのヒントになるような出来事がありました。
 先日、私どものお寺の檀家であるYさんからお数珠の開眼を頼まれました。お数珠は仏具の一つですから、使用する前に開眼のお経をあげてから使います。Yさんから預かったお数珠を袋から取り出してみると、全部で3つあります。「このお数珠はどなたのですか」と尋ねてみますと、Yさんは「三人の孫の数珠です」と答えます。「今年、三人ともそれぞれ中学・高校・大学に入学したので、入学祝いとしてそれぞれ自分用の数珠を持たせようと思い、仏具屋さんと相談して色違いの数珠を買いました。」見れば、それぞれにピンク・茶色・黄色の房がついたきれいなお数珠です。Yさんのご自宅にはご先祖様の位牌をまつるお仏壇があるのですが、先年、他の県に住む息子さんも自宅で手を合わせられるようにと小型のお仏壇を求められ、開眼の後、息子さん一家のもとに届けられました。その後、お孫さんも事ある毎にそのお仏壇に手を合わせるようになり、この度入学祝いにとお数珠を贈ることを思いつかれたようです。
 良い習慣はすぐれた人格を育みます。御本尊様や自分につながるご先祖様に手を合わせるうちに、自分がさまざまな関係性則ち「縁」の中で生かされており、ご先祖様からの命のつながりの中で今を生き、命のバトンを未来へと渡す存在なのだと気付くことでしょう。
 もうすぐお盆の時期を迎えます。それは私たちとご先祖様との関係を確認する時でもあります。ご家族一緒にお墓に参り、またお仏壇に手を合わせ、亡き人を思い出しながら語り合うなかで、ご家族同士の絆も一層深められることでしょう。
 本日は、岡山市北区船頭町 妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げました。