皆様おはようございます。今朝もお元気でお目覚めのことと存じます。どうか今日もお元気でご活躍をお祈り申し上げます。
 今朝は岡山市北区建部町富沢 日蓮宗成就寺住職広本栄史が放送致します。
私の住む建部では、“たけべの森”に100種類、15000本の桜が咲き誇っております。明日15日日曜日10時から15時まで「はっぽね桜まつり」がございます。郷土芸能の催しもございます。“はっぽね“とは来園者一人一人が中心になって楽しもうという方言からきております。どうかお誘い合わせ桜まつりにおいでくださいますよう御案内いたします。
さて、4月と申しますと4月8日のお釈迦様のお誕生の花まつりがございます。また、日蓮宗が生まれた大切な浄らかな月でございます。
 お釈迦さまはインドで父浄飯王、母姫摩(マーヤ)さまの子供としてお誕生になられました。お釈迦さまは紀元前564年4月8日お母様の右脇下からお誕生になりました。お誕生と同時に北へ東へ南へ西へそれぞれ7歩ずつ歩まれ、右手を上に、左手を下に指されて「天上天下唯我独尊」とおっしゃいました。それは「この世の中でたった一人の人間であり、たった一つの命です。だから一人一人が皆んな尊いのです」という意味です。自分だけが偉いのだという意味ではないのです。今ここに生かされている一人一人の命は尊いものだからお互いに大切にいたしましょうというお釈迦さまの願いです。
 お釈迦さまは華やかな宮中の生活の中で物思いにふけることが多くなりだしました。ある日、おそばのお方がお釈迦さまをお連れし東門から散歩に出られました。すると、腰の曲ったお年寄りに逢いました。お釈迦さまが「あの人は?」と聞くと「人間年をとるとあのようになります」おそばのお方が答えました。次の日南門から出られると苦しんでいる人に出会いました。「あの人は?」と聞くと「あの方は病人と申しまして身体が痛くて苦しんでいるのです」と。今度は西門から出られました。するとお葬式に出会いました。「あれは?」と聞くと「あれは人間が死んで最後のお送りをしているところです」と。また別の日に北門から出られると今度は見慣れない衣服をまとった人に出会い「あの人は?」と聞くと「あの人は修行中の姿でお坊さまでございます」と。それを聞かれると更に深い想いに入られました。その日城に帰って初めて「貴男が生まれて一週間目にマーヤというお母様が亡くなられました」と聞かされ、それ以来世の無常苦を感じられ、無常苦を超えた真実の妙境を求めようと一大決心をされました。29歳で出家され、6ヶ年間の難行苦行を重ねられました。そして35歳の12月8日悟りを開かれて仏陀となられました。これを“成道”と申します。そして8万4千の法蔵、沢山のお教えをお説きになりました。
 そこで今日は古代仏教について考えようと思います。人生を大きく四つに分けてあります。四住期と申しまして、
1、学生期:保育園・小学校・中学校・高等学校・大学という時代
2、家住期:社会人となり就職・結婚・子育ての時代です
3、林住期:定年になりその後をいいます
 今私達人間の寿命は大体120歳迄生きられる可能性を持っていると言われています。そうすると晩年の60年をどのように生きるのか、これは大きな問題です。これについて考えてみたいと思います。
 一つ目は健康でいることだと私は思います。健康であれば生きていることが楽しいです。よく、2人に1人はガンで亡くなられると聞きます。ガンにならないためには水分をしっかりとって血の流れを良くすることだそうです。私も脱水になり、脳出血になり以来水分補給に気をつけながら生活しております。
 心の働きを良くすることも大切です。お経に「地獄・餓鬼・畜生」とあります。地獄とは“むさぼりの心“何につけても、あってもあっても欲しい欲しいの心です。満足を知らない心です。餓鬼とは“いかりの心”腹を立てる心です。畜生とは“愚痴の心”です。取り返しのつかないことを何回も何回も繰り返す心。昔の人が「身の毒は取り越し苦労と過去の愚痴、誠つくして今日を楽しめ」と歌っています。身体と心のコントロールが健康の大元ではないでしょうか。
 江戸時代後期の儒学者、佐藤一斎が@心が和らいでいることA自然のなりゆきに任せて焦らぬことBゆったり楽しく過ごすことC物事に凝り固まらぬこと、と言っています。
 二つ目は学ぶことだと思います。人間一生学ぶことが大切です。自分にあった川柳を作るとか、絵を描くとか、書を書くとかいろいろあると思います。信行に励み自分の心と身体を淨めることを学ぶことも大切だと思います。
 例えば、昨年見事な花を咲かせた菊も、今年丹精を怠れば色も形も退化します。時計も巻かねばゼンマイが緩んで時間がおくれ、機械も油をささねば歯車がきしんで調子が狂います。人間もそれと同じです。我々は何といっても凡夫です。しかも、ふだん目にふれ耳に聞こえるものは、すべて煩悩、欲望の心をかりたて、真性を曇らすものばかりです。お釈迦さまはこうした我等の環境を塵に譬えて居られます。心も常に掃除をしなければ塵にまみれてしまいます。しかも遂には、その塵にまみれた心を人間の常態と心得、不潔とも何とも感じなくなります。慣れるということは恐ろしいことです。ここに不断の信仰ということが必要となってまいります。朝夕の信行は要するに、朝夕の心の掃除です。
 信行といっても、別に難しい所作や方法はいりません。朝夕御仏壇に向かってお題目を唱えるだけで結構です。即ち、朝起きて身を浄めたらまず、すがすがしい気分を持って御仏壇に向かいたとえ唯一辺でも良いから、お題目を唱え、御本尊さまや御先祖さまの御恩徳を感謝して、今日一日を信仰の心をもって生活することを誓い、一日の仕事が終わったら、御仏壇に向かってお題目を唱え、今日一日を反省すると共に、一日無事に過ごしえたことを感謝すればいいのです。事情が許すならば、ご主人が先にたって一家が揃って行えばそれに越したことはありません。「つい、忙しくて。」とは誰も言うことですが、それは言い訳にすぎません。やれば何でもないことです。そして、続ければそれが習性となり、やらねば気がすまぬようになります。そこにおのずから清らかな日常、心豊かな信仰生活が展開されてくるわけです。
 三つ目は趣味を持つことです。学ぶこと趣味を持つことも同じような内容になると思いますが。
 四つ目は友人作りです。学ぶこと趣味を持つことによって、色々なお友達ができます。そうすれば色々なお話ができます。年を重ね、いろんな悩みが出てまいります。その時お友達に聞いてもらうことによって、また元気が出てまいります。
 五つ目は、一人になった時、一人暮らしが出来るよう練習しておくことが大事だと思います。特に男性の場合、掃除、洗濯、料理、近所付合いなど、元気なうちに練習をしておけば、いざという時助かるのではないでしょうか。
 4番目の遊行期と申しますのは、特に信仰を通じて、自分の歓びの心を、仏様の教えを人様に伝えて行くことが良いのではないでしょうか。それが生きがいとなって人生を楽しくしてくれるのではないでしょうか。
 それでは皆様のご多幸をお祈りし終わりといたします。今朝は岡山市北区建部町富沢 日蓮宗 成就寺住職 広本栄史が放送いたしました。