仏教アワーをお聞きの皆様、おはようございます。今朝は、岡山市北区庭瀬の大坊不変院住職、秦宏典がお話しさせていただきます。 先日の3月5日は、暦の二十四節気の一つ、啓蟄でした。いよいよ冬ごもりしていた虫たちが、顔をのぞかせる希望の季節となりましたね。今年は例年より1日早いそうでございます。
 ところで、この3月5日がお誕生日の女性の方の記事が、2週間ほど前の新聞に掲載されておりましたので、ちょっと紹介させていただきます。大阪市在住の大川ミサヲさんは、明治31年3月5日生まれ。記事が掲載された時は114才とありましたが、お誕生日を迎えられ、115才になっておられるはずです。この方が、女性の世界最高齢者として、ギネスに認定される見通しになられたと言うことでした。元気な笑顔でインタビューに答えられているお姿が、とっても素敵に写っておられました。人間は、何事もなく順調に過ごせたら、120才以上生きられる可能性があると言うことを、何かで読んだことがあります。是非、大川さんに記録を更新していただきたいものです。
 ところが、私たちの一生のうちで何もなく無事に過ごせる確率は、ないに等しいと言えるでしょう。病による四大の不調、予期せぬ事故、自然災害の脅威など、いつも隣り合わせで暮らしています。私たちのいのちは、いつ終わるかもしれないのです。明後日の3月11日は、未曾有の大惨事、東日本大震災からまる2年になります。尊い命をなくされた方にとっては、3回忌を迎えられることになります。ご家族の幸せや将来の夢を根こそぎ奪われた悲しみは、計り知れないものでございます。被災物故者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、被災者の方々が、心身ともに安らかな時を迎えられ、被災地においては、どうか一日も早く、復興が達成されますよう御祈念申し上げます。
 この大震災を機会として、尊いいのち、儚いいのちについて、意識を新たにされる方が増えてこられました。たとえば「終活」とか「エンディングノート」への記入が、急速に広まっているようでございます。
 「終活」というのは、就職活動の略ではなくて、終わりの活動と書いて、「人生の終焉を意識することによって、今の人生をより豊かなものにしていこうという取り組み」のことです。終活と言っても、亡くなる時の準備だけではなくて、過去に歩んだ人生を振り返ることによって、よりよい自分の今、残りの未来を作っていけるということなのです。 「エンディングノート」というのは、これまでは、亡くなった後のお葬儀とかお墓のことを書くものだったようですが、自分が生きてきた証とか、自分の人生史を残すためのノートとしても使われるようになってきたため、年齢層も幅が広くなっているようです。
 実際に新潟県見附市では、市独自に作ったエンディングノートを、全世帯に配られたそうです。これが、家族のあいだの不安を埋める役を担ったり、お年寄りの方の生き甲斐を掘り起こすために使われているのです。
 又、大阪の堺市南区では、孤立をさせない地域を目指して、エンディングノート私の老い支度〜いざという時に、大切な人に伝えたい〜という表紙で、20ページにわたるものを作成しておられます。内容は、私のプロフィールつまり履歴や、思い出、家系図、大切な人へのメッセージなど、書き込みやすく、カラーできれいに仕上げてありました。その中のはじめにと言う区長さんの挨拶文がすばらしいので、一部分をご紹介させていただきます。
 「元気な時には自分自身が認知症になったり、死を迎えるということは誰しも考えたくないものです。でも大切な家族などのために「自分はこうしたい」「こう生きていきたい」ということを記録しておくことは、最期まで自分らしく生きることにつながるのではないでしょうか。また、このノートへの記録を通して、人とのつながりのなかで生きる自分自身に気づき、これからの生き方を見直すきっかけになることを願っています。」
 このノートは、大震災の起こる1年前に作成され、大反響で増刷されたそうです。
 日蓮大聖人は、妙法尼御前御返事のお手紙のなかで、「夫れおもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学び候ひしが、念願すらく、人の寿命(いのち)は無常なり。出づる気(いき)は入る気(いき)を待つ事なし。風の前の露、尚譬にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習ひなり。されば先臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」とおっしゃっておられます。終活や、エンディングノートは、まさしくこのお言葉を実践するための、一つの方法だと思います。
 お坊さんとして、多くの生死に関わってきましたが、大震災を通して、生きているって何だろう?死ぬって何だろう?いのちって何だろう?と、改めて考えさせられました。特に、いのちに関する話題があれば、常に意識を向けました。本もいろいろと読んでみました。さらに先月には、日蓮宗の宗門運動のスローガンとして展開されている「いのちに合掌」をテーマに、岡山県布教師会内部研修を開催し、ご出席下さった25名のお上人とともに、「いのち」をどのように捉えておられるのか、話し合うこともできました。決して、正解が出るものではありませんが、大切なご意見をたくさんいただくことができました。
 それらを含め、私なりに「いのち」について考えてみました。生物的に生きる、死ぬ、ということだけではなく、それを越えたものであり、受け継ぐものであり、積み重ねていくものであり、つながっていくものであり、支え合うものであり、信頼することによって尊く輝くものであり、大切な役割を持った一個体であり、それらの集合体でもあるもの、と感じました。
日蓮大聖人のお手紙をもう一つひもとかせていただきます。「事理供養御書のなかの一節に、いのちと申す物は一切の財のなかに第一の財なり。とございます。
 ラジオをお聞きの皆様も、いのちについて思いを巡らせてみてください。そして、いのちのことを、未来を担う子ども達へ、伝えていただきたいと思います。
 最後になりましたが、何よりも、皆様方には、どんなことが起ころうとも、1日1日を、一瞬一瞬を大切に輝いて生きていただけますよう御祈念いたします。
 今朝は、岡山市北区庭瀬大坊不変院住職、秦宏典がお話しさせていただきました。ありがとうございました。 南無妙法蓮華経