おはようございます。今日は、日蓮宗・妙楽寺住職、北山孝治がお話をさせていただきます。
 今月、映画、『三丁目の夕日』の第三作目が公開となります。一作目、二作目ともに大ヒットしましたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。そうでした。岡山の西大寺や倉敷、真庭市がロケ地となっていますから、私たち岡山県民にとっては親しみ深い映画とも言えます。私も大変に面白く見た一人で、三作目の公開を待ち遠しく思っています。
 この『三丁目の夕日』、舞台は東京の下町。時代設定は昭和33年で、東京タワーが完成した年です。このころの東京はもちろんすでに大都会ではありますが、まだ高層ビルが林立していることもなく、映画の題名のごとくに沈んでいく夕日をどこからでも見ることができ、子どもたちの遊び場である空き地がいたるところにあって、建ち上っていく東京タワーの姿を戦後復興のシンボルの一つとして、どこからでもいろいろな想いをもって眺めていた、そんな時代です。
 東京といっても下町ですから、隣近所のつきあいも今では考えられないほどに濃密で、砂糖や醤油の貸し借り、夕ご飯のおかずのおすそ分け、向こう三軒両隣、まさに親戚以上のつきあいでした。
 映画は、そんな時代の私たちの生活を実に正確に描いてあります。
 鈴木オートという、小さな自動車修理工場の生活風景が映画の主要な場面の一つになっているのですが、ここに、青森からの集団就職でやってきた女の子が住み込みで働くことになります。集団就職という言葉も今では使われない言葉の一つですが、このころは中学卒業と同時に、全国から、ことに東北地方から専用列車で東京に働きにやってくる若者が、大勢いました。
この女の子が、シュークリームを食べてお腹を壊してしまう場面があります。当時、シュークリームは高級な洋菓子でしたから、修理工場のお母さんは大事にしまいこんでしまい、食べようとしたときには腐ってしまっていたのです。女の子は初めて見る、初めて食べることができると胸ふくらませていた洋菓子ですから、どうしても諦めきれず、捨てようと置いてあったシュークリームをこっそりと食べてお腹を壊してしまうのです。
 この場面を見ながら、私は子ども時代の同じような経験を思い出していました。私の場合はカステラでした。母親が戴きもののカステラを映画と同じように大事に大事にしまい込んで、アッと気づいたときには表面にカビが生えてしまっていたのです。しかし、カステラもそんなことぐらいで捨ててしまうにはもったいないほどに、当時は高級な食べ物でした。包丁で表面のカビを薄く切り取って、中のほうだけ、家族みんなで食べました。そういえば、ごはんも少し臭いがついてくると水洗いをして、ザルにあけて日干しして食べたものです。食べ物に賞味期限も消費期限もなく、すべて自己判断、自己責任でした。
多分、こんなことは我が家だけではなく、あの頃はどこのご家庭でも似たようなものではなかったのかと思います。
 この鈴木オートに、テレビがやってくる場面も大変になつかしい光景の一つです。近所の人たちが、みんな当然のように鈴木家の居間に上り込んでテレビに見入っています。昭和三十年代には、テレビがある家はまだ少なく、当たり前のようにテレビのあるよその家へ見に行ったものです。テレビを持っている家の人も迷惑な顔もせずに見せてくれました。今考えましたら、ちょっと不思議な奇妙な光景でもありました。
 ところで、この映画、『三丁目の夕日』に関して、論争と言えば少し大げさですが、賛否両論の意見が飛び交っていることをご存じでしょうか。
経済学者の飯田泰之氏が「『三丁目の夕日』症候群」と名付けて、昭和の時代を懐かしむ風潮を批判されたのが始まりです。氏の意見の要約をご紹介します。
「団塊世代にとって『三丁目の夕日』は素晴らしい時代なんです。
人の記憶は都合よく修正される。子供のころや青春時代の記憶は大抵楽しいでしょう。昭和30年代はこの世代にすればまさにそういう時代。
 それを真正面から取り扱った『三丁目の夕日』の人気が高いのはある意味当然です。そもそも昭和30年代はどういう時代かといえば、殺人や強姦などの凶悪犯は現在よりはるかに多く、国民の所得は低い。環境破壊もひどく、各地で公害病が問題になった。しかし、こういった負の側面は娯楽映画では取り上げられません。
 長所を極端にデフォルメして作られた世界観。昭和を美化し懐かしがるのは結構だが、それよりも、未来にむかって動き出すことこそが必要です。希望ある社会のためには、まずは経済です。理想の社会への懐古趣味を反転させ、近代日本をつくった明治維新の例もありますから」と、映画『三丁目の夕日』を単なる懐古趣味であると批判されました。
 これに対して、コラムニストの天野祐吉氏や産経新聞のコラムが反論をします。
「確かにあの頃は貧しくて不衛生で公害もひどかった。ただ、貧しいながらも当時の日本人は、映画『三丁目の夕日』で描かれたように人間同士の信頼感や助け合いの気持ち、日本人の美風を持っていた。近隣の絆は間違いなく今よりも強かった」と擁護されました。
 これらの論評を軸にして、インタネット上で賛否両論の意見が行きかっています。若い人にはやはり、「三丁目の夕日」は懐古趣味である、という意見の人が、多いように思えます。
 私は今年還暦を迎えますから、団塊の世代よりは少し若いのですが、どちらかといえば昭和を懐かしむ世代です。
ご紹介しました意見に述べられていますように、昭和のあの時代がすべて良かったとは私も思ってはいません。今よりもはるかに貧しかったのは事実です。犯罪も多かったでしょう。公害も深刻な社会問題でした。衛生状態、衛生観念もひどいものでした。あの時代が今に比べてマイナス面もたくさんあったことは確かなことです。
 しかし、「それでも……」と思うのです。天野氏が言われるように、「近隣の絆は、間違いなく今よりも強かった」と思うのです。もちろん、絆が深かいだけ軋轢もその分多かったはずです。プライバシーなどという言葉も今ほどに頻繁に使われてはいませんでしたから、個人の尊重も現在に比べて甘かったのも、また事実です。
 現代社会、いろいろな問題が指摘されていますが、もっとも深刻で根本的な問題は、「人と人との繋がりの希薄さ」だと私も考えています。全世界の人口60億人が、また日本人1億2千万人がと言ってしまえば、少し抽象的できれいごと過ぎてしまいますが、地域社会の人たちが、いや家族ぐらいはもう少し繋がりを取り戻さないことには、もうこの日本の未来に希望はないのではないかと思えてしかたありません。今の日本は、1億2千万人の命がただバラバラとなんの繋がりもなく浮遊している状態なのではないのでしょうか。
 夕日とは、優しさの象徴です。
 夕日とは、いたわりの象徴です。
「希望ある社会のためには、まずは経済です」という経済学者・飯田氏の言葉をすべて否定するつもりはありませんが、『三丁目の夕日』で描かれる優しさを、いたわりの心を取り戻さなければ、私たちに「希望ある社会」はやってこないような気がいたします。
 本日は、妙楽寺住職・北山孝治がお話をさせていただきました。