宣誓。私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。「がんばろう! 日本」。生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
 もう、いろんなところで何回も何回も取り上げられましたが、大震災により開催が危ぶまれた今年の選抜高校野球大会での、我が岡山県代表、創志学園、野山慎介主将の宣誓です。恒例により2年生と紹介されますが、3月でしたので、実際はまだ高校1年生でしたね。多くの先輩や同僚、観客、関係者が何を言うのだろうかと固唾をのんで見守る中、実に堂々と、落ち着いて、力みすぎず、テレビで見ていて胸が熱くなり、涙がとめどなくこぼれました。
 日本国中が想像を絶する大震災被害で落ち込んでいる時、久しぶりに気持ちが明るくなりました。立派。岡山県の誇りです。この宣誓には大震災にあい、愛する子どもを失い、親を失い、かけがえのない家族を失い、住む家を失い、犬や猫、鶏、牛や馬を失ってしまった当事者と、当事者でない私たちの間にある、超えがたい深淵はあるものの、東日本の皆さんも励まされたのではないでしょうか。
 今日で、ちょうど大震災から4ケ月目に入ります。今月18日には百か日を迎えます。テレビや新聞では、選んで映しているのでしょうか、被災者の皆さんから笑顔や、復興への取り組みが見られるようになりましたが、テレビや新聞には報じられなかった当時の累々たる死体、地を這いつくばるようにがれきや海中を捜索する警察官、自衛官、消防隊員の姿、深い悲しみに泣き叫ぶ家族の姿など、現場に入った人の話を聞くにつけ、他人事として話す私には「なにがわかるのか」と叱られるようで、締め付けられる思いです。年内には原発事故の収束が無理のようですし、まだまだ、知らないことがいっぱいあるようです。
 野山主将は、宣誓が決まってから部長や監督と相談してこの文面を決めたそうです。千回以上練習しろと言われ、野球の練習よりきつかったと感想を述べています。私も子ども達のソフトボールチーム代表を務めていますので、子ども達に野山主将の宣誓の態度の素晴らしさと、ちゃんとした言葉を使うことの大切さを話してやりました。
 どなたの名言だったか、もう、忘れてしまいましたが「むやみにはげしい言葉を用いると、言葉が相手の内部へ入る前に爆発してしまう。言葉は相手の心の内部へ静かに入って、入ってから爆発を遂げた方がよいのである」とあります。日本の最高立法機関である国会中継に見る、はしたないヤジや曖昧な答弁に比べ、野山主将のこの宣誓は、多くの人の心にスーッと入り、それぞれの心の中で爆発をしました。まるで、人間の生き方を示している教科書のようでもあります。
 「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています」。その通りです。今の世の中を見てみるに、自分さえよければいい、自分さえ幸せになればいい、それも、人より早く幸せになりたい人が一杯です。自分を産み育ててくれた父親の弔いもせずに三十年も放置してミイラ化させ、その年金を搾取してはばからなかった家族の話を聞くと、世界中にそんな馬鹿な國が他にあるだろうか、人間としての資格があるのかと情けなくなります。「どうもすみません」、「有難う」、「お互い様」という言葉は恥ずかしくて出てこれなくなりました。
 今から七百五十年ほど前、鎌倉時代、日蓮大聖人は飢饉や病気、正嘉元年に起こった鎌倉大地震はじめ天変地異がひっきりなしに起こるのは政治がよくなく、とりわけ法華経に対する不信こそが社会不安や自然災害を起こす原因、つまりが人災であると立正安国論をしたため、先の執権北条時頼に提出されました。これには二つの危機についてお書きになっています。法華経をないがしろにすることによって生ずる危機です。一つは国内に不安と混乱を引き起こす「内乱」。もう一つは、他国が日本に侵入してくる「外敵」による危機です。起こっている災害の発生こそ危機の兆候だと警告を発せられました。
 今は、阪神淡路大震災に始まり、新潟中越地震、そしてこの度の東北地方太平洋沖大地震などと続く自然大災害。安定しない経済。不祥事の続く政治不信。外には竹島問題、尖閣諸島問題、中国漁船と思われる船の警備艇への体当たり、ロシア大統領の北方領土視察、北海道や九州の外国人による原野買い占めなど、いくらでもその兆候は見られ、なんだか、今の日本に立正安国論がぴったり当てはまるような気がしてならないのです。
 「私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう! 日本」。
 この度の大震災に、私は年齢的なこともあり、たいしたことは出来ませんでしたが、精一杯、元気を出し、千葉から疎開した家族を受け入れ、毎朝のお勤めでお参りの人達と亡くなられた人のご冥福と早期復興を祈り、若いお寺さんが仙台市で慰霊祭をしたいというので、その連絡調整、そして、ご縁ある人々に義援金をお願いすることくらいでした。一生懸命にお願いしたところ、多くの人からご協力を頂戴しました。有り難いことです。みなさん、どうか自分に出来ることをやろうではありませんか。それも、どうせやるなら、何事も悔いの残らないよう、喜んで、精一杯やるのです。このことに限らず、自分が今出来ることは何なのか、しなければならないのは何なのか考えてみましょう。
 最後に「生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います」。遠いご先祖さまから受け継いだ、世界にたった一つしかない尊い命。人間は、早かれ遅かれ、どうせ死にます。それを、生きるのが面倒くさくなり、自分で自らの命を絶つようなことがあってはなりません。私には可愛い孫がいます。この孫が。もしもの事故などで命を落とすようなことがあれば、生きていく気力もなくなってしまうでしょう。あなたの命もお父さんやお母さん、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん、そしてご先祖さまにとっても大事な大事な宝物です。悲しませるようなことがあってはなりません。自分の意思で心臓を止めることは出来ません。なんとか生きたいと願っても生きられない人もいっぱいいます。命は自分のものではありません。生かされているんです。父母に呼ばれこの世に旅に来て、心残さず帰るうれしさ。生かされていることへの感謝です。
 野山主将、素晴らしい宣誓を本当に有り難う。
 今朝は岡山市北区津寺、宗蓮寺住職、垣本孝精がお話させて頂きました。