皆様おはようございます、本日は岡山市北区三門東町 日蓮宗
妙林寺山務員 神門欣永がお話し申し上げます。
木の葉も落ち風も冷たい冬の季節になってまいりました、12月年末がさしかかると共に今年あった事、色々な出来事を振り返る時期ではないでしょうか。皆さんにとって今年はどんな年でしたでしょうか?今年と言いますとやはり東北の大震災の事を皆さんお思いの事と思われます、震災がある前はよくこんな言葉を耳にしたと思います、それが無縁社会≠ナす、震災があってからすぐに次の言葉を人それぞれに口ずさんでおられました絆≠ニ言う言葉を口ずさんでいました。この言葉をもっとも強調していたのが震災後の出来事でした、震災後に被災地にいた人達は避難所より外部からの助けをじっと待ち、被災地に支援する人達はそれぞれに声を掛け合い助け合っていました、この助けを待つ人と支援する人の姿こそが日本人の絆≠セと私は思います。諸外国で日本人の魅力とは何かと訪ねますと礼儀正しい姿≠ェすばらしいです、とよくテレビで言われますが、今年この震災で支援じっと待つ人、支援する人の姿に諸外国の多くの人達は魅了されたと報道されました。私は今年この人と人との助け合いの言葉
絆≠ノついて色々考えさせられました、震災以前には無縁社会について沢山の人々が色々なことをテレビやラジオで述べていました、その中でもよく隣の家の人同士挨拶をしない、隣の人のことは知らないなど言われておりました、自分は自分、他人は他人、確かにそうかもしれません、ですが私たちには礼儀正しさや日本人としての絆があるはず、それを震災があるまでは無縁になりかけていたのではないでしょうか。人と人との助け合いはやはり他人の気持ち≠ノなってこそ起こるもののはずです。
他人の気持ちになって何かをすると言うことについて法華経お釈迦様の教えではこう説かれております。妙法蓮華経授学無学人記品第九の教えに『方便をもって侍者となって諸佛の法を護持せん』というお言葉が御座います。この教えではお釈迦様はすでに悟りの境地に達しているのにも関わらず、沢山の修行者の一人となって修業者を一人一人悟りの境地に達成させたという教えです。私自身にも以前この他人の気持ちになって何かをする≠ニいう事を身をもって体験しました、私は小学生の頃から勉強をする事がすごく嫌いな人間でした、ちょうど高校三年生の大学に進学するのか就職をするのかと自分の進路を決める時期にどうしようかと悩んでいました、勉強嫌いな自分は高校終わったらすぐにでも就職をしようと考えていました、ところが私の両親はどうにか大学に行ってお坊さんになってほしいと私に頭をさげて言いわれました。そして私は学校の各先生方に私の成績で志望の大学は入れますかと尋ねましたが誰もが首を横に振り残念だけど正直無理だな、と言われました。そんな中たった一人の先生だけは自分が努力すれば何とかなると背中押しをしてくれました、そして私は人生で初めてまともに教科書とノートを開いて勉強をしました、今までそんなことをする事が無かったのでその背中押しをしてくれた先生にどんな風に勉強すればいいですかと訪ねました、その先生はとりあえず毎日私がテストに出てきそうな問題をプリントするからその答えを書いて持って来てねと言われ私はその先生の言われた通りに毎回すってくれるプリントに答えを書いて提出をしました、初めのうちは問題の10割の内の2割程度しか答えはあっていませんでした。所が毎日、教科書や参考書を開きながら勉強した上でプリントの問題をしていく内に段々と点数は良くなっていきました、そして受験の日が近づくにつれ先生は私にプリントと共に色々な勉強の仕方を教えてくれました、私は段々勉強の仕方が解ってきました、そして受験当日先生言われたとおりに毎日勉強したおかげでテストの半分位の問題が解りました、後日郵送で合格通知が来た際おそるおそる通知の葉書をめくりました、落ちているかもしれないと内心思っていましたが、めくった先に書いてあった文字をみましたら合格≠フ二文字が書いてありました。この時ばかりは人生で初めて自分で何かを得たんだと思いました、すぐにこの合格の事を先生に伝えに行きました、先生は人間やれば出来ると優しい一言を私に言ってくれました、ですが本当のところはやはりこんな私の為に何度も何度もプリントを作り勉強の仕方までも教えてくれた先生のお陰だと今でも思います、私の人生で色々助けてくれた人の中でこの先生のしてくれたことは一生忘れない出来事となりました。この先生の様に他人の為に何かをするという事は私たちが忘れてはいけない事です。
以前、阪神大震災があった時、被災地でタクシードライバーをされていた方がこんな事を言っておられました、あの震災があった頃タクシーに乗るお客さんが皆私たちに優しい言葉をかけてくれたりおつりを多くくれたりしていました、所が震災後街も元どおりになる頃には皆タクシーに乗車する人は、人を乗せて当然というそぶりになっていました。私は正直この言葉にショックを受けました、今年この東北大震災から学んだ人と人との絆£Nかのために何かをするということを今一度大切にしなければなりません、それは例え震災で倒壊した街が元通りになっても忘れてはいけない事でしょう、私自身もそうです。本日は、岡山市北区三門東町 日蓮宗妙林寺山務員 神門欣永がお話しさせて頂きました、御聴聞誠にありがとうございました。