おはようございます。本日は岡山市三門にあります日蓮宗妙林寺より参りました小埜栄輝がお話をさせて頂きます。
 9月に入りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年はとにかく暑い8月でしたね。6月〜8月の全国の平均気温はなんと、「観測史上最高」だったそうなんですね。
 また、この夏、気になったニュースがありました。それはどこにいるかわからない高齢者がたくさんいるという、いわゆる「所在不明高齢者」の問題です。ラジオをお聞きの皆様もどこかで耳にされたのではないかと思います。
 100歳以上の「高齢者」を調べてみたところ、どこにいるか分からないという高齢者が、大勢いたんですね。その数は、各自治体の調査が進むにつれ、増加しているということなのですが、果たして一体、なぜそのような問題が起こっているのでしょうか。
 高齢者の所在が分からない原因は、「徘徊」や「孤独死」など、さまざまなあるようですが、本当に高齢者の所在が分からないのなら、急いで探すべきだと思います。しかし問題なことは、すでに亡くなっている高齢者を生きているということにして、家族が国や自治体からお金をだまし取っていたということは、許しがたいことですね。
 実は今、日本の世の中というのは、個人化が進み、「家族崩壊」の時代と言われています。
 家族から離れて出て行ってしまった「所在不明高齢者」もそうですが、その反対に半年以上家から出ない「ひきこもり」ということも問題になっています。
内閣府の発表によると、「ひきこもり」になっている青年が、全国でなんと69万人いるそうです。青年に拘わらず、中高年者を含めると、実際はかなりの数になっているかもしれません。
 ひきこもる理由は「家族に相談しても役に立たなかった」など、家族への信頼感の薄さがあげられているようです。
 さらには「児童虐待の問題」。子供にとっては頼れるのはたった一人のお父さんお母さんです。どんな理由があれ、我が子のために愛情を注ぐことを忘れないでほしいものです。
 先ほどあげましたこれらの社会問題「所在不明高齢者」「ひきこもり」「児童虐待」、実はこれらに共通することがあります。それは、「守ってくれるべき家族がいなかった」ということなんですね。もしも、家族が守ってくれたならば、こんなことにはならなかったという、まさに「家族崩壊」がおこっているようです。
 果たしてこれが本当の人間の生き方なのか?と考えたとき、実はお釈迦様はこう説いておられます。
 お釈迦様が説かれた『法華経』というお経が、最初に私たちに語りかけていること、それは「もっと自分を見たらどうか」「我が身を振り返ってみようじゃないか」ということでありました。
 我々人間は、この世の中で生きている以上、心のどこかに「楽をしたい」「自分勝手に暮らしたい」と思っているものです。
 我が身を振り返り、いちばん人に見られたくない自分を出したとき、きっと「自分勝手な自分」「いじわるな自分」に気づくことでありましょう。
 どうでしょう、年をとり、「私の人生は幸せであったのだろうか」と考えた時、「自分勝手な自分」「いじわるな心」のままで生きたら、どうでしょう?
 きっと切なさを残すことになるのではないでしょうか?
 なぜ、年をとったとき、切なさが残るのでしょう。それは、
「自分の心にある(いじわるな心)(自分勝手な心)だけで生きてきたからむなしいのです。もしも、そうではない気持ちを持てば、一生終える時に、この世で生きて良かったと思えるはずであります。」
 つまり、「生きるためには、食べること、寝ること、いじわるな心も必要。しかし、悔いのない人生を送るには「いじわるでない心」を持って生きることも、忘れてはなりません。
 お釈迦様の心とは、実は「いじわるな心」と「いじわるでない心」を持つことなのです。いうなれば、「自分のこと考えること」と同時に、「人のために尽くすこと」「家族を愛すること」が大切なのですね。
 物がない時代、一杯のかけそばを家族で食べていた光景がありました。その時代には、家族のぬくもりがあり、物の価値がわかりました。
 今こうして物がある時代になり、人間は、まるで家族のぬくもりを忘れてしまったかのようです。
 常に物がある、仲間がいる。家族がいる。そんな中にいる私たちは、「常にあることのありがたさ」を忘れてはいませんか??
 常に物がある、仲間がいる、家族がいる、その当たり前に「幸せを感じる心」を持ちたいものです。
 人間、失ってはじめてそのことのありがたさに気づくものです。しかし、世の中には、「なくなってもなくならないものがある」とお釈迦様は『法華経』で語られております。
 愛する家族が亡くなっても残るものがあるとするならば、それこそが目にみえない「家族愛」だと思います。
 さて、自分にとっての「家族愛」とは、一体何でしょうか?それを探していくこと、これからそれを作っていくこと、このことを楽しみに生きるのも一つの生き方ではないでしょうか。
 日蓮聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。」
と述べられております。どうか、「心の財」である「家族愛」を大切に日々生活して参りましょう。
 本日は日蓮宗妙林寺、副住職小埜栄輝がお話させて頂きました。ありがとうございました。