おはようございます。今日は、岡山市平井にあります、日蓮宗妙楽寺住職・北山孝治がお話をさせていただきます。
 早いもので今年も12月、師走となりました。色々なことがこの一年にもありました。私はだんだんと一年前のことも3,4年前のことも同じように遠い昔、という感じがしてきておりますので、少し頭を整理する意味でこの一年のことを振り返ってみたいと思います。
 一月に起こった大きなニュースは、ハイチでの大地震です。死者の数は23万人に上りました。鳩山前総理大臣が就任後初めての施政方針演説を行ったのもまだ今年の一月のことでした。
 二月には相撲の朝青龍が引退をしました。横綱としての品格が問われたわけですが、そういえば『国家の品格』という本がベストセラーになったのが四、五年前のことでありました。
 三月、四月には自民党の何人もの代議士が離党をして、新しい党を立ち上げました。政治は混乱をし始めます。今、政党の数も名前も全ては覚えられなくなりましたが、これも「政治家の品格」の問題なのかもしれません。
 いいニュースもありました。4月5日には女性宇宙飛行士の山崎直子さんが、スペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙へと飛び立ちました。女性でも男性でも、何か事を成し遂げた人には凛としたものを感じてしまいます。
 宮崎県で口蹄疫の感染が拡大して、ついには非常事態宣言が出されたのは五月のことであります。
 六月に待ちに待ったサッカー、ワールドカップが、南アフリカで開催されました。わがサムライ・ジャパンは見事に予選リーグを突破しました。
一方政治の世界では、一月に施政方針演説を行ったばかりの鳩山総理大臣が早くも辞任し、菅新総理が誕生しました。民主党へ政権が交代したのが昨年の8月、もう二人目の総理大臣です。
そして七月の参議院選挙では、民主党が過半数割れの敗北。政治の混迷の度は益々深まってきています。
 今年の八月は記録的な猛暑でした。そのような中、百歳以上の所在不明の高齢者が続出しました。南米のチリでは、鉱山で生き埋めになった三十三人の生存が確認され、十月に全員が無事に救出されるまで連日のようにこのニュースが流されました。
 九月に入りますと、尖閣諸島沖での日本の巡視船と中国の漁船の衝突事故が起こりました。その処理での政府の対応の拙さは今でも尾を引いています。
 十月にはとてもいいニュースが届きました。ノーベル化学賞を鈴木章さん、根岸英一さんという二人の日本人が受賞されました。
 しかし、先月11月は一転して暗いニュースばかりです。大学新卒者の就職内定率が57.6%と過去最大の下げ幅となりました。
北朝鮮が韓国の島を爆弾攻撃するという信じがたい事態も起こりました。
 このように、この一年を振り返りますと、あっという間に過ぎ去ってしまったかのように感じてしまう月日の中にも、様々なことが起こり、忘れられ、また起こっています。
 こうしてニュースを羅列してしまいますと、「ハイチで地震、23万人の死者」と一言で済んでしまいます。しかしこの数字は、鳥取県、島根県の県庁所在市、鳥取市や松江市の人口よりも多い数です。今でもハイチではコレラの流行や政情不安な状態が続いています。亡くなられた一人ひとりのご家族にとっては今でも大きな悲しみの中、悲惨な生活と向き合っておられるはずです。口蹄疫の感染で家畜をすべて処分されてしまった牧畜農家の方々は、どうやってこの一年、二年を乗り越えるのか、いや一生の生活の問題になってしまっておられるはずです。
「他人の苦しみや悲しみを、わが苦しみ、悲しみと受け止めて…」と言ってしまってはあまりにもきれいごとになってしまいますが、それでも、誰の人生もかけがえがない、そして代わることもできないひとつひとつに貴重な歴史があるということだけは、私たちは十分に心にとめなければなりません。
 誰しも自分が一番かわいい、これは人間である以上しかたがない感情かもしれません。しかし、だからこそ、わたしたちは意識して、「誰の人生もかけがえのない貴重なものである」という、他者に対しての眼差しを持たないと、自らの利己的性格はますます増大してしまいます。
親の死を隠して年金をもらい続ける子供、私たち日本人の品格はここまで落ちぶれてしまっています。
政治のニュースは、見れば見るほど民主党と自民党と高級官僚の、まさに利己と利己のぶつかり合いに見えてしまいます。政治家や官僚こそが国のことを、他者のことを考えてくれなければこの国がよくなるはずはありません。
中国や北朝鮮のニュースでは、人間の「あさましさ」ばかり感じてしまいます。今や世界は「共産主義」や「資本主義」、また「民主主義」の争いではなく、「利己主義」と「利己主義」の争いの感があります。
そのような中、女性宇宙飛行士の山崎直子さんやノーベル賞受賞者の鈴木さん、根岸さんの言葉や立ち居振る舞いに品格ややさしさ、周りの人たちに対する気遣いを感じてしまうのはひいき目のせいでしょうか。魂の清らかさを感じてしまいます。
先日、お葬式のときに乗せていただいた年配のタクシーの運転手さんが、とてもいい話をしてくださいました。
前を走る霊柩車を見ながら、「昔は宮型の霊柩車がほとんどでしたけど今は西欧型のスマートな車ばかりになりましたね。私らの若いときは霊柩車が通ると手を合わせたものですが、今のは遺体搬送車って感じで、魂を運ぶって感じがしないですねえ」
なるほどと思いました。最近は宮型の霊柩車はほとんど見なくなりました。火葬場が拒否するとか、ご遺族が派手なものを嫌うとか、車両価格が高いからとか、なくなっていく理由は聞いたことがありましたけど、「宮型霊柩車が魂を運ぶ」といういい方は初めてききました。魂を運ぶから霊柩車なんだ、だから神輿のような設えなんだと、妙に納得いたしました。
たましいとは、別に死んだ人にだけあるものではありません。「大和魂」というように、私たち日本人の精神を司るものとして重んじられてきた心根です。「仕事に魂を打ち込む」といいます。「魂がぬけたようになる」とは気力・やる気を失った状態です。「刀は武士のたましい、鏡は女のたましい」とも言いましたから、日本人を日本人たらしめているものとして捉えられてきたのです。
今年のニュースをこうして振り返りますと、今の私たち日本人も、上から下まで、「お金に魂を売ってしまった」、腑抜け状態に見えてしまいます。
日本の伝統や美意識などを重んじて、世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ日本の国家の品格取り戻すことを説いたのが、ベストセラーとなった『国家の品格』という本でした。ベストセラーになるということは、私たちはなくしてしまったものに気づいているのです。魂をなくすということは、日本人としての品格・品性をなくしてしまうということなのです。利己主義蔓延の今日、私たち日本人こそが、この世相の悪循環から抜け出すことを声高らかに主張してみてもいいのではないでしょうか。日本人としてのたましいを取り戻すことが何よりも大切、という気がいたします。
本日は妙楽寺住職・北山孝治がお話しさせていただきました。