おはようございます。
 岡山市北区上中野にあります正福寺院首稲垣宗孝でございます。朝の一時、お話をさせていただきます。
 さて、前回お話をしから一年数ヶ月にもなりましょうか、当時は住職でしたが、昨年の4月に住職を退任しまして現在は院首となりました。院とは、お寺の場合も多く使用しますが、医院や病院の際に使う院です。じゅは漢字で首と書きます。院の首。院首といえば何かもったいぶった呼び名のようですが、解りやすく云えば、隠居です。
 住職を退き心身共に幾らか余裕ができたのでしょう、昨年の大晦日には久しぶりにゆっくり紅白歌合戦を視聴しました。色々の歌手の方々の歌を聴き、感じたことは、以前と比べ、若い方達の歌う歌がわかりやすくなったということです。数年前頃には、英語と日本語が混ざり合い、しかも、早口で、私には、何がなんだか解らないような歌が多かったのですが、今回は、そのような歌もありましたてが、多くは、歌のテンポも比較的ゆっくりで、日本のことばも聞き取りやすかったように思いました。
 中でも、自ら作詞作曲し、ギターを弾きながら謳う「植村花菜さん」の(トイレの神様)を聞いて、暖かい安らぎを感じました。この詩を小学校で授業に採り入れている学校もあるとか。
 そして、何よりこの歌が若者の間で広く流行していることを知り、今の若者もまだまだ希望が持てる、何しろ、大晦日のこと、自然迎える新年に光明が見えたような気にもなりました。
 歌詞の要点は・・・植村花菜さんは小学校3年生の時から実家の隣住んでいたおばあさんと暮らしていました。一緒に生活する中で、おばあさんは、花菜さんに、「トイレには、それはそれはキレイな女神さんがいるんや、だから毎日キレイにしたら、女神様みたいにべっぴんさんになれるんや・・・」と話てくれました。
 それからの花菜さんはトイレをピカピカにし始めました・・・「ぺっぴんさんになりたくて毎日磨いた・・・」しかし、そんな花菜さんも大きくなると共に、おばあさんと意見が会わずぶっかることも多くなりました。・・・・
 「・・・家族ともうまくやれなくなり、居場所がなくなり、休みの日も家に帰らず彼氏と遊んだりしました・・・」
 「家を離れ上京して2年が過ぎ、おばあちゃんが入院したことをしり・・・病院に見舞いに行った・・・けれども、少し話しただけで病室を出されました」・・・「・・・次の日の朝、おばあちゃんは静かに眠りにつきました・・・」「・・私が来るのを待いてくれたように・・」・・・「育ててくれた恩返しもしないうちに。・・いい孫じゃなかったのに・・こんに私を待ってくれてそして死んだ・・・」
 「トイレにはそれはそれはきれいな女神様がいるんやで。だから毎日きれいにしたら、女神様みたいにべっぴんさんになれるんや・」・・「・・私は、今日もせっせとトイレをピカピカにする」・・「おばあちゃんありがとう、おんまにありがとう・・」
 子どもは年少の頃は、いたずらをする反面、大人の云うことを素直に聞いたり、大人の良い生き方を見習おうとしたり、さらに、よいことをして、ほめられようとします。子どもの心を「仏心・仏の心」と言う場合もありますが、一面はそうかも知れません。
 花菜さんもおさない頃には、可愛い、優しい女の子だったようですが、成長するに従い、知識が増え、知恵が発達するにつれて、親や、祖母等の近親者に対しても疑問を抱いたり、意見が合わず言い合いをすることも多くなったようです。
 これは、動物とは異なり、人間だからおこる悩みであり、それ故、文明が発達するのですが、そのために数々の煩悩も併せ持つようになります。
 そして、人間は、大きくなるにつれて、素直な、正直な心に欲望や劣等感や優越感、あるいわ怠け心や、ご都合主義、偽りや、我執等の煩悩が覆い、良いと思ってもそれを素直に認めることができなかったり、むやみに反発し、場合によれば、非行や、犯罪に走るようにさえなります。
 花菜さんも叉、おばあさんや親に反抗して、家を離れました。
 その後、おばあさんが病気になり、入院したことを知り、見舞いに返ってきました。すると、それを待っていたかのように、おばあさんは亡くなってしまいました。
 仏様は諸行は無常である。その中でも最たる悲しみは肉親の死である。しかし、この死は、悲しみと共に、真理に目ざめさせる力を持っていると説かれていますが、おばあさんに反発していた花菜さんも、その病気により、心を動かされ、さらに、死によっておばあさんの真心を思い出しました。
 それにしても、花菜さんがおばあさんの教え「トイレの神様」を再確認できたのは、少女時代のおばあさんとの生活する中でその真心と生き方に十分触れていたからだと思います。
 花菜さんは年齢が加わると共に、疑問や不信がつのり一時そのことを忘れかけましたが、おばあさんの死が縁となり、再び、心の中におばあさんの教えが蘇りました。おばあさんの蒔いていた種が、病気や死を縁として蘇りました。
 私も、これまで、檀信徒の宅に、地鎮祭や家の取り壊し等とともにトイレを改造、あるいは、取り壊しの場合にも、その場所を清めるための祈祷を依頼されたことが何度かありました。
 長い信仰習慣の中で、人々は不浄といわれる所だからこそ、なお、清浄、清潔であることを願う、聖なる霊気の存在を信じているのでしょう。
 私の子どもの頃に言われていたような「トイレの神様」の教えが現在の日本の若者に受けている事を思うに付けても、人間の道徳に根ざした神秘の心の大切さと、その不変なことを痛感し、ありがたい気持ちになります。
 そして、なにより、若者、即ち花菜さんに強い影響を与えたおばあさんの真心と生きざまこそ、私たち年輩者の手本としなければならなものではないでしょうか。
 目下、日蓮宗岡山教区では、「家族で合掌・地域に一善」を「御題目・南無妙法蓮華経」の教えを実践するためのローガンとして信行運動を進めています。
 即ち、「家族で仏壇に向かい合掌し御題目を唱え、食事にも合掌しいただく命に感謝し、地域社会では、落ちている空き缶を拾うような小さな善行でも、それを継続する中で、世の中の浄化に努めよう」とすることが、御題目の精神だからです。
 正福寺院首稲垣宗孝でしたご静聴感謝いたします。