おはようございます。本日は、岡山市北区船頭町 日蓮宗妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げます。
 だんだんと秋が深まって参りました。落ち葉が境内を埋め、木枯らしが吹き始める頃、私ども日蓮宗寺院では、「お会式」の季節を迎えます。「お会式」は「お講」とも申しますが、日蓮聖人のご命日を偲ぶ報恩法要です。日蓮聖人の遺された教えやお題目によって、私たちが生き生きと幸せに暮らせることに感謝し、その御恩に報いる法要とそれに連なる諸行事が「お会式」です。
 岡山市内中心部の日蓮宗寺院では、本日11月13日は、「お講めぐり」と称して、午前9時から午後3時まで本堂を開放し、どなたでもお参りいただけるようにしています。各寺院ごとに簡単なお接待もありますし、寺院巡りのための専用の御朱印帳も用意しています。晩秋の一日をのんびりとお寺巡りで過ごすのもいかがでしょう。
 さて、先程「お会式」を「報恩法要」と申しましたが、「恩に報いる」「恩返しをする」という言葉は、最近では耳にすることが少なくなったように思います。そればかりか「恩を仇で返す」ようなひどい事件ばかりが新聞紙上をにぎわせているように見えます。「鶴の恩返し」というお話があるように、日本では歴史的に「報恩」は当たり前のことでした。
 日蓮聖人も「恩を知り、恩に報いる」ことをとても大切に考えられており、『報恩抄』という御書も遺されています。この御書は日蓮聖人が学問の手ほどきを受けた師匠が亡くなったとの知らせを受けた後、追悼のために日に夜を継いで認められ、墓前に捧げられたものです。この書の冒頭は「それ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩を報ず。畜生すらかくのごとし。況や人倫をや」と始まります。年を取った狐はふるさとを忘れず、亡くなる時はもと住んでいた丘に足を向けず、必ず頭を向けるという。中国の故事では、毛宝という武将に助けられた白い亀は、毛宝が戦に負けて敗走し、行く手を揚子江に阻まれた時、川の中から現れてその背中に毛宝を乗せて向こう岸に渡し、窮地を救ったという。このように動物でさえ、恩を知り恩を報ずるということがある。まして人間が恩を知り、恩に報いることを弁えないで良いはずがない。との書き出しです。
 振り返って現代の我々はどうでしょうか。「知恩・報恩」については動物以下の状況かもしれません。でも少し前まではそうではなかったのです。
 先日、「台湾人生」という80歳代の台湾人の人生を描いたドキュメンタリー映画を見ました。ご承知のとおり、台湾は日清戦争後の明治二十八年から終戦まで、五十年間は日本の領土でした。ですから、現在80歳代の台湾人は、台湾で生まれ育ったにもかかわらず、当時は日本人として日本語で教育を受け、日本人として戦争に行った方もあります。終戦とともに台湾は日本の支配から離れましたが、日本領であった時の経験から今でも心は日本人、というお年寄りもたくさんおられるようです。映画を見ておりますとある意味では、現在の日本人以上に日本人的な、あるいは日本人が失ってしまった日本人の良さを持っているようにも感じられました。映画に登場した宋定國さんというおじいさんのお話が印象的でした。
 宋さんは大正十四年の生まれ。幼くして母と生き別れ、小学校四年生の時に父親を亡くしました。宋さんは叔父さん夫婦と同居していたのですが、叔母さんは働かずに小学校へ行く宋さんを快く思わず、学校を辞めて働くように言いました。困った宋さんが小学校の担任だった日本人教師である小松原先生に相談すると「がんばって小学校だけは卒業しなさい」と、当時必要だった授業料を肩代わりしてくれ、文房具なども揃えてくれました。宋さんは無事に小学校を卒業した後、テント屋の丁稚奉公をしながら今度は夜間中学に通いました。しかし、仕事と勉強の両立は難しく、次第に体調を崩し、生活もままなりません。ある友人がそんな宋さんの苦境を小学校の恩師である小松原先生に話したところ、小松原先生から連絡がありました。宋さんは小松原先生のところに行って、状況を話し、「もう夜間中学を辞めようと思います」と言いました。黙って話を聞いていた小松原先生は、「宋くん、いまが大切だ」と言うと、当時大金だった五円札を宋さんに渡して、「宋くん、がんばりなさいよ」と励ましてくれました。宋さんはその時涙を流して、「先生、僕はがんばります。僕は絶対に成功します」と誓いました。その後、先生は住み込みで働ける事務の仕事も紹介してくれ、宋さんは安心して勉強に打ち込むことができ、四年間通った夜間中学を卒業することが出来ました。
 そんな中、日中戦争・太平洋戦争の戦況は厳しさを増し、昭和二十年日本は戦争に敗れて終戦を迎えました。台湾はもはや日本の領土ではなくなり、様々な境遇が変わり、小松原先生は日本に引き揚げ、音信は途絶えてしまいました。
 戦後、宋さんは台湾で三十年間小学校の先生を勤めました。いつも一生懸命に教えてくれていた小松原先生に負けない立派な先生になろうと心がけていました。一方で小松原先生の消息をずっと気にかけていたのですが、わかりません。昭和五十三年、偶然にも小松原先生は現在千葉県に住んでいることがわかり、連絡が取れました。宋さんは同級生に声を掛けて、みんなで小松原先生を台湾に招き、嬉しい再会を果たしました。「三十何年ぶり。なんにも言えないよ。もう笑顔でいっぱいだよ」と宋さんは言います。でもそれから二年の後、小松原先生は病に倒れてしまいました。先生の病状悪化の報らせを聞いた宋さんは台湾から日本に飛んでいって、一週間余りずっと病院で先生の看病をしました。宋さんの親身の看病にもかかわらず、最期に「宋くん、ありがとう。もういいよ」との言葉を残して、小松原先生は息を引き取りました。
 以来毎年、先生の命日が近づくと日本を訪れ、お墓詣りをするのが宋さんの習慣になりました。「先生なかりしかば、今の私はおりません。父も母もないところで小松原先生が…。だから先生のことだけは忘れません」と宋さんは言います。
 「恩を知り、恩に報いる」昔の日本人がここに生きている気がします。現代の私たちも今一度自らを振り返り、人との関係を見直し、「恩を知り、恩に報いる」生き方をもう少し心がけるべきではないでしょうか。
 本日は、岡山市北区船頭町 妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げました。