皆様おはよう御座います。本日も早朝から仏教アワーをお聞き下さり、まことに有難う御座います。今朝は、倉敷美観地区にあります、日蓮宗・本栄寺住職の安井智晃がお話させていただきます。暫くのあいだお付き合い下さい。
 暦も七月に入り、連日、本格的な夏の到来を感じさせる暑さが続いております。我々お坊さんにとって、一年で一番忙しい「お盆」がもうすぐやってきます。現在、ほとんどの地域では、旧盆・つまり八月にお盆の行事を行いますが、東京の一部の地域などでは、新盆・つまり七月の今頃にお盆の行事を行っています。私も、今から十八年前、大学を卒業した年に、東京の谷中という、上野公園に近い、寺町の中にあるお寺に小僧に入りましたが、毎年七月のこの時期になると、お寺の境内の墓地には、たくさんの方が、ご先祖様のお墓参りに訪れていました。
 今思い出しても、お参りに来られた多くの方は、ご家族で来られていたように思います。
 私は、その後、東京のお寺での小僧生活を終えて、倉敷の自分のお寺に戻ってきました。そして、今度は、旧盆・八月盆の行事を行うようになりましたが、この十数年の間に、お墓参りに家族で来られる方の姿が、だんだんと少なくなってきているように感じられます。同じご先祖のお墓にお参りするのに、家族がそろってお参りするのではなく、それぞれが自分の時間の空いているときにバラバラにお参りする姿をよく見かけるようになりました。お仕事の関係で仕方がないのかもしれませんし、それでも、お墓参りをするだけいいのかも知れません。中には、「お墓参りは、年寄りの仕事」と公言して、「おじいちゃんかおばあちゃんが代表してお参りすればいい」と言っている若い人や、おじいちゃん、おばあちゃんまでが、自らそう言っているのを聞くこともあります。本当にそれでいいんでしょうか。
 某テレビ局で、毎週日曜夕方に放送している人気アニメ「サザエさん」を御覧になっている方も多いと思いますが、サザエさんは大変な長寿番組で、私が保育園に通っているときにも放送していました。それから三十数年経っても、サザエさん一家の家族構成は変わらず、波平からタラちゃんまでの、三世代同居家族です。現在では、三世代同居が珍しくなってきましたが、「サザエさん」では、毎年お盆の時期になると、一家総出でお墓参りに出かけ、家にお坊さんがやって来る日には、家族そろってお坊さんの後ろに座って、正座の足の痛みを我慢している。そんな場面が出てくると思います。まさに、理想の家族像ですが、現実はどうなんでしょうか。お盆になったら家族みんなで先祖のお墓参りをし、お坊さんが来る日には、家族そろってお仏壇の前に座ってお経を聞いている、そんな家庭は、私の経験では、どんどんと少なくなってきているように思います。サザエさん一家の様子は、残念ながら、「古き良き時代」の情景になりつつあるようです。では、どうしてそんな時代になってしまったのか、その大きな原因には「核家族」の増加が挙げられると思います。子どもそれぞれが独立して暮らす、ということは、お仏壇がない家が増える、ということにつながります。自分の家に仏壇がないから、自分の先祖の存在を身近に感じられず、だからお墓にも足が遠のいていく。お盆休みには、お墓参りに行ったり、お盆のお経の場にいるよりも、旅行やレジャーに出かけてしまう。その結果、ますます先祖に対する感心が薄れていく。そう考えるのは、短絡的でしょうか。私がお坊さんだからそう感じてしまうのでしょうか。
 こんな状態が続いていくと、そのうち「お盆」という風習そのものが無くなってしまうかもしれません。取り越し苦労に終わってくれれば、それにこしたことはありませんが、私がそれを心配するもうひとつの原因は、「小子化」です。2008年の日本の出生率は、1,37で、三年連続しての上昇だそうですが、それでも、一組の夫婦の間に、子どもが二人生まれない、という事実に変わりはありません。単純計算ですが、もしこの状態が続いていけば、あと何十年かしたら、日本の人口は約半分になってしまうかもしれません。もしそうなってしまったら、様々な問題が出てくるでしょうが、お坊さんの立場では、「永代供養」が増えるだろうな、ということを考えないわけにはいきません。現在の「永代供養」とは、簡単に言うと、お祀りやお参りが出来なくなった、または、将来そうなるであろう、お位牌やお骨を、お寺でお預かりしてお祀りする、ということです。そして、本当に単純計算ですが、人口が半分になるかもしれない、ということは、半分の家がなくなってしまうということです。それはつまり、お寺のお檀家さんの数も半分になり、半数は「永代供養」になる、ということではないでしょうか。もしそんな時代になってしまったら、お盆の様子も、今とはずいぶん変わったものになるのかも知れません。しかし、現実に私のお寺にも、「永代供養」の問い合わせが、ここ数年で増えてきました。
 さて、皆さんは、どんな場合に「永代供養」を頼むと思われますか。一番多いのは、跡をお祀りしてくれる人がいない、つまり跡継ぎがいない、という場合ですね。子どもがいない、または、女の子ばかりで、その子どもたちが他家に嫁いでしまった、という場合です。これは、私も人事ではありません。「婿養子を迎えれば」と言われますが、平均して、一組の夫婦に子どもが二人いない状態では、それも難しいかもしれません。それから、転勤などで、一ヶ所に定住できるか分からない、という方も「永代供養」を考えられるかもしれません。お位牌は持ち運びが出来ても、お墓は簡単には動かせませんから、お骨のみの永代供養も増えていくかもしれません。
 また、これはめったにはありませんが、それでも実際に私が受けた相談です。それは、
「夫と一緒のお墓、または嫁ぎ先のお墓には、どうしても入りたくないから、自分自身を永代供養にして欲しい」というものです。どうしてそんなことを考えるようになったのか、理由を聞いてみると、確かにそう思うようになっても仕方がないのかな…と考えさせられるものがありました。サザエさん一家では考えられないことでしょうが、これが現実なのかもしれません。核家族の増加や小子化は、現代の仕事や育児などの問題も絡んで、簡単には解決できないのかも知れませんが、せっかく一緒に住んでいる者同士がいがみ合い、反目して、一緒のお墓にも入りたくない、ひとりでもいいから自分の永代供養を頼みたい。というのは、ちょっと寂し過ぎるような気がします。もし、今このラジオをお聞きの方で、身に覚えがある方、ドキッとされた方。まだ大丈夫です。まだ間に合いますよ。どうすればそんな状態を解決出来るのか。答えは簡単です。それは、もっと家族に目を向ける…それだけだろうと思います。一番身近にいる家族を軽んじてはいませんか? 家族だから、妻だから、夫だから、親だから、子どもだから… わがままが通ると甘えていませんか?身近な家族には厳しく、他人には寛容ではありませんか? 内面よりも外面がよくありませんか? それらをちょっと反対にしてみて下さい。自分の一番近くにいる家族に、先ずは寛容な態度で接してみて下さい。それだけで、あの「サザエさん一家」のような理想的な家族になれるかもしれせんよ。
実際は、口で言うよりもはるかに難しいことですが。でも、将来、ひとりで寂しい思いをするのが嫌な人は、今から実行しなくてはならないと思います。
 本日は、倉敷本栄寺住職の安井智晃がお話させていただきました。最後までお聞きくださり、有難うございました。