皆様、お早うございます。秋も深まり美しい紅葉の季節となりました。今朝、お相手をさせていただきますのは、岡山市北区上中野にございます日蓮宗・正福寺副住職、稲垣教真でございます。
私は、先日、京都で開催されている『日蓮と法華の名宝』という展覧会に行ってきました。会場は京都駅からも近い、三十三間堂の目の前にある京都国立博物館です。平日ではありましたが,ちょうど時候も良く、すがすがしい秋の行楽シーズンも重なり,多くの方々で賑わっていました。私も音声ガイドを聞きながら2時間以上をかけてゆっくりと拝観してまいりました。
この『日蓮と法華の名宝』展は日蓮聖人が『立正安国論』を奏進されて本年が750年目にあたり、それを記念して開催されたものです。『立正安国論』を中心に、日蓮聖人のご遺言を受けて京の都における布教をはたされた日像上人、また岡山にもゆかりの深い大覚大僧正の時代、まさに宗門が大きく発展をとげた様子を伝える宝物が展示されていました。
また、この展覧会の副題は「華ひらく京都町衆文化」です。その昔、鎌倉時代の終わりから、南北朝、室町そして安土桃山時代の頃、京都では法華信仰が町衆たちに爆発的に弘まりました。なかでも刀剣や絵画、陶芸などの芸術家たちに広く受け入れらたようです。本阿弥光悦、尾形光琳、俵屋宗達、狩野永徳、長谷川等伯など、皆様もよくご存知の著名な芸術家たちが 皆、お題目を唱える法華信仰に支えられていました。そうした芸術家たちのきめ細やかで、情感豊かな作品も数多く展示されていました。
さて、今回のもっとも中心的な展示であった日蓮聖人の『立正安国論』は、現在、国宝に指定され、普段は千葉の中山法華経寺に厳重に奉安されています。実物は他の芸術作品とはまた違った、大きな存在感を放っていました。その漢文体で丁寧に綴られた一字一字の筆には、日蓮聖人の並々ならぬ法華経流布への強い意志が込められ、見る者を圧倒するような迫力がありました。
この『立正安国論』は、文応元年(1260年)日蓮聖人が39才のとき、鎌倉幕府の先の執権で、時の実質的権力者であった北条時頼あてられた勘文です。日蓮聖人は当時、災害や飢饉がうち続き、苦しみに打ちひしがれた人々を救うため、釈尊出世の本懐・法華経による救いこそが、国家に平安をもたらすものであると為政者に訴えられました。一方、この他にも日蓮聖人は生涯数多くの著書やお手紙を弟子や信徒に送られています。日蓮聖人は常に送る相手の立場に立って、その悩みや苦しみに、深い同情と励ましの言葉を送り、さらなる信仰の貫徹を勧められました。フランスの博物学者ビュフォンの言葉に「文は人なり」とありますが、お手紙を手にした人々は、感動の涙に打ち震え、日蓮聖人への信頼をさらに深められたことだと思います。
このように長い年月を越え日蓮聖人の慈悲深く、温かいお心がこもったお手紙や著述が今もなお大切に伝えられています。それは日蓮聖人の思いが形として確かに私たちにも届き、正しい道へと導いて下さっているのです。
さて、昔から私たち日本人は神仏を敬い、先祖をまつり供養をしてきました。そうした伝統は、追善供養や葬儀などの仏事はもちろん、お正月やお盆、お彼岸をはじめ、様々な形で日常生活の中に根を下ろしています。しかし、表面的な行事としては残っていても、本来の意味や先人たちが守ってきた心までは、なかなか思いをいたす人は少ないのが現実です。それは茶道や華道なども同じで、今では単なる教養として受け止められがちですが、他者への気遣いと、自然を大切にする日本的品性を培うものとして私たちにとって大切なものといえるのです。しかし、普段はあまり触れることが少ないので、なおさら可視的で表面的な物事にのみ目がいってしまいます。
以前、茶道裏千家の前家元である千玄室大宗匠の「お茶の心」についてのお話を聞く機会がありました。話の中で特に印象に残っているのは「型」と「形」についてのお話です。
お茶のお点前の修練の中で、まず基本は一つ一つの所作であり、それは決まった「型」と言えるものです。習い始めは「型」を一心に習い、身につけて、繰り返し、繰り返し打ち込んでいきます。そうするといつしか、その「型」というものに、自分自身の「心」、つまり「血」を注ぐことで「形」になるのです。ですからお点前の動作が美しいとか、間違いなくできるという、表面的なものだけが問題ではなく、「型」に自からの「血」が入って、「型」が命をもつ「形」になることこそ何より大事だと語られていました。
「型」は英語で言うとパターンです。「型」は外から見えますし、これを真似ることも出来ます。しかし、それだけでは、いつまでたっても「型」というもの、つまり表面的なものに止まります。大切なのは日々のたゆまぬ努力や勉強を通してその人自身の血が入ってこそ初めて、外見の「型」は内面の心としての「血」が入り「形」になるのです。それは「賓主互換」と言われ、亭主と客が互いを思いやり、相手の立場に心を寄せるという、まさに「和の心」を会得していくことになるのだそうです。
私はこの話を聞いて、思わず「はっ」としました。私は正式に、僧侶となってから15年が過ぎました。その中で僧侶として基本的に学ぶべきことや、仏事や法要儀式を行うなかで決められたことなど、「型」と言われるものは一通り身に付けてきました。しかし、まだまだ自らの信念がこもった「形」にはほど遠いのに、いつの間にか心の片隅で、これで十分という慢心があったように思います。そんな私を見かねお釈迦様が「お前の役目は私の真実の教えを伝えること、それを忘れてはいないか」と呼びかけられたように思えたのです。 日蓮聖人は常に厳格な信仰を貫き、次々と起こる困難に立ち向かわれました。そうした激しい教化の裏側には、いつも真実への希求と、悩み苦しむ人々への限りない慈悲の思いがありました。私たちは日蓮聖人の教えを受け継ぐものとして、そうした真実一路の心を見失わないよう自戒しなければなりません。
さて、秋になりますと全国の日蓮宗寺院では日蓮聖人のご命日である10月13日を中心に日蓮聖人への報恩の法要「お会式」が執り行われます。なかでも日蓮聖人御入滅の霊跡、東京・池上本門寺のお会式は、お逮夜には100を越える活気に満ちた万灯講中が練り歩き、一晩で30万人の人手で賑わいます。その様子は江戸時代から秋の風物詩として知られ、歌川広重の「名所江戸百景」などの浮世絵にも当時の賑わいが伝えられています。また、俳句では「お会式」は秋の季語とされ、かの松尾芭蕉の俳句にも読まれています
皆様はお会式にお参りしたことはございますか。「お会式」は「お講」とも言われ、岡山では月遅れの11月に行われる寺院が多いようです。どうか共々で日蓮聖人ご入滅の往時を偲び、そのお心に触れていただきたいと思います。そして、私たちの信仰が、「形」あるお題目の信仰へとなるように、更なる精進を重ねていきたいと思います。
さて、冒頭でお話しした「日蓮と法華の名宝」展も今月23日までとなりました。またとない貴重な機会です。お時間の許す方はぜひ、足をおはこびいただけたらと思います。
今朝は、正福寺副住職の稲垣教真がお話させていただきました。最後までお聞きくださり、有難うございました。 
南無妙法蓮華経