皆様おはようございます。今朝は瀬戸内市長船町福岡にあります日蓮宗妙興寺の住職、岡田行弘がお話いたします。
 毎日、暑い日続いていますが、いががお過ごしでしょうが。この放送は、岡山仏教アワーという番組の名前が示しているように、仏教関係の人たちが、あれこれとお話させていただいているわけですが、今日は、仏教というのは、一体どういう教えなんだろう、ということをあらためて考えてみたいと思います。一般的には、仏教とは仏の教えであり、また仏に成る教えである、と説明されています。それでは仏教はどのような経過をたどって、この世界に誕生したのでしょうか。
 私は、今年2月、日蓮宗のお坊さんや檀家の方々とともに計26名で、インドを旅行してきました。仏教を開いた釈迦牟尼仏・ゴータマブッダのゆかりの場所を10日間で周りました。インドではバスで移動しました。気温は20度から30度で、一番快適なシーズンです。誕生の地ルンビニー、さとりを開いた所ブッダガヤー、初めて教えを説いた場所、サールナート、そして入滅の地クシナガラ、また、たくさんの経典の舞台となっている霊鷲山、などを訪問しました。それぞれの聖地でお経をあげ、ブッダの徳を偲び、感謝の念を捧げることができました。
 このたびの旅行中、ブッダについて特に強く感じたのは、ブッダ、すなわち仏が教えを説いたということです。今さら何を言うか、と思われるかもしれませんが、ブッダがさとりを開いても何も言わなかったとしたら、仏教は誕生していません。このことについてもう少し説明してみましょう。
ブッダ、ゴータマブッダは釈迦族の王子として生まれ、何不自由ない少年期を過ごしました。しかし、人生に疑問を感じ、人生が苦しみであるという原因を探求しようと決意して、29歳のとき、出家します。そして、6年間にわたる厳しい修行の後、さとりを開いたと伝えられています。仏陀は法(ダルマ)をさっとったわけですが、正確に言えばダルマ(真理)をさとってブッダとなった、ということです。ブッダがさとりをひらいた時、仏教で最も大切な三宝、3つの宝(仏、法、僧)のうち、2つの宝、すなわち仏と法の二つがこの世界に出現しました。しかし、このあともし、ブッダが自分のさとった真理について一言も語らなかったとすれば、仏教は誕生していなかったのです。
ブッダガヤーの菩提樹のもとでさとりを開いたブッダは、そこから200kmほど離れたベナレス郊外のサールナートに行きます。なぜそうしたのかというと、サールナートの鹿の園には、以前ブッダと共に修行したことがある五人の修行者がいたからです。かれら5人は、やってくるブッダの姿を見ただけで、その威厳・神々しさに感動し、思わず礼拝し、ブッダに帰依します。サールナートには、現在も迎仏塔という、5人が仏を迎えた記念の塔がちゃんと残っています。
ブッダは5人の修行者に教え(ダルマ)と説きます。これが初めて教えの輪がまわされた、ということで初転法輪といわれます。ブッダの説法を聞いた彼ら5人は順に「生じたものは、すべて滅するものである」とさとります。かれら五人の弟子たちはブッダの教えによって目覚めたわけですが、その模様は、「法を見る眼を得た」と表現されています。かくして、ブッダと5人は共に集団生活を始めます。ここにサンガ、つまり仏教修行者(僧)のグループ、サンガというものが成立したのです。サンガは修行僧の集まりという意味で、仏の教えを学び伝えていくという重要な役目を担うこととなります。このようにして、仏・法・僧という仏教の三宝がそろいました。このときが、仏教が誕生したときと言えましょう。
これが紀元前5世紀のインドでのことですから、いまから2500年ほど前です。
それ以来、仏教はアジアの各地に広がりました。しかし、時代と地域が異なっていても、仏・法・僧の三宝に帰依します、敬います、ということが、仏教の基本・根本です。
三宝といえば、聖徳太子の17条憲法の第二番目に「篤く三宝を敬え」とあるのを思い出される方も多いことでしょう。
この三宝の中で最も大切なのは三宝の最初にある仏宝です。それはなぜかといいますと、法(ダルマ)というものは、仏のことばによって初めて私たちに明らかになるからです。
もちろん、ブッダが説いた教説を継承し研究することは重要です。しかし、教義・ダルマだけは仏教は成り立ちません。仏教は、仏の教えであると同時に、仏を目指す教え、仏に成るための教えなのです。そのためには、仏の存在がどうしても必要になります。
このように考えますと、法華経というお経の素晴しさが、あたらめて実感されます。と申しますのは、多数の経典のなかで法華経だけが、仏というものは、私たちを仏に導くためにこの世に出現し、今この時もこの世界で教えを説き続けている、ということを明確に宣言しているからです。
わたしたちは、法事のときなどに欲令衆という名前で親しまれている法華経の核心の箇所を唱えることがあります。その中には、
「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に世に出現したまう。」
と説かれています。これは、
「もともろの尊い仏は、われわれ衆生を仏の知恵の道・仏に成る道に入らせたいと願って、この世界に出現したのだ」
という意味であります。さらに、如来寿量品第十六の自我偈のなかで、仏は
  「阿僧祇劫において常に霊鷲山および余の諸の住処に在り」
と説いています。これは
 「私・釈迦仏は、永遠に霊鷲山を中心とするこの娑婆世界にとどまっている」
という意味です。仏教の歴史をたどると、釈迦仏は、インドで涅槃に入ってしまって今この世界にいないということになるのですが、先ほど申し上げたように、仏なくして仏教は成立しません。仏教の教えは仏によって語り示されなければなりません。いまここにいる仏が必要とされます。それが、霊鷲山で法華経を説く仏なのです。法華経によって、今この世界で私たちを導く仏が出現するのです。
 つまり、私たちにとっては、お釈迦様という仏は、インドで涅槃にはいられた釈迦牟尼仏ではなく、法華経を説いている釈迦牟尼仏です。
日蓮聖人は
「法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には、釈迦牟尼入滅を取り、この経を信ずる者の前には、滅後たりといえども仏の在世なり」(『守護国家論』)
と明確におっしゃっています。法華経を信じる人のところでは、いまも仏が生きているのだということです。
 今年の2月19日朝早く、われわれ一行26名まだ薄暗い霊鷲山に登りました。朝日が昇り始めたころ、霊鷲山の頂上で、一心に法華経を唱えました。
 「常在霊鷲山、常に霊鷲山に在り」
確かにこの瞬間、わたしたちは仏様の存在に触れたように思います。
法華経を唱えるとき、仏は私たちのそばにいて力を与えて下さるのです。その悦びを皆様も感じていただければと願っています。
 本日は、瀬戸内市長船町福岡の日蓮宗妙興寺、岡田行弘が、お話いたしました。