法華経の教えによれば、すべての人はみな菩薩であると言っています。果たして失敗をしでかしたり、恨んだり、悩んだり、泣いたりする、私たちも菩薩なのでしょうか。
 菩薩と言えば、観音菩薩や弥勒菩薩などと崇まれているこの上なく尊いお方で、お釈迦さまのお弟子と言われるように学も徳もすぐれたお方ではありませんか。その菩薩さまと私たちのようにつまらない人間がどうして同等と言われるでしょう。信じられないことのようですが、実は菩薩とは、菩薩行を行ずる人々のことで、菩薩行を行ずれば誰もが菩薩の徳を身につけて菩薩になることができるのです。
 法華経の中の常不軽菩薩品の中に
「我が宿世に於いて、此の経を受持し、読誦し、他人の為に説かずんば、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ることを能はじ」
 とあります。このお経の中で常不軽菩薩がお釈迦様であり、人のために説くことを強調しているのです。これを菩薩行と言うのです。
 常不軽菩薩というお方は、道行くあらゆる人に、合掌礼拝したのです。
 すべての人間には仏になる種があり、この種に合掌し、礼拝すると言うのです。そして常不軽菩薩が、仏様になれたのは、法華経を受持読誦するだけでなく、それを他人の為に説いたためです。
 法華経は、菩薩行を説いたと言われるのはここです。今、話を聞いておられる皆様も菩薩になれるのです。ここにこのような話があります。
ある山道を、川に沿って上ってゆく老人がおりました。腰は曲がっていませんが、アゴに白いひげをはやし、麦わら帽子をかぶり、、腰に小さな風呂敷包みをぶらさげて、どうみても田舎の老人にしか見えませんでした。さわさわと流れる川沿いに、草のにおいがムンムンする坂道をのぼってくると滝があったので、そこで足を止めて、水を飲もうと思ったその時でした。老人の目に異様な影がうつりました。それは人間でした。はじめ老人は、村の女性か誰かが木の実でも取ろうとしているのかと思いました。ところが、それは木の枝からぶら下げた縄を首にまきつけて死のうとする一瞬でありました。老人はびっくりして、若者のように崖をかけ上がっていきました。
「待ちなさい」
そう一喝して、老人はその婦人を後ろから抱きとめました。近くで見ると、上品な中年の婦人でした。
「こ、殺してください」
 婦人は、老人の手を振りはなそうと必死にもがきました。
「馬鹿な真似をするな」
 老人にぐっと押さえつけられた婦人は、やがて諦めたのか、がっくりと力を抜いて、草の上にへなへなとしゃがみこんでしまいました。そしておいおい泣き出しました。
 婦人は、問われるままに次のように答えました。
「私は小学校の教師をしております。若い時に夫を亡くしまして、それからは幼い二人の子供の成長を唯一の楽しみに生きてきました。二人の子供は成績も良く、病気にもならずすくすくと成人しました。ところが、このたびの戦争でした。子供は二人とも男の子でしたので」
 そこまで言って婦人は絶句しました。見る間に両眼に涙がふうっとあふれてきました。
「戦争に出たのかね」
「はい、二人とも出征して、死にました」
「二人とも」
「はい、役場からの知らせで、それと知りました。子供たちは二〇三高地で戦死したのです」
「二〇三高地。では、乃木の部下だったのかね」
「はい」
 老人がぐっと息をのんだ。その憂いをふくんだまなざしに気づかず婦人は言葉をつづけました。
「お国のために差し上げたのですから、戦死を恨んではおりません。役場で言うように名誉かもしれません。はじめのうちはそう思っていました。けれど日がたつにつれてひしひし身にせまってくる寂しさには、どうすることもできなくなったのです」
「戦争はむごい。しかし、それに負けてはいかんのじゃ」
「はい、負けてはいけないと、唇をかんで我慢しました。けれど、それは自分の子供を亡くしたことのない人の言葉です。広い世の中で一人ぼっちになり、これから先の楽しみがなくなった母親に、何が残されていると思うのです。それでも私は生きようと努めました。せめて子供たちと夏休みに来たこの山にでも来たら、いくらか気も休まるだろうと思って、今日やってきました。この山道を、連れもなくとぼとぼのぼってきて、あの滝の水をのみました。子供たちと一緒に飲んだ水でした。ところが、その水を飲んでいるうちに、このまま子供たちの所へ行ってしまったら、どんなに幸せだろうと思うようになったのです」
 老人は、崖の下を見た。さっき自分も飲もうととした滝の水が、さわさわ音をたてて流れていました。
「あなたは日蓮聖人というお方をしっていますか」
「日蓮聖人」
 婦人が老人の顔を見ました。
「そう、法華経の行者、日蓮聖人。この方には子供がなかった。もちろん、奥さんがなかったからだが、しかし、男女の違いこそあれ、この聖人にくらべたら、あなたは幸せじゃないのかね。そうして思い出す息子さんがあるということだけでもね」
「わたしは凡人ですから、とてもそうした偉いお上人さまの真似はできません」
「出来なくない、出来ます」
 老人がきっぱり言いました。
「そうしたことを真似ることによって、あなたは菩薩になることができるのです」
「菩薩?仏様ですか、仏様なら、死んだらなれます」
「そこだ。生きていて仏になる。これを私は即身成仏と教えられた。わたしたちは、この菩薩の道を修行することによって、仏になれるのです。何も死ぬことだけが仏の道ではない。そうしてわたしたちが仏になれば、そこに息子さんも居るではありませんか」
「仏になる。それはどうしたらなれるのです」
「難しいことではない。それは自分のためよりも広く世の中のために尽くすという、まごころを実行することです。つまり、全身全霊をかたむけて世の中に尽くせば、知らず知らずのうちに、菩薩になれるのです。菩薩とはそうしたものをいうのです。幸いあなたは教師というではありませんか。たくさんの子供を、これから立派な日本人に育ててください。日蓮聖人が大勢の人々を導いたように。息子さんたちはそれを望んでいるでしょう」
 そういう老人も目にキラリと涙が光った、この老人こそ乃木将軍であり、自分も二人の子供を戦死させていて、今は戦死した部下のもとを回っている途中でありました。
 という話です。
 日蓮聖人は、建長五年、春の朝より弘安五年の秋の夕べに至るまで、三十年間、法華経の精神である菩薩行を身をもってお示しになられたお方です。
 ある時は、刃の下、またある時は波の上、またある時は寒風吹きすさむ北海の孤島へと、そのご苦労は私たちの想像をこえるものがあるのです。
 大難は四ヶ度、小難は数を知れずと言われているように、あらゆる苦難にもめげず、法華経を弘めんがためにご精進なされたのです。その心意気は、開目抄にもありますように
「詮ずる処は、天もすてたまえ。諸難にもあえ、身命を期とせん」
 とあり、ぎりぎりの所は天が自分を見捨てても、どんな法難に出会っても、この法華経を弘めることをやめない、とこのようなご覚悟によって苦行をおし進めたのです。
 日蓮聖人の菩薩の行があればこそ、私たちは法華経を手にすることが出来、お題目を唱えることが出来るのです。
 本年も残りわずかですが、皆様の誰でももってる仏となる種から芽が出ますよう、しっかり良い水をまき、鍬をとり、来年に向かって菩薩行に励まれますよう、お勧めいたします。