おはようございます。今朝は、備前市の日蓮宗妙圀寺住職平野光照がお話させていただきます。
 日蓮宗では、『いのちに合掌』という運動を提唱しています。最近このいのちを、かけがえのない私たちのこの命を、あまりにも軽んじた事件が多発しており悲しいことです。この不思議ないのちについてもっと考え、手をあわすことから始めなければならないと思います。
 『いのちに合掌』、私のお寺で檀家さんにお話しました。
「朝起きたら奥さんはご主人に、ご主人は奥様に、又子供さんにも手をあわせて『おはよう』と挨拶してみてください。今朝も無事に目をさます事ができたのです。元気に朝を迎える事ができたのです。けっしてあたりまえの事ではありませんよ。私の命に感謝し、そして、みんなが元気で過ごせることに感謝して手をあわせてみませんか。もっと深い意味をいえば、みんなの心の中に、そして、あなた自身の心の中にも、ほとけ心、仏さまになれる種を持っているんですよ。みんなが持っている仏さまの種に合掌、その心が大きく育つように手をあわせてみませんか。」
 檀家の奥様から早速反論です。
「お上人、そんな事、無理無理。うちのあの旦那に手をあわせたりしたら、びっくりして、『おまえどうしたん。熱でもあるんじゃないんか?』と言われるわ。食事の時はちゃんと手を合わせているよ。でも、やはり旦那や子供に手を合わすのは難しいわ。・・・」と。急に手をあわすのは難しいかもしれませんね。
今この放送を聞いていただいているあなたはどうですか? やはり、手を会わせるのは難しいですか? でも、私はくじけずに、この『いのちに合掌』を話続けたいと思います。
形として手をあわすことが出来なくても、心の中では先の奥さんも感謝して手をあわせておられると思います。お互い心の中だけでも敬いあい、手をあわせたいものですね。
 法華経の中にこんな話が説かれています。修行していたある菩薩さまは、毎日出会う人に手をあわせて拝んでいたそうです。お堂の中で拝むのならともかく、道行く見知らぬ人を拝むのですから、不思議がられても当然です。それも一日二日でなく、毎日毎日手をあわせて拝んでいたそうです。道行くひとも見知らぬ坊さんに拝まれてかえって気味悪がって逃げたり、そんな事はやめろと怒鳴ったり、中には石を投げたり棒で打ちつける人までいたといいます。それでもその菩薩さまは止めずに遠のいてからも手をあわせて拝んでいたそうです。
「私はあなたを拝みます。決して軽んじたりしません。なぜなら、あなたは仏さまになられるお方だからです。あなたの仏心、あなたの中の仏さまに手をあわせているのです。」と。人を決して軽んじない、決してバカにしないで拝んでいた方だったので、いつのまにか常に人を軽じない菩薩、常不軽菩薩と言われるようになったということです。
 この常不軽菩薩さまのように、常に人を軽しめない、人をバカにしない、けっして怒らない、会う人みんなを尊敬する、いつも笑顔で人に接してあげる、手をあわせて合掌する・・・などということはなかなか出来ることではありませんよね。
 
でも、このような生き方をされた方がいます。「雨ニモマケズ」の詩を書かれた宮沢賢治さんです。賢治さんは十八歳の時に法華経にめぐり会い身震いする程の感動をおぼえ、それ以来人生観をかえられました。岩手県花巻で農業の指導もされていた賢治さんですが、ご存知のようにたくさんの童話を残されています。その童話は法華経の世界を表していると言われます。有名な「雨ニモマケズ」の詩は、賢治さんが亡くなった後で見つかったものですが、書かれている内容は、先の常不軽菩薩さまの生き方そのものです。
 「雨にもまけず、風にもまけず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち・・・」宮沢賢治さんは体が弱かったのでもっともっと元気な体で皆様のお役にたちたいとの願いがあったのでしょう。
詩には続いてこう書かれています。
「欲はなく、決して怒らず、いつも静かにわらっている」
「あらゆることを自分をかんじょうにいれずに」と。
こんなこと言えますか? 今の時代、こんな事を言っていたら生活なんかできやしないよ、という声が聞こえてきそうです。賢治さんの生きた大正から昭和の始めの時代は今よりもっと生活は厳しいものだったでしょう。それでも、そんな時代でも「欲はなく、決して怒らず、静かにわらって過ごしたい」「自分をかんじょうにいれずに皆さんのことを第一に考えて生きていきたい」と、おっしゃっているのです。仏教の根本の教え、欲ばらない、腹を立てない、ねたまない。それを実践された方でないとこんなことは言えませんね。
この詩の最後はこういう言葉で結ばれています。
「みんなにデクノボウとよばれ、ほめられもせず、くにもされず、そういうものに私はなりたい」と。皆さんにほめられることなどなくても、私は素直に生きていきたい、仏さまにほめられる生き方をしたいとの誓いの言葉のように思えます。
「雨ニモマケズ」の詩の次の頁には南無妙法蓮華経と大きく書かれ、日蓮聖人が顕されたご本尊の中心部分を写されています。やはり仏さまへの誓いの言葉、仏さまへの願いの言葉としてこの「雨ニモマケズ」の詩は書かれたものでしょう。誰かに見せる為に書いた詩ではありません。宮沢賢治さんの生き方は菩薩さまの生き方そのものですね。
日蓮聖人はこんな事をいわれています。
「願わくは、一時の世事を止(とど)めて、永劫(えいごう)の善(ぜん)苗(みょう)を種(う)えよ」と。

善苗という字は、よしあしの善と草花の苗という字を書かれています。「種えよ」は種という字をつかわれています。どうか、一時の雑事をやめて、未来永劫のためになる善い苗、つまりお題目の種をしっかり植えなさいよ・・・と言われているのです。
宮沢賢治さんの生き方も、そのお題目の種をしっかり植えた生き方でした。

ところで、明後日、十月十三日は日蓮聖人がお亡くなりになられた聖日です。弘安五年、一二八二年のことです。今年は七百二十七回目の遠忌報恩法要がおこなわれますが、岡山では一ヶ月遅れの来月に報恩法要を行われるところが多いようです。どうか、お寺にお出かけください。
日蓮聖人のご生涯については、改めてお話するまでもないでしょうが、今の千葉県小湊でお生まれになられ、お亡くなりになられたのは、今の東京大田区の池上です。六十一歳でした。
日蓮聖人という方をどんな方だったと思われますか?私は日蓮聖人はいっぱい涙を流されていた方だと思います。それはけっして自分のことではなく、お弟子さんやご信者さんのことを思ってのことです。
日蓮聖人の書かれたお手紙の一部を紹介します。
「日蓮は明日佐渡国へまかるなり。今夜のさむきにつけても、ろう(牢)のうちのありさま、思やられていたわしくこそ候へ。・・・篭(ろう)をばし 出させたまいそうらわば、とくとくきたりたまへ。見たてまつり、見えたてまつらん。」
日蓮聖人は自分が死ぬかもしれない佐渡島へ流されていくという時に、牢に入れられている鎌倉のお弟子さんに対して、大変心を痛め涙を流しておられるのです。牢を出させてもらえることがあるならば、急いで佐渡島の方へ来てくれ、一緒にお会いしてお話しようじゃないか、と言われています。
いつもこの日蓮聖人のご文章を読ませてもらったら涙が出そうになります。
又、佐渡島から信者さんに出された手紙には、
「現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず。鳥と虫とはなけ(鳴)どもなみだおちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし。このなみだ世間の事にはあらず、ただひとえに法華経のゆえなり。もししからば甘露のなみだともいいつべし。」と言われています。
私は鳥や虫のようには、なかないけれども、心の中でずっと涙を流しているのです。これは決して佐渡島へ流されて辛いという思いの涙じゃないのです。私はこの法華経に巡り会い、法華経に書かれていることを実践できたこの身の上がありがたくてありがたくて涙が止まらないのです、と、おっしゃっているのです。
こんなこと言えますか。私達は辛いことがあったら、「何で私がこんな目に遭わないといけないの」、「何で私だけが・・・?」って思うじゃないですか。それを日蓮聖人は、今のこの苦しみをしっかり受けとめることで、過去の罪が消せるなら、こんなにありがたいことはないんだという思いをなさっておられるのです。
日蓮聖人の生き方に学ぶところはいっぱいありますね。正しい信仰をしっかり身にたもち、手をあわせて過ごしましょう。


手をあわせて ありがとう
手をあわせて ごめんなさい
手をあわせて あなたは素晴(すば)らしい
手をあわせることから 始めましょう

「いのちに合掌」です。

今朝は、備前市妙圀寺住職 平野光照がお話させていただきました。