皆様おはよう御座います。本日も早朝から仏教アワーをお聞き下さり、まことに有難う御座います。今朝は、倉敷美観地区にあります、日蓮宗・本栄寺住職の安井智晃がお話させていただきます。暫くのあいだお付き合い下さい。
 お盆も終わり、九月になりましたが、まだまだ残暑の厳しい毎日です。皆様方は体調など崩されておられませんか。今年のお盆は本当に暑く、お参りに行く先々で、檀家さんから「暑いのに大変ですねぇ」というねぎらいの言葉をいただきました。幸いにも途中で夏バテにもならず、今年も無事お盆の棚経を終えることが出来ましたが、海にも山にも行っていないのに真っ黒に日焼けしてしまいました。
 毎年お盆の期間中には、八月六日の「広島原爆の日」。八月九日の「長崎原爆の日」。そして八月十五日の「終戦の日」という、戦争にちなんだ日があります。私は戦争が終わって二十年以上経った生れですが、毎年この時期には、テレビなどで、戦争を扱ったドラマや特集が放送され、本当の戦争の悲惨さなど何も知らない私でも、犠牲になった何万人の方々の無念の思いを想像すると、悲しいような、虚しいような、切ないような気持ちになってしまいます。今年の八月十五日のお昼頃はちょうどお寺に帰っていたので、正午の時報に合わせてお寺の鐘を撞きました。雲ひとつない暑い暑い日で、蝉の鳴き声だけが聞こえる中、原爆で一瞬で溶けてしまった人。瓦礫の下で生きながら焼かれて死んだ人。親を失い途方にくれる子供。子供の名前を呼んで探し回る母親。わずか六十二年前の、そんな数え切れない無数の人々の無念さや悲しさや痛みを想像しながら鐘を撞きました。
 戦争は、それまで普通に暮らしていた普通の人が、国は違っても、やはり普通に暮らしていた普通の人と殺し合うという異常な世界で、無数の人々が亡くなり、無数の別れがあり、無数の悲しみがあった、本当に良いことなんか何一つ無い愚かな行為ですが、戦争は無くても、毎日毎日数え切れない人と人の別れはあります。ある人は親を失くし、ある人は子供を失くし、ある人は妻を失くし、ある人は夫を失くし、そんな人と人の別れと悲しみは、今日もどこかで必ず起こり、いつかはこの私もその当事者になる日が必ずやってきます。このラジオをお聞きの方の中にも、そんな悲しい別れの経験をなさった方もいらっしゃると思います。八月のお盆は、そんな悲しい別れをした、亡き人を偲ぶ行事ですが、毎年この時期になるとよく聞かれる歌があります。私が子供の頃は、さだまさしさんの「精霊流し」という歌がよく流れていました。こんな歌詞です。
『去年のあなたの想い出が、テープレコーダーからこぼれています。あなたのためにお友達も、集まってくれました。二人でこさえたお揃いの、浴衣も今夜は一人で着ます。せんこう花火が見えますか、空の上から。約束どおりに、あなたの愛した、レコードも一緒に、流しましょう、そしてあなたの、舟のあとを、ついていきましょう。私の小さな弟が、なんにも知らずに、はしゃぎまわって、精霊流しが華やかに、始まるのです』
 とても美しくて、でも哀しい歌だと思います。一年前には元気だったのに、亡くなってしまった夫か彼を偲ぶ、若い女の人の歌でしょうか。長崎の精霊流しは、とても賑やかに亡くなった人の魂を舟に乗せて川に流す、華やかなお祭だと聞いたことがあります。そんな華やかで賑やかなお祭なのに、どこか哀しい、私はこの歌を聴くと、そんな情景が浮かんできます。
 もう一曲、亡き人を偲ぶ歌があります。皆さんよくご存知の「千の風になって」です。
『私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません、眠ってなんかいません。千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています。秋には光になって、畑にふりそそぐ。冬はダイヤのように、きらめく雪になる。朝は鳥になって、あなたを目覚めさせる。夜は星になって、あなたを見守る。私のお墓の前で、泣かないで下さい。そこに私はいません、死んでなんかいません。千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています。千の風に、千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。あの大きな空を吹きわたっています』
 皆様も一度はお聞きになったことのある歌ではないでしょうか。メロディもそうですが、何よりも歌詞がとても美しい歌だと思います。この歌を作詞した、新井満さんは、「千の風になって はいかにして生まれたか?」という文の中でこのように述べられています。
 『私のふるさとは新潟市です。この町で弁護士をしている川上耕君は、私のおさななじみです。彼の家には奥さんの桂子さんと三人の子供達がいて、とても明るく幸せな家庭生活を営んでいました。ところがある日、桂子さんはガンにかかり、あっという間に亡くなってしまいました。後に残された川上君と子供達三人の驚きと悲しみは尋常ではありません。絶望のどん底に蹴落とされたも同然です。慰めの言葉を言う以外、私に出来ることはありませんでした。しかし、そんなものが何の役に立つはずもありません。桂子さんは、地域に足をつけた地道な社会貢献活動を行う人でもありました。たくさんの仲間たちが協力して追悼文集を出すことになりました。「千の風になって―川上桂子さんによせて―」という文集です。文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。私は一読して心から感動しました。「よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、川上君や子供達や、後に残された多くの仲間たちの心をほんの少しくらいはいやすことか出来るのではなかろうか…」そう思ったのです。何ヶ月もかけて原詩となる英語詩を探し出しました。それを翻訳して私流の日本語詩を作りました。それに曲をつけて歌唱したのが、このたびの「千の風になって」という歌です。家庭版のCDを数枚だけプレスし、そのうちの一枚を川上君のところに送りました。CDは桂子さんを偲ぶ会で披露されました。集まった人々は一様に涙を禁じ得なかったそうです。そして泣きながらこの歌を歌ってくれたのだそうです』
「千の風になって」を作詞した新井満さんは、このように述べられています。実際にあった悲しい別れをきっかけにして生まれた歌だからこそ、こんなにも強く心に響いてくるのかもしれません。
 お墓参りをする、お仏壇に手を合わせる、お盆には祭壇やお盆提灯をだす、送り火・迎え火をもやす、亡くなった人か好きだったものをお供えする… みなさんがされているこれらのことも全てそこには、「精霊流し」や「千の風になって」という歌と同じように、『亡くなった人を偲ぶ』という気持ちが込められているはずです。そしてその気持ちはきっと、「今生きている人をいつくしむ」という気持ちにつながっていくと思います。もしみんながそんな気持ちを持てたら、穏やかで平和な世の中になると思うのですが、皆様方はどのように思われるでしょうか。
 本日は、倉敷の日蓮宗本栄寺、安井智晃がお話させていただきました。最後までお聞き下さり有難う御座いました。