おはようございます。今朝は、岡山市箕島、正福寺住職、安井智賢がお話をさせていただきます。
 テレビを見ておりますと、各地の有名な食べ物やら、行列のできる人気の料理店、今、流行の店などを紹介する料理番組が、相変わらず多いことに気がつきます。また、決まった時間内にどれだけ多くの量を食べきれるかを競うといった番組も見受けられます。そして私たちは、テレビで見るだけでなく、実際にそこに足を運び、お金さえ払えばいつでも口にすることができるのです。また、街には世界中のありとあらゆる種類の食材が売られており、欲しいと思う物はほとんどを手に入れることができます。
 しかし、現在世界の各地では、その日に食べる物もなく、数多くの人達が飢餓の状態に苦しんでいるというのも現実です。ある本に、次のようなことが書いてありました。「世界で2割の人間が、世界全体の8割の食料を消費しているそうです。ということは、8割の人間が残りの2割の食料で生きているということになります。異常な割合です。私たち日本人はもちろん2割の中に入っています」と。しかし、食べきれずに残飯として処分される量も大量なものです。私たちは、外に食事をしに行ったとき、つい何気なくお皿の上に残したまま店を出てしまったり、たくさん注文しすぎて食べきれなくなったりしてしまうことがよくあります。このような少しずつの食べ残しが、積もり積もれば世界中の数多くの人達を救うことができる量になるのです。本当に申し訳ないことだと反省させられます。このように、私たち日本人の多くは、食べる物には困ることのない、大変恵まれた環境の中で生活しているわけであります。
 しかし、その反面、三度の食事はとるのが当たり前、水道の蛇口をひねれば水が出るのは当たり前というように、この恵まれた環境にすっかり慣れてしまい、何事に対しても、感謝の気持ちや、有難みということを忘れてしまっているのではないでしょうか。今の私たちの多くは、食べる物にも困らない、着る物にも困らない、欲しいと思う物は何でも手に入るという、大変物に満ち溢れた環境の中で生活をしています。しかし、茶碗1杯のご飯、1枚の服にしましても、どれだけ多くの人達の苦労を経て、私たちの手元に届いたか知れません。子供の頃、お米というのは私たちの口に入るまでに八十八もの苦労や手間暇がかかっています、だから、たとえ1粒のお米でも決して粗末にしてはいけないと教わりました。昨今、「もったいない」という言葉が見直されています。私たちはごく当たり前のように、衣食住ともに大変満たされた環境の中で日々生活しています。しかし、私たちにとって日常当たり前と感じることは、無数の人達の苦労と努力、そして、自然の恵み、多くの命をいただくことで成り立っており、世界の各地では、多くの人達が争いと貧困に苦しんでいます。私たちは今一度「もったいない」という感謝の気持ちと謙虚な心を持ち直さなければいけないのではないでしょうか。そして、食べ物の命をいただき、自分の命を生かさせていただいているということに対して、心から有難い、もったいない、おかげさまで、という感謝の気持ちがもてるということが、お互いの命を大切にし、尊重し合えるということにつながると思います。私たち大人も子供も「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせて、きちんと言うことは、とても大事なことだと思います。
 私たちは、決して自分ひとりの力によって生きているわけではないのです。私たちを取り巻くあらゆる自然の恵みの中で、他の生き物の命をいただき、そして数多くの人達の助けによって、生かされているのです。
 しかし、私たちはともすれば、自分ひとりが満足すればいい、自分ひとり楽な生活を送ることができればそれでいい、そのために、周囲の人達を犠牲にして迷惑をかけようが苦しめようが、そのようなことなど構っていられない、あるいは、身の回りに困っている人や、苦しんでいる人がいても、私には関係のないことだというように、知らん顔や見て見ぬ振りをするというような、自分さえよければそれでいい、自分のことしか考えられないという、自己中心的な考えになりがちです。
 しかし、私たちは決して自分ひとりだけの力では生きていくことはできないのです。すべての存在はお互いに係わり合い、助け合い、支え合って成り立っているという、仏様からいただいた大きなご縁によって結ばれ、この世に生かされているのです。
 日蓮大聖人は、「畜生ですら、周りから受けた恩を忘れることがない。まして、人間に生まれたからにはなおさらである」と述べられ「何に況や仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩を知って、知恩報恩をほうずべし」とお教えくださっています。仏法すなわちお釈迦様の教えを学び、信仰する人は、周りから受けた恩を知り、その恩に報いなければならないということは言うまでもない。仏様のお弟子である者は、必ず私たちを取り巻くすべての人達、命あるすべてのものに生かされているという恩、私たちを生み育ててくれた父、母に対する恩、この国土に生を受けた恩、そして、仏法僧の三宝さまに対する恩。これら一切衆生の恩、父母の恩、国の恩、仏法僧の三宝の恩、この四つの恩を知り、そのいただいた御恩に常の感謝の気持ちを持ち、それに報いていく生活を送らなければならないのです。
 「法華経」には、この世に生かされているすべての生きとし生けるものは皆仏様の子供であると説かれています。私たちを取り巻くすべての人々は、皆平等な仏様の子供なのです。ですから、私たちは自分勝手なわがままな心を抑え、人にお世話になればお礼を言い、迷惑をかければ素直に謝り、困っている人がいれば優しく声をかけ力になってあげる。人の痛みや悲しみを自分のものとして受け止める。すなわちお互いに敬い尊重し合い、感謝の気持ちを常に持ち、その恩に報いていかなければならないのです。
 お釈迦様は、この世のあらゆる存在、あらゆる自然、あらゆる命あるすべてのものの中に、本来仏様、すなわち法華経の命、御心が備わっているのですよ、早くそのことに目覚め、気付き、自覚しなさいよと私たちに常に法を説き、教え導いてくださっているのです。
 私たちは常に仏様、法華経の功徳によって生かされているということに感謝をし、すべての人達が皆ともに幸せに過ごせる世の中、すなわち本来あるべき仏様の世界、仏国土となりますよう、お互いの命を尊び、拝みあい、なお一層の南無妙法蓮華経の進行に努めてまいりましょう。そのことが、まことの知恩報恩になるのではないでしょうか。
 今朝は、岡山市箕島、正福寺住職、安井智賢がお話をさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
 南無妙法蓮華経