皆様おはようございます。日に日に温かくなってまいりました。お元気でお過ごしでしょうか。今朝は加賀郡吉備中央町、にあります日蓮宗妙本寺の平野信行がお話させていただきます。
 ある時、お寺に一本の電話がかかってきました。声からすると70才前後の方でしょうか、その方は、突然「わしの弟の葬儀をして欲しい。」と言われました。電話を頂いた方が檀家さまではなかったので、少し事情を聞かせてもらいました。聞きますと、弟は一ヶ月前になくなった。と言われます。しかもこれから火葬にします。と言われるんです。これは複雑な事情がある様な気がしましたので、さらに詳しく聞かせてもらいました。
聞きますと、亡くなられた弟さんは、岡山でお生まれになり、幼い頃、戦争で父を亡くし、三人の兄弟は母親に育てられたそうです。高校を卒業した弟さんは大阪に出て行き、就職します。一生懸命に仕事をし、苦労をかけた母親に恩返しをしたいとがんばっていたそうです。
しかし、何をしてもうまくいきません。仕事が順調に行かなければ私生活までもが乱れてきます。仕事は転々とし、昼夜かまわず酒におぼれるようになっていったそうです。私生活も乱れ生活費に困るようになってきた弟さんは、岡山の実家の母を頼りにお金を貸してくれと言いだしてきます。当初は数年に一回、お金を何とかして欲しいと連絡して来てたそうです。最初は困っているんだからと、気持ちよく貸していたそうです。が、年数が経つにつれて、数年に一度の催促が、一年に一度、半年に一度と間隔が短くなってきたそうです。金額も増える一方です。母親が駄目ならご兄弟のところにも催促の連絡が来ていたそうです。母親も兄弟もお金を貸すのを拒みだしますが、拒むとわざわざ岡山までやってきて、母親に対しても殴る蹴るの暴力です。母親は何とか立ち直って欲しい思いで一杯でしたが、このままでは、こちらの生活までが駄目になってしまうと考え始めます。ある時、母親は、大阪の子供との、親子の縁、兄弟の縁を切ることにしました。
以降20年、一切の連絡を絶ち、弟さんがどこで何をしているかもわからなくなってしまったそうです。縁を切って丁度20年目の1月、お兄さんのもとに大阪の警察から一本の電話が入ります。電話の内容は「お宅の身内と思われる方がアパートで死んでいます。身元の確認に来て欲しい。」とのことでした。お兄さんは取るものもとらず、あわてて電車に乗り大阪にかけつけました。アパートに入ると散らかった部屋の奥に、弟さんと思われる方が横たわっています。お兄さんは警察官にうながされ、遺体の確認をします。間違いありません。20年前に縁を切って別れた弟さんだったそうです。痩せこけてしまい、変わり果ててしまっていたそうです。お兄さんは途方に暮れていたそうですが、直ぐに火葬の手配をした後、ささやかにでも、なんとか供養をしてやりたいと思いから、当山に連絡をして来のでした。
事情が事情だけに火葬にされた後に、葬儀はお寺で、しかも派手な飾りも一切行なわず、身内だけで行なう事になりました。決められた日にちがやってきました。お寺に来られたのはお兄さんと妹さんの二人だけでした。葬儀も終わり納骨の打ち合わせをしておりました。日程も決まり、準備するものや、お墓への納骨の段取りもお願いし、雑談をしておりました。その時、ふと母親のことが気になりどうされているか尋ねますと、「もう95歳にもなりますのでここにはよう連れて来ませんでした。」と言われます。お兄さんは言いにくそうに「いやー、ショックでふさぎ込んでもいけませんので、弟のことはまったく話していないんです。黙っておこうと思ってるんです。」と言われるんです。私は、辛いかも知れませんが弟さんがなくなったことはお伝えください。とお願いしました。
納骨の日がやってきました。やはり、参列されたのはお兄さんと妹の2人だけです。私はおばあちゃんの事が気になり、お尋ねしました。お兄さんは、なんとなくですが伝えてくださっていました。母親はショックを受けている様子だったそうですが、しばらくすると「これでよかったんだ。」と話していたそうです。
本堂で四十九日忌のお経も終わり、ご遺骨やお供え物をもってお墓に向いました。2人だけだったので納骨からお供えまで、私も手伝いながら行ないました。納骨も終わり、お供え物の準備ができ、線香やローソクにも灯をともし、これからお経を上げようとしたその時、お兄さんがカバンの中からタッパーを一つ取り出しました。そのタッパーの中から小さなおにぎりを2つ取り出し、お墓にお供えされていました。そのおにぎりをよく見ると形は小さく不揃いです。触れば崩れてしまいそうな柔らかいおにぎりです。タッパーからそうーっと出し、やっとお供えしていました。誰が作ったのか尋ねますと、お兄さんは「今朝、ばあさんが握ってくれたんです」と言うんです。
二月の寒い日でした。普段は料理もしなくなってしまった95歳の母親が息子の納骨の為に、朝早く起きて握っていたそうです。冥土への旅立ちにお腹がすくこともあるだろうに。生きているうちは人様に迷惑ばかりかけて、あの世では迷惑をかけるんじゃないよ。と、おばあちゃんのやさしい言葉が聞こえて来るようでした。
幼い頃の真面目だった弟さんは、大阪に出てからすべてが狂ってしまいました。母親はその弟さんにはどんなに辛い目あわされたかわかりません。殴られもしました。蹴られもしました。しかし、最後には自分がお参りできない代わりにおにぎりを一生懸命にぎってお供えされました。
いま、世間ではわが子への虐待や、親がわが子を殺してしまう事件も後を絶ちません。世の中のすべての命は、生まれなければいけない理由があって、この世に生まれてきたのです。どなたにも、やらなければならない、大切なことがあるのです。私たちはその命の願いに耳を傾けなければいけません。おにぎりを握ったおばあちゃんのようなやさしい気持ちがあれば、世の中で起こっている、痛ましい事件は決して起こらない筈です。私はそのおにぎりを見ながら、親子の絆、命について深く考えさせられました。
今月はお彼岸の月でもあります。ご供養とは、自分で出来る範囲で、出来るだけのことを精一杯行うことの大切さをも、おにぎりを一生懸命にぎったおばあちゃんは教えてくださったように感じました。

本日は加賀郡吉備中央町の妙本寺 平野信行がお話させていただきました。