「友愛の丘」
 おはようございます。私は御津郡建部町中田の日蓮宗龍淵寺住職 浅沼眷昭と申します。
 今朝は「友愛の丘」という題でお話をさせていただきます。
 今年平成17年1月21日と3月9日と、建部町福渡にある「友愛の丘 ゼンセン中央教育センター」に参上いたしました。そこで妙法蓮華経如来寿量品第十六の写経を指導するためです。
 「友愛の丘」は全国数ヶ所の候補地の中から選ばれて、昭和51年ゼンセン同盟労働組合の教育施設として建てられ開校したもので、現在ではゼンセン同盟の組合員のみならず、各種企業・学校関係等の研修の場として広範囲に活用されています。
 この施設がオープンして間もなくの頃、東京から龍淵寺の唱題修行の講師としてお招きしました権藤泰隆上人とその御弟子の吉田上人とのお二人を、この「友愛の丘」にご案内したことがありました。
 「友愛の丘」が開校されて6年後、昭和57年5月突然「友愛の丘」の教育担当の方が龍淵寺に来られて「このお寺で私たちの為に寺独自の研修をやっていただけませんか」と頼まれました。私は直観的に「この寺で座禅をさせてもらいたい」と思って話されたのではないかと思い、唱題行=つまり「南無妙法蓮華経」を丹田呼吸法を含め、一定の方式に従って集中的に唱える修行=の仕方を印刷した「しおり」を出して担当者に見ていただきました。
 そして「こういう内容の研修でしたらお引き受けしましょう」と返事しました。すると「うん、これでよろしい。ご住職の思われるとおりに進めてくださったらよろしいです」ということで研修を引き受けることになりました。
 最初はジャスコの団体で20代から30代の約30名。お題目やお経など全く唱えたことのない人たちがほとんどでしたが、「しおり」に従って一生懸命に取り組む姿はまことに清清しいものでした。
 昭和57年は1回だけ、昭和59年から次第にたびたび来られるようになり、多いときは1年間に6〜7回来られるようになりました。
 トーレ、ユニチカ、東洋紡、大和紡等の繊維関係だけでなく、鉄鋼、電機、製塩業等の団体も来寺され、朝7時から9時ごろまでの間に、唱題行、法話、朝粥といったスケジュールで進めてまいりました。
 このような研修が始まって3〜4年の間は朝6時から始まる場合もあり、冬の間は、食事の用意をする家内の仕事はなかなか厳しいものでありました。20人くらいまでは家内一人で、それ以上になると檀家の方を一人お願いして二人で台所仕事をやっていました。
 昭和58年の頃、川崎製鉄から課長クラスの人たち約30人を迎えたときのことです。唱題行が終わった直後に研修生に感想を聞きました。
 「お題目をこんなに真剣に唱えたことは今までになかったのですが、唱えている最中にふと最近亡くなった父親の姿が脳裏に浮かび、自然と涙が出てきました」と発言されました。
 もう一人の方は「一生懸命唱えていると、今2歳になる孫のことが目の前に浮かんできました。その孫は生まれつき障害を持っているのですが、その孫の為に祈るつもりで拝んでいるわけではないのに、ひとりでに孫の為に必死にお題目を唱えていました」と話されました。
 このような感想を聞いて、平素ご信心に関心がなかった人でも、機会があってその気になって一生懸命にお題目を唱えると、そのような境地になれるのだなあと感銘させられました。
 平成になった頃から、お経を書き写すいわゆる「写経」を希望する団体が多くなり、浄心行(丹田呼吸法)、読経、写経、朝粥というパターンでやってきました。
 しかし平成17年1月からの研修は、家内が入院しているため、寺で食事を出すことができなくなり、私が「友愛の丘」に出向いて行くことにしました。
 本堂で修行するのと違ってやりにくいであろうと思っていましたが、6万坪の樹海に囲まれた大自然の中の合宿研修ハウスという立派な環境での修行は、また一味違った雰囲気がかもし出され、社員研修の場としてこれもすばらしいなと思われました。
 1月の場合、15名でしたが、ほとんど読経経験のない人が多いにもかかわらず、しっかりした声で整然と読経される姿は実にすばらしいものです。社員研修の時いつも感じることは、檀信徒の法事の時は参加者がそろって声を出して読経できる場合が少ないのに、社員研修の場合は読経経験のない方が多いにもかかわらず、いつもしっかりした口調できちんとそろって読経できるということです。いつも不思議に思うのです。
 1月21日および3月9日の研修で、特に強く感じたことは次のようなことです。
 寺に迎えての研修はできなくても、「友愛の丘」で実施させていただけるということは非常にありがたいことで、センター長ほか職員の方々、研修生の皆さん方等々、多くの方々のお陰で研修ができることのありがたさを深く感じ、目頭が熱くなりました。
 その気持ちは次のような「食前の祈り」を唱えるときに特に強くなりました。
『宇宙法界に充ちたまえる本仏(おおみほとけ)のご慈光におおわれ、神と人と、人とわれと、めぐみに生かさるる我らなり。いまこの食事をいただき、健全なる体格と公明なる魂を養い、勤労をよろこび、奉仕をたのしみ、有為多能の人となりて、父母兄弟夫妻より、広き世の人々の恩恵に報謝し、光栄ある人生の福祉に貢献せしめたまえ。
南無妙法蓮華経。いただきます。』
今回の研修では「父母兄弟夫妻より、広き世の人々の恩恵に報謝し」の所が特に胸を強く打ちました。家内が入院し、退院後も養生を続ける中で、家内の存在の大きさ、深さに次第に気づかされていたからでしょう。
この「食前の祈り」を求道同願会主催の唱題行全国大会の時の食事前に、参加者全員で唱えていました。
 龍淵寺において昭和57年から始まった社員研修では、食事の時にこの食法を唱えてから食事をいただくことにしています。
 求道同願会で用意している食法の裏面には、「食事の心得」について次のように述べています。 
『食事については食料の品質と分量に対する注意が必要であると同時に、最も大切なことは食べるときの心の持ち方であります。身体と精神は生命の両面であるから、食物は歯でかみしめるばかりでなく、心の舌で味わうことが必要であります。心に不平苦痛があれば、血液は濁り唾液の分泌を妨げ、消化不良を起こします。
 われわれ人間は、三度の食物、一杯のお茶も自分の独力ではできません。ことごとく神仏の御恩(めぐみ)と社会のおかげであることを思い、食事のたびごと、必ずお客となって御馳走をいただくような喜びと感謝の心であれば、消化機能はさかんに働き、栄養は完全に吸収され、健康を増し長命を保ち家庭は円満幸福となります。これが信仰生活の食事心得であります。ぜひ実行いたしましょう。』
 私たちはこのような「食事の心得」を平素からよく心に刻み、食事のたびごとに「食前の祈り」を捧げる習慣をつけたいものだと思います。
 以上、御津郡建部町の龍淵寺住職 浅沼眷昭がお話申し上げました。ご静聴まことにありがとうございました。
 南無妙法蓮華経