おはようございます。気候不順のようですが、いかがお過ごしでしょうか。今朝は岡山市平井の日蓮宗妙広寺先住 都守健二がお話させていただきます。
 先日、世界連邦宗教者会議のときに中東和平綾部大会のビデオを観ました。京都府綾部市は、1950年に世界連邦都市宣言を世界で初めて地方自治体で行いました。このたび市長四方八州男氏の肝煎りで、紛争が続く中東のイスラエルとパレスチナの子ども7人ずつを招きました。期間は昨年の7月26日〜8月1日までで、日本文化の体験や世界平和を願う意見発表などがありました。綾部はもちろん京都観光、特に東京での小泉首相との握手の丁寧なのには感激いたしました。民間交流のプラス面であろうと思います。特に最後のビデオで印象的だったのは、四方市長の言葉であります。一行は中東和平大会を終えて、帰路につきました。やがてイスラエルのテルアビブ空港です。イスラエルの7人はすぐに降りました。パレスチナの7人はなんと3時間待たされたと言います。お迎えの身内が待っていたのであろうにもかかわらず、早く降りたイスラエルの子は、パレスチナの子が全員降りるまで待っていたのでした。敵対国だからと言って決めてかかるのはいかがと思いました。四方市長の中東和平大会は成功であったと言えましょう。
 4月21日付けの朝日新聞の社説「自己責任、私達はこう考える」によれば、イラクで拘束されたNGO(非政府組織)の活動家やフリージャーナリストは、自分の軽率な行動で国や世間に多大な迷惑を掛けたのではないか、自己責任の意識を欠いている、けしからんという主張があります。NGOであれ報道記者であれ、身に危険が及ぶかもしれない紛争地で行動せざるをえないときがあります。自分がもし殺されたり怪我をしたり、あるいはゲリラに囚われたりしても、それは自分の責任と考えなければならないでしょう。悪い結果になった場合でも、他人の人や組織のせいにしてはならないということであります。政府の退避勧告を無視してイラク入りしたこと自体がおかしいという議論があります。自業自得だ、救出費用は彼らに払わせろという声さえあります。言わずもがなのことでありますが、外国にいる自国民の保護は、どこの民主主義国でも政府の責務であると、特に正体不明の武装組織に人質を取られれば、救出のために政府がとらねばならない役割は一層大きくなると朝日の社説は結んでいます。
 この自己責任という新しい問題を仏教の立場から考えてみたいと思います。
 提婆達多はお釈迦様のいとこにあたります。お釈迦様、釈尊に従って修行をしたが、釈尊が老齢に達せられたので、教団の僧衆を譲られんことを願いましたが許されなかったので、釈尊を害して自ら仏になろうとして、酒に酔った象を放って襲撃したり、あるいは崖の上から大石を落としたりして仏身を傷つけました。それでも釈尊を害することができなかったので、自ら独立の教団を設けて釈尊に対抗しました。釈尊に対抗した提婆達多は、生きながら地獄に落ちたということです。ところが法華経によりますと、極悪非道の提婆達多も、提婆品において天王如来という仏名を授けられ、成仏したことが次のように説かれています。
 昔ある国王が仏教の悟りの境地を求めて、大乗の教えを説く者を四方に求めた。そのとき阿私仙人が国王に「もしよく修行をすれば妙法華経という大法を説こう」と告げました。国王は阿私仙人の言葉に従い、薪、木の実、草の実を取り、水を汲み、食を設けたりして給仕につとめ、ついに仏になることができました。そしてそのときの国王とは今の釈尊であり、阿私仙人は今の提婆達多であると明かしました。釈尊は提婆達多という善知識によって悟りを得ることができたことを理由に、提婆達多に対し無量劫の後、天王如来になるという記別を授けられました。
 これは釈尊と提婆達多の過去世の物語です。現世では、釈尊の教団をのっとろうとした提婆達多は、生きながらに地獄に落ちたと言われていますが、皆成仏道の法華経では過去世の善知識、法のよき友である因縁をもって記別されたのであります。
 日蓮聖人は開目抄というご遺文の中で、「亀鏡なければ我が面を見ず、敵なければ我が非を知らず」と申されています。鏡がなければ自分の顔が見えないように、敵がなければ自分の欠点に気が付かないということでしょう。その点、ライバルが自分では気がつかない欠点を指摘してくれるのですが、なかなか聞く耳を持ちません。
 また顕仏未来記というご遺文の中では「願わくは我を損する国主等をば、最初にこれを導かん。我を助くる弟子等をば、釈尊にこれを申さん。我を産める父母等にはいまだ死ざる以前にこの大善をすすめん」と申されています。日蓮聖人は大難四ヶ度少難数知れずという迫害によって法華経の行者として生きることができたのであります。立正安国論を無視した北条幕府や東条景信、極楽寺良寛等の他宗の迫害によって法華経の行者の自覚に目覚めたのでありますから、「願わくは我を損する国主等をば最初にこれを導かん」となるのであります。法華経の行者としての善知識は「我を損する国主」であったわけであります。俗に「良薬は口に苦し、忠言は耳に逆ろう」と言います。「耳順」とは六十歳を言いますが、世界の四聖人の一人である孔子でも、「六十にして天地万物の理に通達し、聞くにしたがってことごとく理解できる」と言います。孔子だって六十歳にして初めて耳順ですから、釈尊の提婆達多との過去世の善知識物語や日蓮聖人の善智識論など全く夢物語でしょう。
 だが仏教では現世だけで物事を判断せず、合わせて過去世や未来世を同時に見ます。最近の暖冬異変や資源の問題、人口問題、南北問題、オゾン層の破壊等々、皆将来の問題でありますが、今地球市民全体の問題となっています。イラクの自己責任の問題にしても、どこに重点をおいて見るかによって評価が異なってまいります。アメリカにおくか自衛隊におくか、それとも日本政府与党か、イラクの難民をどう救援するか、国連によってイラクの復興をいかにするか等々。ただ仏教で言えることは「テロをやめろ、アメリカの武力制圧をやめろ」であります。とにかく人殺しである戦争をやめることであります。
 最後に仏教の根本の戒めが不殺生であるのは、仏教が生命の教えであることによります。原始仏教経典によれば「一切のものは刀杖を恐れ、一切のものは死を怖る。己が身に思い比べて殺すなかれ、殺さしむなかれ。」(タンマパーダ)「生きとし生けるもの殺すなかれ、殺さしむなかれ。他の犯す殺生を許すことなかれ。」(スッパニパーダ)
ご静聴ありがとうございました。岡山市平井 妙広寺先住 都守健二でございました。