皆様、おはようございます。今朝は、小田郡矢掛町妙泉寺 副住職谷口妙道がお話しさせていただきます。
 今から733年前文永8年9月12日、日蓮大聖人は御歳50歳の時、ご自身でも「自分は竜ノ口で一度死んだ」と言われている竜口法難に遭われました。立正安国論を北条時頼に献上されたことにより次々と法難を受けられましたが、竜口法難では神奈川県片瀬竜ノ口刑場で首を切られようとされたのです。竜ノ口では夜空を焦がす松明の光に処刑の用意が整い「いよいよ最期でございます」と泣いて悲しむ信者に対し、日蓮大聖人は「さてさて未練なことよ。日頃の約束を忘れたのか。法華経に命を捨てるのは身にあまる喜びである。」と言われて静かにお題目をお唱えになったのです。処刑の役人が刀を振り上げようとしたその時、突然雷がとどろき強風がつのり、怪しい光りものが江ノ島の方より飛んできて消え去りました。振り上げた役人の刀が三つに折れたとも言われるこの夜の不思議な出来事は、幕府からの許しが届いたことにより死刑は避けられ、改めて佐渡島へ流されることになります。
 さて、日蓮大聖人が処刑の場に臨んで唱えられたお題目ということについて今朝はお話しさせていただきます。お題目とは南無妙法蓮華経のことです。日蓮大聖人は何も悪いことをなされたわけではなく、当時地震や飢饉が続き疫病も広がり多くの人が苦しんでいるのは何故か、仏教がこんなに盛んに弘まっているのに戦乱や災害がなくならないのは何故か−それは法華経を信じないで間違った教えが信仰されているからだとはっきり述べられただけなのですが、迫害を次々に受けられました。
 日蓮大聖人は、千葉県小湊に貞応元年(1222年)2月16日お生まれになりました。12歳のとき、ご両親から離れ近くの清澄寺という天台宗のお寺へ登り学問に励まれ、16歳で出家得度して僧侶になられましたが、そうする中で疑問をお持ちになりました。お釈迦様の説かれた正しい教えは一つであるはずなのに何故仏教はいくつもの宗に分かれて言い合っているのか、本当の教えはどれなのか、世の中が平和にならないのは何故だろうか−こういう疑問を解くために自ら願って修学の旅に出られ、鎌倉、京都、奈良と廻り、12年間にわたり研究を重ねられました。そして遂にお釈迦様の教えの根本は法華経であるという確信をゆるぎないものにされました。32歳、長い修学の旅から戻られた大聖人は法華経と共に生きて行くことを心に誓われ、建長5年4月28日清澄山上旭ケ森に立って太平洋から昇る朝日に向って合掌、南無妙法蓮華経と初めてお唱えになったのです。しかしこのことにより人々から恨みを買いののしられましたが、そのうち少しずつ耳を傾ける人が集まるようになったのです。39歳のとき、「立正安国論」を幕府に差し出されました。これにより様々な法難に会遭われますが、怯むことなく「法華経を弘める者は様々な難に会う」とは法華経に記してあること故、喜んで受けとめられ日本第一の法華経の行者である自覚を強められたのです。
 では法華経はどのように生まれてきたのでしょうか。今から約2500年前、お釈迦様はインド平原の北に釈迦族の王子としてお生まれになり、シッダルタ太子と名付けられました。人間としての様々な苦しみから救われる道を探そうとして19歳で出家。難行苦行を続けられる中で「いくら肉体を苦しめても悟りを聞くことはできない」と気付かれました。太子は大きな菩提樹の木の下で心を鎮め思索を深められ、遂に覚りを開かれたのです。この時太子30歳でしたが、覚れる者、仏となられたシッダルタ太子のことを釈迦族の尊い人という意味から釈尊、釈迦牟尼仏、お釈迦様とお呼びします。お釈迦様は覚られた真理を人々に説こうとされました。実はこの真理こそ法華経だったのですが、一般の人々には難しくて理解できませんでした。そこでお釈迦様は説くことを一旦中止され、相談に来た方それぞれの悩みに合わせて話の対応をなさいました。その年数は42年にも亘り、内容は後の時代にお経となりました。そしていよいよお釈迦様が80歳で入滅される直前の8年間をかけ「これから説くことこそ本来明かしたかった絶対的な真理なのだよ。」と自ら説かれたのが法華経なのです。ここまでの話により日蓮大聖人と法華経の関係は、お釈迦様と法華経に遡ることがお解りいただけるはずです。
 法華経はお釈迦様の説かれた教えの要なのですから、インド・中国・朝鮮・日本と2000年もの長い間、大乗仏教の最高の教えとして人々の支えでした。中国ではこの法華経に基づいて天台大師が天台宗を確立、日本に於いては伝教大師が日本天台宗を開いて当時の仏教界の中心になりました。そもそも日本に仏教が伝えられたときも、聖徳太子が自ら法華経の注釈書である「法華義疏」をお書きになり、世界中の全ての善がこの法華経に納められていると解説されました。道元禅師は「諸経の中には法華経これ大王なり、大師なり。余経余法は皆これ法華経の臣民なり、眷属なり」と言われ、良寛さんは「口を開けば法華経に転じ、口を閉じるも法華経を転ず」と表現されました。
 さていよいよお題目についてです。南無妙法蓮華経というのは久遠実成の本仏の心の世界、仏様の覚りの世界、一念三千の世界を七文字に象徴してあるのです。妙法蓮華経という絶対真理が慈悲を備え人格化したもの−それが久遠の本仏だと受けとめていただけたらよろしいです。つまり根本の教えとしての妙法蓮華経と本仏というのは一体不二のものです。日蓮宗寺院では本堂内正面中央に必ずこの覚りの世界を表した大曼荼羅がお祀りしてあり、中央に南無妙法蓮華経と書いてありますが、佐渡流罪中に法華経の世界を初めて図に書き表されたものがこの大曼荼羅です。この頃に日蓮大聖人はお釈迦様のお経の言葉とご自身の体験、法難などが一致することを示して、はっきりと自らが上行菩薩であるとの自覚を述べられました。上行菩薩とは、お釈迦様がこの世を去って2000年を過ぎ仏教が乱れてしまう末法の時代になったとき、法華経を説いて私達を救う為に遣わすであろうと予言されたお弟子のことです。お題目はお釈迦様からこの上行菩薩に授けられた仏様になれる種です。本仏から上行菩薩つまり日蓮大聖人に付属されたお題目を、今度は上行菩薩から末代凡夫の私達が頂くわけです。頂いたそのお題目を私達が口に唱え、身に行い、意に持(たも)つという「身口意三業」を受持するとき、それは毒病皆癒の良薬・薬だと表現されるのです。さらに本仏は「これを取って服すべし」つまりひたすら信じて飲みなさいと言われています。最後にまとめますと、何故この薬を飲まなくてはならないかと説いてあるのが法華経です。大切なのは薬を飲むこと−お題目をひたすらに受持することです。
 どうぞ皆様合掌なさってください。そして共にお唱えいたしましょう。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
今朝は、矢掛町妙泉寺 副住職 谷口妙道がお話させていただきました。