皆様おはようございます。今朝もお元気でお目覚めのことと存じます。今朝は御津郡建部町富沢 日蓮宗成就寺住職広本栄史が放送いたします。
 私の住む建部町では、今「たけべの森」で、『はっぽね桜まつり』を4月3日から18日までやっております。今を盛りに100種類15000本の桜が咲き乱れております。「ぜひ桜見物にこられえよ」と岡山弁でやっております。
 桜の花と言えば、日本には有名な「花咲じいさん」の昔話を母親から聞いたのが懐かしく思い出されます。この話は、室町時代から江戸時代の初めの頃の間に作られたおとぎ話とされています。善い行いのじいさんが枯れ木に登って灰をまくと満開の花に変わり、お殿様からご褒美をいただいたというこの話は、誰でも一度は聞いたり、話したりしたことのある話だと思います。この花咲じいさんのモデルとなった人とは、実はお釈迦様だったのです。
 枯れ木とは、救われない人々のことであり、花咲じいさんのまいた灰とは、お釈迦様の説かれた教え、仏教なのです。お釈迦様は困っている人々の各々に相応しい教えを授け、暗く枯れ木のような生活に明るく瑞々しい花を咲かせ、人々を救って下さいました。日本の花咲じいさんは、お釈迦様をなぞらえたのです。
 そのお釈迦様の教えの中で、今日まで宗派を超えて唱えられているものに、『七仏通戒偈』という偈文があります。それは「諸々の悪を作すこと莫く、諸々の善を奉行し、自ら其の意を浄くする。是れ諸仏の教えなり」という言葉です。宗派で共通しているということは、お釈迦様がまず教えを説かれる導きとして、数多くの場面で説かれたものと想像できるのではないかと思います。
 七仏というのは、お釈迦様と、お釈迦様の前の世の仏たちを指しているのです。これらの七仏が共に戒めとして保持された偈文が、『七仏通戒偈』です。偈文を現代語に直しますと「悪を止め、善を行い、心を清浄にたもつ、それが仏の教えである」ということになります。しかし、私たち凡夫は、仏様の戒めを理解してもなかなか実行することはむずかしいものです。そこでお釈迦様は、私たちに懺悔しなさいと教えられました。人々が一心に懺悔することによって救いの御手をさしのべていただけるのです。
 法華経寿量品というお経に、「お釈迦様は久遠の昔から久遠の未来に至るまで、常にここに住して法を説く」と示されています。そのお経文では「是の如く、我れ
成仏してよりこのかた甚だ久遠なり。寿命無量阿僧祇劫、常住して滅せず」といわれております。
 お釈迦様は、今も私の目の前にいらっしゃるのですから、私たちは、まず自分の行いを反省してみる必要があります。人々に悪となる種を蒔いてはいないか、人のためになる、善い行いをしているか、我欲の垢に心が汚れていないか、と反省をした時、お釈迦様が守って下さることと思います。
 それにつけても、最近の世の中、数え切れないほど数多くの事件が毎日毎日起きています。子どもが親を殺したり、親が無抵抗な幼い我が子に食事を与えず栄養失調で衰弱死させるとい虐待が増えています。また、小学生、中学生の罪の無い善良な児童、生徒を誘拐して、いたずらをし、殺すという人間にあるまじき事件も起きています。電話による、オレオレ詐欺事件。更に最近では、新たな手口として、年金受給者のお年寄りに対して、電話で社会保険庁や社会保険事務所の架空の団体を名乗っては、あなたは年金の過払いがあったので、至急に指定の銀行口座に振り込むように「年金戻してください詐欺」などが多発しているそうです。
 私たち人間は、皆すばらしい仏の心を持ち合わせていながら、世の中の悪が春の霞のように覆い被さり隠れてしまい、悪い心ばかり表に出ているのではないでしょうか。その春の霞を取り除くのが「自浄無意」。すなわち自分で自分の心を浄めることです。
 日蓮大聖人は、法華初心成仏鈔に、『一度、妙法蓮華経と唱ふれば、一切衆生の心中の仏性を、唯一音に喚び顕はし奉る功徳、無量無辺也。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふ也』
 願わくば毎日お仏壇の前に正座し、お題目、南無妙法蓮華経とお唱えし、修行を重ねることこそ「自らその意を浄め、明るい家庭を、明るい社会を作り出すおおもとと思います。
 今年は申年。長野県長谷村に伝わる「孝行猿物語」の話もご紹介してみたいと思います。それは過去も今も、そして将来にわたって親を思う、自然な感情が込められていると感じるからです。
 長野県伊那郡長谷村、南アルプスの連山に囲まれた人口2260人の小さな村です。長谷村立長谷小学校では、毎年11月10日を「孝行猿の日」と設定しています。長谷小学校の全児童98人は、この日孝行猿にちなんで歌や、演奏、それにオペレッタなどを上演しています。
 行事のテーマは「命を大切に」。この行事は昭和60年度から始まりましたので、今年で20年になります。孝行猿の物語を受け継いでいるのは、長谷小学校だけではありません。保母さんたちを中心としたグループが紙芝居を作り、多くの人に孝行猿の物語を伝えています。故郷を大切にする心、自然や人を愛する優しい心を伝えていきたいとの願いからグループを結成したと言うことです.村をあげて守ろうとする孝行猿の物語とは何なのでしょうか。長谷村には次のように伝わっています。
「長谷村の柏木に、勘助という名の猟師が住んでいました。冬も近づいたある日、猟に出たその日はなぜか何の獲物もありませんでした。諦めて帰ろうとしたとき、木の上に大きな猿が1匹見えました。他に獲物もないため手ぶらで帰るよりはよいと思い、気が進まなかったが、これを仕留めました。帰る山路で悲しげな猿の声が聞こえましたが、あまり気にも留めないで家路へと急ぎました。家に戻り、囲炉裏につるして寝ました。夜中に物音に気付いて、隣の部屋の隙間からのぞくと、どこから入ってきたのか三匹の子猿がいました。二匹が四つん這いに踏み台になり、一匹が囲炉裏の火で手をあぶっては、親猿の傷跡に手を当てて暖めているのです。昼間仕留めた猿は、この子猿たちの母親だったのです。『ああ! 昨日帰りに鳴いた猿はこの子猿たちだったのか!』どうにかして親猿を生き返らせたいと、夜中に一生懸命手を当てている子猿たちを見ていると、健気に思えてなりませんでした。『私は、軽はずみに、なぜこんな情けないことをしてしまったのか』と悔やみました。子猿たちは、夜明けとともに山へ去っていきました。親子の愛情深く心打たれた勘助は、翌朝、親猿を背負って裏山に登り、大きな一本松の木の根元に厚く葬りました。また、ほこらを建てて、せめての心尽くしをしました。勘助は猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔し、猟師を廃業し頭を剃ってお坊さんになり、諸国行脚の旅に出たそうです。」
いつの世にも、子が親を愛し、親が子を慈しむ、人が動物や自然をいたわる心は不変です。お互いに仏の心を引き出し、明るい楽しい家庭を、明るく楽しい社会を作って参りましょう。
 建部町成就寺住職広本栄史でした。