おはようございます。今日は、岡山市妙楽寺住職、北山孝治がお話を申し上げます。
今日2月14日はバレンタインデーです。この放送をお聞きの方は、少しお年を召したかたが多いようですので、直接にはあまり関係がないのかもしれませんけど、お子さんお孫さんたちにとっては、とても忙しく緊張する一日が始まりました。
バレンタインデーとは、バレンタインという3世紀ころのローマのキリスト教の神父さんの名前からきているそうです。時のローマ皇帝は若者を戦争に駆り出そうとするのですが,なかなか行きたがらない。その理由を、皇帝は若者が愛する者との別れを嫌がっているのだと考えました。そこで皇帝は、若者の結婚を禁じてしまったというのです。この現状を見かねたバレンタイン神父は、密かに若者たちの結婚を執り行いました。このバレンタイン神父の命日が2月の14日。愛のキューピット的なバレンタイン神父の行動と、その後のイタリアの五穀豊穣を祝う収穫祭のおまつりが重なって、バレンタインデーの行事が始まったそうです。
もっとも、女性から男性へ贈り物をする、それも基本的にはチョコレートを贈るという習慣は日本独自のもののようでチョコレート会社の発案だそうです。
このバレンタインデーも年毎に盛んになってきています。プレゼントもだんだんと高価なものになってきているようですし、一ヵ月後の3月14日はホワイトデー、今度は男性が女性へお返しのプレゼントをする決まりとなっています。まさに経済効果抜群のお祭りとなりました。
このバレンタインデーもそうですが、キリストの誕生日クリスマスも大変に盛んな年中行事の一つとなりました。別に日本の中にキリスト教徒が爆発的に増えたわけでもないのですが、年中行事としては、この二つはデンと日本文化の中に根を下ろしました。
その一方、日本古来の年中行事が少しずつ少しずつ廃れていっているような気がします。お正月も昔ほど喜びと緊張感を伴う行事ではなくなりましたし、おせち料理を作る家庭も少なくなってきているようです。節分の時、各家庭で豆を撒く風習もだんだんと見られなくなってきました。バレンタインデーもクリスマスもあってもいいけど、その陰で日本古来の文化が廃れていくのは、なんとも寂しい気がいたします。
昭和20年、第二次世界大戦が終わり、アメリカ軍が進駐軍として日本を占領しました。この時、アメリカは徹底的に日本について調査をしました。この小さな島国がなぜ、これほどまでに強大な力を持つことができたのか、その秘密を知りたかったのです。この時の調査報告書は膨大な量にのぼり、それらは逐一、本国へと送られたのです。そして、この報告書をもとに、様々な改革が日本についてなされました。天皇制が見直され、財閥が解体され、農地解放が行われ、新しい税法が施行されて家父長制度がなくなりました。わたくしたちにとって、もちろんすばらしい改革もたくさんあったのですが、今となっては果たしてそれでよかったのだろうかという改革もありました。
この時の調査報告書に、大変にユニークな言葉が残っています。それは「ホームチャペル」という言葉です。ホームとは家庭、チャペルとは教会、家庭の教会、つまり仏壇のことであります。東北地方の家々を回った調査団は、黒くて大きい、とても立派な箱がどの家にもあることに気づきます。おうちの人に質問したのかもしれません。「これはなんですか?」「お仏壇です」「お仏壇とはなんですか」「ご本尊とご先祖の位牌をおまつりしています。朝晩、このお仏壇の前で祈りを捧げます」。
北陸地方や東北地方には、細工ものがいきとどいた立派な仏壇が、今でも多く見うけられます。このような仏壇を見た調査団はとても驚き、そして本国に報告しました。「日本人は各家庭単位で、教会をもっている」。ホームチャペルという言葉は、こうして調査報告書に残りました。これが日本の強さの秘密である、と付け加えてあったかどうかはわかりませんが、日本人の宗教観を驚きと尊敬の念で見た報告書であったようです。
現在わたくしたちにとって、この仏壇とはどのような意味をもっているのでしょうか。
仏壇とは本来、自らが信仰するご本尊をお祭りする場所であります。そして、そこに一緒に亡きご両親をはじめとして、お爺ちゃんお婆ちゃん、つまりはご先祖の位牌を安置し祈りを捧げる場所であります。まさに仏壇はホームチャペルなのであります。
ですから本当は、あなたのおうちに亡くなられたご親族がいらっしゃらないにしても、仏壇があり、ご本尊が祭られ、あなたが祈りを捧げ、そのあなたの心を自らが見つめ、反省と安心と生きる勇気をもらうとても大切な場所なのであります。
そしてもし、そこに亡きご両親の位牌があるならば、お爺ちゃんお婆ちゃんの位牌があるならば、またそのご両親の位牌があるならば、今あるあなたの命の源にたいして、ありがとうと、ただただありがとうと感謝の心を表す場所でもあるのです。ご先祖と言ってしまうと、自分とはほとんど関係のない遠い遠い人たちと思ってしまい勝ちですが、ご先祖とは、あなたのご両親であり、そのまたご両親であり、そのまたご両親であります。そして、そのどの命がひとつ欠けていてもあなたは今こうして、この世界に存在はしていないのです。私ももちろんそうです。今この世に生を受けている全ての人が、私たちの両親が、受け伝えてくれたいのちのお陰で、今こうしてここにいるのです。
そう考えますと、僧侶である私がこういう言い方をすると、不謹慎だと怒られるかもしれませんが、信仰があるとかないとかの以前の話として、信仰を持っていようがいなかろうと、私達のいのちの源に対して、ありがとうと言う時間と場所を持つということは、ごくごく自然で当たり前で、最上かつ最低の努めだと思えてくるのです。
お仏壇という自らの信仰の祈りを捧げる場所に、ご先祖という自らの命の源の証であるお位牌を共に安置するという、私たちの先人の大いなる知恵は、今の時代だからこそ私たちは改めて、見つめなおさなければならないのではないのでしょうか。
今年も、成人式での傍若無人の若者の振る舞いが、ニュースとなってしまいました。
成人であろうとなかろうと、あの態度はどう理屈付けもできないのかもわかりませんが、それでもあの光景は、年毎にひどくなる、わたくしたち日本人の行動と心の大きな象徴のようにも感じられます。幼児虐待はほとんど毎日のように報道されますし、自分勝手の振る舞いはいたるところで見受けられます。
私たちは、何を求めてどこへ行こうとしているのか。確かに豊かさを得て、それはそれはとてもありがたいのだけれども、失ってしまったものはそれにも増して大きいのかも知れない、と思っているのは、もちろんわたしだけではないはずです。
「失われた10年」と、バブル崩壊後のこの世の中を検証する言葉が流行しましたが、もっともっと、その以前から、私たちが指し示した方向は、危うかったのかもしれません。
「ホームチャペル」と驚きと賞賛の言葉でつづられた、私たちのあの時代は、ほんの少し前の、この場所での私たちの姿、生き方でした。外来文化をいつの時代も素直に受け入れて、それを我が物にしてきたのが、私たち日本人の進歩と発展の源でした。ですから、バレンタインデーもクリスマスも、お祭りとし楽しめばいいけれども、しかしその前にわが心を見つめ、わが命の源へ感謝の祈りを捧げることのできる、お仏壇というなんともすばらしい「ホームチャペル」を持っていることに、どうぞ改めて気づいていただきたいと思うのであります。
本日は妙楽寺住職、北山孝治がお話を申し上げました。