皆様、お早うございます。今朝、お相手をさせていただきますのは、岡山市上中野にございます日蓮宗・正福寺副住職、稲垣教真でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、夏には昔から続くご先祖を供養するお盆がございます。今年も私はご先祖さまのご回向に各お檀家さんの家を回らせていただきました。
これは私があるお檀家さんのお宅に伺った時の事です。いつもはお宅に行くと決まって奥さんがいらっしゃるのですが、今回はお里のお墓参りに出かけられているというので、ちょうど仕事がお盆休みであったご主人が迎えて下さいました。
お経が終るとご主人は奥さんの用意してあったであろうコップに冷たい麦茶を注ぎお菓子といっしょに出してくださいました。そして、私の前に腰を下ろすとおもむろに「お上人さんねえ、私は宗教に少し興味があって自分なりにお経や聖書を時々読んでみるんですがね、聖書は物語になっていて何となく読んでいてわかるんですが、お経は何の事だかさっぱりわかりませんね」とお話になりました。私はどう答えるか迷いましたが「そうかもしれませんね、確かにお経は漢文をそのまま読みますから、書き下しにして読むこともありますが、今の言葉じゃないですからね。すぐにはわからないかもしれません」とお答えしました。お盆中は一日に何十件もお檀家さんのお宅を回ります。時間があまりとれないので私はお茶を飲んで話し半ばで早々に失礼しました。
さてその夜のことです。ふと昼間のご主人の言葉を思い出した私は、「はっ」と思う事がありました。私はお寺の次男に生まれ、仏様にお供えしたお米を頂いて大きくなり、十八歳で僧侶になりました。それから十年が過ぎ、僧侶として学ぶべきことや、法事儀式を行う事を身に付けてきました。そしていつの間にか心の片隅では、もうこれで十分と思っていたのかもしれません。僧侶として法事儀式を行うことは確かに大切なことです。しかし、お檀家さんから頼まれた年回の法要や、いろいろな行事を勤めていく事だけで満足していなかったのか。そんな私にお釈迦さまが主人に入れ替わり、「お前の役目は私の教えを説くことだぞ、それを忘れていないか」そう諭されたのではないかと思ったのです。
お釈迦さまが晩年に説かれた法華経の中の第二章「方便品第二」に次のような話が説かれます。インドのマガダ国の首都・王舎城にある霊鷲山という山の頂にてお釈迦様は永い瞑想から静かに目を開け立ち上がります。まわりには多くの弟子たちを始め、生きとし生けるすべての生き物たちが固唾を呑んで取り囲んでいます。そして、お釈迦様は弟子の中でも長老のひとり舎利弗に向かって「私が今まで説かなかった真実の教えとは、非常に難解であって、あなたたちに説いたとしても理解ができないであろう」と語るのです。これに対して智慧第一と称される舎利弗は「どうか私たちのためにお説きになって下さい」と願い出ます。しかしお釈迦様は「この教えはあなたたちには難しすぎて決して理解ができない。逆に混乱を招くだけであろう」として語ろうとしません。このやり取りが三回繰り返されたすえ、とうとう、お釈迦様は真実の教え法華経を説くことを決意されました。その時、事件が起こります。集まっていた聴衆の中から出家者と在家の男女、五千人がお釈迦様に礼拝をしてその説法を待たずして立ち去ってしまうのです。さらに、お釈迦様はこの人たちを止めることもなく「立ち去るがよいであろう」とこれを往かせてしまいます。
さあ、この五千人の人々はいったどの様な人たちだったのでしょうか。お経文を読んでみると「罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ證せざるを證せりと謂えり」と説かれます。この立ち去った者達は罪深く、驕り高ぶり、何も分かっていないのに分かったと思い込み、まだ悟ってもいないのに、悟ったと思い込んでいる人たちというのです。つまりは、それぞれ自分の中に今まで厳しい修行もしてきたし、「もう、お釈迦様の教えはよくわかっている。今さら繰り返し聞く必要もない」とその場を去ってしまった人達なのです。
では私自身、この五千人と同様、自惚れ、謙虚さを失っていたのではないか。自分を過信し、日常の忙しさの中に自分の本当のなすべき事を忘れていたのではなかったのか。とても考えさせられました。
今から七百年以上の昔、日蓮聖人は自らを犠牲にして「南無妙法蓮華経」のお題目を広めることに生涯を捧げられました。その六十一歳の生涯は、「大難四ヶ度、小難数知れず」と言われるように、度々、怨みをかい、捕らえられ、時には命を狙われ数多くの迫害にあわれます。しかし、日蓮聖人は『種種御振舞御書』というお手紙のなかに「相模守殿こそ善知識よ」と述べられております。これは日蓮聖人の「立正安国論」での訴えを聞き入れず法難に導いた張本人である相模守殿、つまり時の執権であった北条時宗こそ自己の正当性を確かにさせた善き導き手であったと述べられているのです。まさに自分にとって敵である者が、実は自分をさらなる高みへ押し上げてくれていたんだ、そう気付かれたのだと思います。
これは私が先日、夕方、車で買い物から帰る途中のことです。普段なら三十分もあれば帰れる道のりですが、夕方の渋滞に巻き込まれ、この分だと一時間はゆうにかかりそうなほどです。私は片側一車線の道路を苛立ちの中、車間がつまっているのも気にとめず走っていました。その時です、前方の車が予告もなく急停車。私はとっさに急ブレーキを踏み、なんとか数センチの所で車は止まることが出来ました。一瞬、血の気が引くようでしたが、幸い後方からもクラクションが数回鳴らされただけで事故は起こっていないようでした。すると間もなく前の車の後部座席のドアが開き、中から初老の夫婦であろう男女が降り始めました。女性はすまなさそうに我々に何度となく頭を下げながら、男性が降りるのを細い体で助けています。そしてやっと車から降りることが出来た男性は女性の後ろからそのやせた両肩にそっと手をおき、うつむき、一歩、一歩とまるで何か地面を確かめるかのようにゆっくりと歩き出しました。多分、何か病の後遺症でしょうか、進める足にも力はなく立つのもやっとのようでした。私はこの出来事で同情とは違う、人間だれしも支えあって生きていかなければならない本来の姿を感じずにはいられませんでした。その時、苛立ちで自分本位になってしまっていたはずの心が大きく揺さぶられたような気がしたのです。
この様に私たちの日々の営みの中には、どのような時でも真実に導こうとする仏様の慈悲の手が差し伸べられているのです。それは、形を変え、ある人の助言であったり、見知らぬ人の行いであったり、自分に対する非難であったり、また赤ちゃんがみせる満面の笑顔の中にもそれはあります。しかし、悲しいかな自分を含め驕り高ぶった自分本位の人にはなかなかその救いの声に気付くことが難しいようです。
もうすぐお彼岸が参ります。どうか皆様、素直な心で「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱え下さい。悩み苦しみ多き自分が、実は仏様の大いなる慈悲の世界の中に、今、生かされている姿に気付く事が出来ると思います。
本日は正福寺副住職・稲垣教真がお話させていただきました。ご聴聞誠にありがとうございました。