皆様、おはようございます。私は三門の日蓮宗、妙林寺に勤めております檀上隆志と申します。今回の放送日は丁度13日に当たりました。私たちの開祖であります日蓮聖人の月命日です。命日なんて言いますと朝から縁起でもない。なんてご不快に思われる方もあるでしょう。しかし本来この日は開祖の遺徳を確認して志を新たにする意味があります。むしろ縁起がいいくらいです。どうかお気持ちを取りなおして、お付き合い頂ければと思います。
 開祖のお話は江戸の昔は「祖伝」といいまして娯楽の一つとして親しまれてきました。私も昨年の夏に勉強に参りました。会場は京都の山科本圀寺です。地図を見ると祇園が車で西の方角に15分くらいの所にあります。しかし研修が忙しくて祇園どころじゃありません。夜暗くなって気分転換に境内に出て、西の夜空の祇園の明かりを見ながら
 「ああ、あっちの空が噂に聞いた祇園かなあ。ずいぶん近くにあるねえ。」なんて語り合いました。
 布教院の開設期間は2週間。これだけあると世間は結構動いています。特に3年前の9月、ニューヨークの貿易センタービルに航空機が激突するテロ事件が丁度開設期間中にありました。どんどん話が大きくなって今では日本の自衛隊が派遣されております。当然日本人である私達にも他人事ではありません。しかし戦争を知らない私の世代は、どうしても他人事に感じます。誰か教えてくれる人はいないか。考えましたとき、私達の身近に戦争をよくご存知の方が一人居られると気がついたのです。それは、開祖であります日蓮聖人その人です。
 「日蓮聖人といえば昔の人じゃあないか。イラクの戦争と関係ないだろう。」と思われるでしょう。しかし当時の日本と、現在のイラクは大変似ています。鎌倉時代。日本は当時の中国と戦争をして侵略されています。また国内も内戦と旱魃で混乱の極みにありました。現在、独裁政治とその後のアメリカとの戦争で混乱の極みにあるイラクと同じです。あまりにひどいので「場合によっては国が滅びてしまうかもしれない。何かできないか」
 まじめに考えたことが残されたお手紙から確認されています。私は今まで日蓮聖人がお手紙に書かれた「国が滅びる」という表現は少々大げさであると思っていました。歴史の知識があるからです。しかし、イラク戦争の報道を目にしましたとき、考えは変わりました。
 「日蓮聖人は、こんな、荒れた世の中に居られたのか。こんな環境を目の当たりにされれば、国が滅びると言われたのも納得できる」と思ったのであります。
 法華経には「この娑婆世界は迷いや苦しみが多くて火事になったお家のようなものである。」と説かれています。私は今まで「火事になったお家」と言われてもぴんときませんでした。普通、家が火事なら「自分で」消すなり逃げるなりします。少々大げさであると思っていたのです。しかし、イラク戦争の報道と日蓮聖人のご生涯を重ねた時、この世には自分では消すことも逃げることも出来ない災難があるものだ。お釈迦様の見つめる所はもっと深いところにある、と教えられたのです。
 今回の布教院では4つの班を作って、全体の運営や後輩の指導をしました。私は1回目ですので先輩に教えていただきながらお話を作り、昔のお説教の所作を練習しました。実習ではたくさんの同期、先輩のお話を伺うことができます。ベテランのお上人はすばらしく、さすがにしっかりしたお話をされると何度も感心しました。しかし印象に残りましたのは同じ班の佐藤上人という方でした。何故なら佐藤上人、お話が大変苦手です。本人は一生懸命がんばるのですが、なかなかお話が完成しません。その為班をあげて手伝うことになりました。しかし「お話したいことはちゃんと在るんです」と言って教えてくれました。
 「私は学生で身延で修行をした時、同級生と一緒にお堂で3時間お経をしたことがありました。みんな気心の知れた仲間でしたから、「気合をいれてやってやろうじゃないか」と申し合わせをして、元気を出してお経を全うしたのです。そして3時間が過ぎたとき、私の両の目から大粒の涙があふれていたのです。3時間の正座で足は痛かったです。大きな声を出して体も疲れていました。しかし心はすがすがしい気持ちで、感動と表現するしかない心持だったのですよ。」
 同級生も同じくすがすがしい気持ちになったそうで、「いいお経ができた」と話し合ったそうです。「私はその感動を話したい。」と強く言います。私たちも、大なり小なり似たような経験はありますので気持ちはよくわかります。ですから何とか表現できないかと一緒に考えました。しかし言葉にするのは難しくてなかなかまとまりません。その時、受講4回目のベテランの先輩上人、秋田上人と言われますが、こんなアドバイスをくださいました。
 「佐藤君。その感動はなかなか、頂けることじゃあない。いい経験をしたね。でも今の君には、人にお話しするには荷が重過ぎる。今は無理にお話するのを止めて、代わりに日蓮上人が残された教えを結論にして、お話したほうがいい。身延のお山での感動はしばらくとっておいて、もっと経験を積んで、勉強してからお話しなさい。」
 教えていただきましたのは日蓮聖人の「上野殿御返事」という御文章です。そこにはこうあります。「仏教の信仰には、火の信仰と、水の信仰というものがある。火の信仰すばらしいが、何かのきっかけで情熱が消えてしまうことがあるものだ。川の流れのように、途切れずに続く水の信仰を育てるのが大切である。」と教えられています。
 人の心は移ろいやすいものです。いただいた仏様のご縁、「信仰の灯火」とでも言いましょうか。心を打つような体験、感動を消えるに任せてはいけない。毎日の信仰につなげて、自分の糧とすることを教えられているのです。
 日蓮宗の方に限らず、信仰を大切にする心は宗派を問わないものと思います。今、このラジオでご縁をいただいた皆様には、ご自分の人生の経験の中で、忘れそうになっている灯火を思い出していただきたいのです。そしてお釈迦様の深い慈悲への感謝を呼び起して頂き、心を新たにして今日一日を元気にお過ごしいただきますよう御願い申し上げます。三門、妙林寺より参りました、檀上隆志でした。